赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼カラオケ老人の戦争責任

2019年05月08日 | ■教育年金管理人泥炭氏との対話

 

2014.10.12 横浜市

 

以下、教育年金掲示板より

 

●投稿者:炭泥

戦時中に犯した罪については、これを糊塗して開き直って生きるなら、格好のお手本に成りそうな、有名な言葉があります。

「戦争中は日本人なら誰一人として日本の勝利を願わなかったものはいなかった。自分は当然であり、天皇陛下を敬愛すること人一倍であった。しかし、日本は敗れた。しかし、天皇はその責任をとらなかったんだ。だから、私もその責任などとる必要はないんだ」

戦時中腰にサーベルをガチャつかせて音楽界を牛耳り戦意高揚に尽くしたと言う山田耕作の言葉で、これについては、No.518 に再掲した2009年11月6日の投稿【1833 真の戦争責任を不問にふしたまま】に詳しく紹介しています。

私はもっぱらカラオケ喫茶などでは、渡辺はま子の【蘇州夜曲】や【雨のオランダ坂】や【ああモンテンルパの夜は更けて】を歌います。 伊藤久雄の【あざみの歌】や【イヨマンテの夜】、【山のけむり】などもよく歌います。これらの歌が好きだからです。すかし彼等は戦時中歌手として戦意高揚に加担して居ます。許せないやつらです。ですが、戦後の復興の中で彼らが果たした役割を否定するのは、難しいかもしれません。

私にとって上に挙げたような歌を歌わないで過ごすことは少なからず苦痛です。正直に言えば山田耕作の【赤とんぼ】さえ、それにわたすが大好きな軍歌でさえ、わたすはわたすは、しばしば歌いたくなるのです。実際、妻に隠れて、主として便所にはいったときなどに歌っています。

なのに、わたすがよく通っているスナックののカラオケでわたすが根っから大好きな軍歌とか上記の唄をリクエストすると、周りに座っている若者たちやカラオケ上手のおばちゃまたちが、わたすのことを白い目で見るのです。いよいよ前奏がはじまってマイクを握ったはよいのだすが、彼らの視線が気になって、上手に歌えなくなってしまうのだす。ふんで、ネットのの方のカラオケ上手のみなみなさまに問うて見た次第だす。わたすはわたすは、これからは、なんの歌をカラオケすれば、よいのでしょうか。

舟木一夫の「高校三年生」や三田明の「美しい十代」などは、もっ歌い飽きてしまいました。この先、幸せにカラオケするとしたら、わたすはわたすには、どの様が歌姿がお似合いだと言うのでしょうか。それともやっぱカラオケなんぞには年寄りの出る幕もなく死んだほうがましだとでも、おっしゃるのでしょうか。
  

 


●投稿者:馬亀

あいかわらずですね。炭泥さん。作曲家の山田耕作も歌手の渡辺はま子、伊藤久雄も戦時中は戦意高揚に加担した歌を作ったり歌ったりした「許せないやつら」なのですか。にもかかわらず、いまだに彼らの歌が大好きで、ついつい歌ってしまうわたすが馬鹿でした、ということですか。

それで、こんなバカは死んだほうがよいのでしょうか。昔の唄ばっかり大好きな、こんなアホでも生きていっても許されるのでしょうか、どうか、みなさま、ご判断くださいという訳ですか。

どこまで本気で言っているのかは知らないけれど。あまりにも短絡かつ単純な二項対立風のご議論では、ござらんか。まるでガキですよ。そのようなお話のなされ方といい、戦争感覚および歴史感覚といい、泥炭氏の根底にある価値観には、まがまがしく傾いた固定観念があるようですね。誰に、いつ、かようにもガキっぽいイデオロギーを刷り込まれたのですか。

話は飛びますが、太平洋戦争すなわち日米戦争における最大の戦争犯罪は、ヒロシマ長崎に投下された原子爆弾にほかならないと思いますよ。次に来るのが全国の都市という都市を焼け野が原にした空襲です。この二つともども、アメリカの仕業ですよ。

戦争犯罪や戦争責任を、しきりに問うている共産党をはじめとする「戦争反対者」らは、どうして、この大犯罪をなさしめたアメリカさんに対して抗議も、糾弾もしないのですか。ヒロシマの原爆碑には、「あやまちは二度と繰り返しません」と書いてあるらしいが、そのあやまちを犯した大殺人犯である、アメリカのアの字も刻んではありませんよ。どういうことなのですか。それで、よろしいのですか。

どうやら、炭泥さんの戦争観によれば、原爆を落としたのも、東京大空襲をはじめ全国の都市が焼き尽くされたのも、すべてこれ、日本の軍部が悪者だったのだから仕方がないというわけですか。もはや戦う術もなく右往左往している丸腰の民をめがけて根絶やしも同然の虐殺行為におよんだアメリカさんこそ正義の使者だと思っているのですか。

そりゃ、あなた。勝てば官軍ですよ。あなたが言っているのは、ただ、それだけのことじゃないのかね。口を開けば日本悪者論に立って、やれ戦争責任、やれ戦争犯罪とうとうと70年も前のことをして、悪いの正しいの、許すの許せないの、死ぬの生きるのと、バカも休み休み言いたまえ。 

 

  

●投稿者:炭泥

そうですね。まさに馬亀さんのおっしゃる通りだす。最大の戦争犯罪とは、いかなるものかについては、多々意見の分かれるところでしょうが、原爆投下の犯罪性とその責任を追求する事はそれはそれで勿論重要な事だと思います。

それに、先の大戦の戦争責任と言う点で言えば、歴史をさらに遡ってペリー来航のことを論ずるべきでしょう。日本に大砲を向けて開国を迫り不平等条約を押し付けた欧米列強には260年の余も近隣諸国と平和共存を実現して居た日本を狂気に駆り立てた責任は、はなはだしいものでした。この責任の一端は担って貰わねばなりません。その視点なしには現在イラクやシリアで起こっている問題の解決も有りえないとも感じます。

今の中東の混乱の原因を作った張本人であるアメリカ国の大統領であらせらました最たる戦争犯罪人のブッシュは死刑に処してもらわねば、わたすの気持ちは収まりません。彼の弟を次の大統領選に担ぎ出そうとしている勢力が居るようですが、何故その様な事が起り得るのか、私はわたすは、この際、すべての陰謀論を明らかにしなければなりません。 

2016年アメリカ大統領選、ブッシュ弟とヒラリーの一騎打ちか?「父子に続いて兄弟とは…」という英文ニュースを読みました。すかすながら、わたすはわたすは、こんなことばっかり論じていても、それで70年前までの日本の軍部を中心に周辺諸国に対する侵略行為の罪が帳消しになるものではありますまい。やっぱ日本も多少は悪かった。すかすながら民族根絶やしも同然の米軍の非道に比べれば、もちろん罪は過小でしょう。

何より、わたすが怒るのは、外に対する侵略行為は内に帰って少なからぬ日本人の生活を奪いわたすたちの親世代を鉄砲玉に変え、しかるのち海の屍に変えました。「きけ、わだつみのこえ」をご参照願います。また無辜の国民をアメリカ軍の爆撃に晒し焼夷弾に焼かせ原爆の洗礼を浴びさせました。

二度とその様な事を繰り返さないためにも、これらの戦争責任の問題を、わたすはわたすは、この際、米国ののホワイトハウスの前まで、たどり着き、きゃつら鬼畜米英およびヤンキー諸君の大罪を徹底的に追求してみようと思っています。

戦争反対と大きく書いたお立ち台を持ち込みオバマ大統領の目の前で、戦争反対の大演説を、するつもりだす。それまでは大好きなカラオケは絶つ決意のもと人生最後の戦いにのぞむつもりだす。その際、英語で演説するか日本語で演説するかは、当日のわたすの気分次第ということにしておいてください。できれば英語でやっちまったほうが、よいのか納豆。そのためには、多少の日時が必要だと思っています。アメリカの犯した戦争犯罪は、どこまでも徹底的に追及し明らかにしなければ、死んでも死にきれません。

ご安心ください。カラオケ大好きののご同好なる馬亀さん。わたすが妻の目を盗んで通いつめたカラオケスナックのママさんには、わたすの最後の歌声として春日八郎さんの「別れの一本杉」をお聴かせしてきたところだす。ママさんの目からは、あふれる涙。後ろ髪を引かれる思いでしたが、これもあれもアメリカが悪いのであったのだったであり陸軍二等兵として、出征し昭和20年に大陸で戦死した、わたすのおとちゃんには倫理的には、なんも悪いところはないはずであったのであっただった。カラオケののママさんが玄関先で三つ指ついて一言。「泥さまの武勲をお祈りすます」

さあさあ、わたすのおとちゃんのカタキ。世界人民と勤労人民および社会の進歩を念ずる革命的知識人に対する反動の巣窟アメリカ国のワシントンに出かけていって鬼畜米英の一派ときゃつらのボスに天誅を加えてやるつもりです。

 

 

●投稿者:今井政幸
ふむ、確かにカラオケは老人を狂わせる。それにしても泥つぁんは極端だ。なんぼ言い聞かせても聞く耳を持とうとしない。じゃがゼニカネに比べれば懐メロ軍歌以上には出ない老人のカラオケレパートリーなんぞは可愛いものだ。ゼニカネこそ人を半キチガイにさせてしまう。結局わたすは一円の儲けをしつこく追いかけたあまり牛丼の吉野家と三井住友ののねぇちゃんにふりまわされ人生を棒にふってしもうた。先日病院に行ったところ、余命いくばくもないと主治医より宣告されてしもうた。こうすてわたすはゼニというゼニを牛丼大盛りと白物家電に費やしてしまい、気がつけば通帳はスッカラカン。若い頃から自慢であった算段腹も空気が抜けたようにぺっそりとしょぼくれてしもた。だっから、この際せめて台所の引き出しの中に貯めておいた小銭をかき集めて電動式介護ベッドと車椅子だけは町内会長さんが知り合いの介護福祉の店の方では、特別大売出し期間中は月賦でもよいと言ってくれたので購入しておこうと決めたのであった。電動式だよ。泥つぁん。ただのベッドじゃない。電気で動く。貧乏人には決して買えない白物家電の大物だ。二週間後には、わたすのお部屋に搬入される。待ち遠しくてなるません。ああ わたすほど幸せな男はいないだろう。楽しいなったら楽しい納豆。スキップスキップらんらんらん~♪

 

 

<2014,10,12 記>

 

 

 

 

 

 

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▼祝 令和元年

2019年05月02日 | ■ヨニウム君との対話

世に倦む日日・・・そもそも万葉集と安倍晋三という取り合わせが、全く不具合でアンバランスだ。右翼学者が安倍晋三に忖度して、万葉集から元号の字を引用したということ自体が、万葉集を汚し貶める行為だと思う。万葉歌人には安倍晋三を類推させる人物がいない。万葉集の文化と安倍晋三の政治はイメージがミスマッチ。


世に倦む日日・・・令という字。誠実で思いやりのある皇太子の人柄とはイメージがそぐわない(逆に菅義偉の人柄とイメージが合う)。律令の令。布告の意味。上から下への統制と服従の冷たい関係が意味にある。元号で使うには適さないから、これまで一度も使われず、候補にも挙がらなかった。


世に倦む日日・・・第一印象って大事ですよね。「令」は命令・軍令・訓令の令。「和」は庶民のイメージ。縦書きで「令和」の二字を上下に配すると、いかにも上に立つ政府が下の庶民に冷徹に法令を布き、黙って従うよう強いている印象になる。そういう構造体の表象になる。「令」の字体が尖った建物の屋根のようだし


世に倦む日日・・・元号に採用するに相応しい字ではないから、これまで一度も使われず、一度も候補に挙がらなかったのだろう。「令」で真っ先にイメージするのは、命令、軍令、律令..。掟とか布告とかの意味。国の理想をあらわす文字としては縁遠い。「令月」とか言われてもピンと来ないね。馴染みがない。


不平不満をごだごだと言っていないで左巻きヒステリとの異名をとって久しくも、その思想矮小なるヨニウム君も新元号が発表されたる今日のよき日をせめてわれら一億国民とともに満開の花の下で祝ってみたらどうだ。新元号「令和」とは文字としての形もよく、なかなかに良い元号だと思うぞ。少々個人的な欲を言わせていただければ読みとして「れいわ」ではなく「れいな」と発音してほしかった。平安期に「仁和」という元号ありて、「にんわ」ではなく「にんな」と読ませた前例ありき。


世に倦む日日・・・「令和」は安倍晋三がイデオロギー的な動機で恣意的に決めた安倍元号だという問題だ。反安倍の国民はこの元号を素直に喜べない。奉祝プロモーションに同調できない。

安倍首相が「恣意的に決めた」とは言い過ぎだ。最後は、すなわち三月三十一日の有識者懇談会では、「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」それに「令和」の六つの案が政府より提出され、協議に付された。当懇談会にはips細胞でノーベル賞を授賞した山中伸弥氏、作家の林真理子さんなどが列席されていた。六つの案の中で、ほとんど全員一致のように「令和」が好評をえた。だが、これで決定というわけではない。この結果を踏まえ直ちに閣僚会議が開かれ、ここでもまた「令和」が推された。最終的に安倍首相が「令和」にいたしますと決定を下したという次第だ。終始、しきたり通りに事は決められたのだ。ヨニウム君の見解は間違っている。


世に倦む日日・・・反安倍の立場のわれわれは、「令和」を納得して支持せよという安倍晋三の要求を拒否する。元号は権力者が恣意的に弄ぶものではなく、反中国だの何だののイデオロギーで選定するものでもない。われわれは、今、考えるべきだ。もし何かの転変が起きて安倍晋三が失脚したとき、この奇抜なイデオロギー元号たる「令和」の運命はどうなるのか。

「反安倍の立場のわれわれ」とな。そりゃ反安倍でも、ぜんぜんかまわないさ。もちろん元号をどのように使おうと使うまいと、否定しようと拒否しようと内心の自由だ。わが国は、どこかのお国とちがって野放図なほどの言論および思想、信条の自由が保証されている。ただ君のように、そこまでムキになる必要がどこにある。いくら左巻きヒステリと呼び名が高いとは申せ君も下衆や餓鬼ではないのだろう。もう少し大人になりたまえ。

↓ 相変わらずだねぇヨニウム君のヒステリ症状は。いささか病的だよ。

世に倦む日日・・・ただ、ブログにも書いたが、安倍晋三がコケたら「令和」もコケる。「平成」のシンボルは小渕恵三と平成天皇だったが、「令和」のシンボルは安倍晋三のみ。安倍晋三の、安倍晋三による、安倍晋三のための元号「令和」。安倍独裁体制が崩れたとき、「令和」の運命はどうなるか

 

 

世に倦む日日・・・動画をアップしました。「『令和』出典の文化的背景 - 万葉集『梅花の宴序文』と王羲之『蘭亭序』」 bit.ly/2UDQxD0 

おい、なんだよ。昨日までは、あれほどコケにしていた新元号「令和」をして、今日にいたれば絶賛している有様。まるで、「令和」は俺が決めたのだと、言わんばかりだ。そうかいそうかい、そりゃよかったね。今般もまた、ソウからウツへの急激なる心理的変化が見られた由。こうまでも気分が180度転換する場合もあるとは耳にしたことはあったや無しや。改めてヒステリとはたいした病気だと認識をあらたにせん。ヒステリもこれで難病認定の一種で、なにしろ当人の苦労はたえないのだが、いずれにせよ持病への対し方としては、だましだまし付き合っていくことがなによりで、それが老後の暮らしぶりというものだ。安生にやりたまえ。なにしろヨニウム君のヒステリ症状さえ落ち着いてくれるなら拙者の心情も多少は浮かばれるものなりや。こうも一夜にして極点から極点へと、言わば今日は極左、明日は極右と飛び回る様たるや、おかまいなしで誰に遠慮もなく一夜にして転向を果たせる変わり身の早さこそ自慢なのである。思うにヨニウム君は政治的に徒党していない分、政局的には限りなく自由度があって右であろうと左であろうと誰に対しても何の責任もない。もちろん認定ヒステリ患者に何の責任がとれようはずもないからだが、それがまた彼の口説を自由闊達にし、あまつさえ長生きを保証し担保している自負にもつながっている。それにしてもだ。今夜と言ふ今夜は、ああ~、たまげたたまげた、びっくらこいた。

 

世に倦む日日・・・明日も明後日も安倍晋三が出てくる。気持ち悪い。「首相が国民代表の辞」とか。勘弁してくれだ。いいかげんにしろだ。また岩田明子が出て来て机の原稿を棒読みするんだろ。「安倍総理は、安倍総理が、」。気持ち悪い。さんざん気持ち悪い思いさせられて、内閣支持率大上昇。

だからさ。テレビなんぞ見なければよい。ヒステリが深刻化するだけだろ。君の症状傾向から言えば。新聞同様にテレビもいまや旧態メディアだぜ。それにしても、なぜに君はそうもテレビのそれもNHKに夢中になるのかね。あ~ん。

 

世に倦む日日・・・結局、平成の30年間も、日本は昭和天皇の戦争責任を認めず、正しく検証し追及することをしなかった。昭和天皇の責任を免除した。間違った歴史認識がそのままオフィシャルに続いている。天皇の命令で戦争に行き、天皇のために戦争で死んだのに。開戦と終戦を決めたのも、作戦指導したのも天皇なのに。 

その問題は難儀だねぇ。だがね、まずは考えてごらんよ。あの時、すなわち1945年の大東亜戦争終結時、昭和天皇が、その戦争責任を問われ断罪されていたとするなら、その後の日本は、どういうことになっていたと・・・君は想像するのかね。昭和天皇は戦争に関するかぎり反省すべき点は充分すぎるほど反省してくれたと拙者はそう思っている。

それ以上のなにを天皇に求めるのかね。君は。日本国に対する生殺与奪権は完全に連合国軍司令官マッカーサーおよび米国政府に握られていたのだ。最悪の場合天皇を失った日本国というものは、結局四分五裂し今日にいたるまで国家のていをなしてはいなかっただろうと思うのだよ。昭和天皇が鬼畜米英らに断罪されなかったことはまれなる僥倖だったと・・・思えば思えと言うなかれ。拙者は、かなりのところ、そのように思っている。ご存知のように当時はコミンテルンの勢力が強かった。天皇を失えば共和制の美名のもとに、まかり間違ってコミンテルン一派の綱領路線にしたがって社会主義日本となっていたかもしれない。だが、社会主義だけは金輪際ごめんだ、とする君の言うところの右翼勢力の底力もあなどれまい。ようするに中東のどこかの地域のように、右と左の内乱内戦状態が七十年以上経っても、いまだに続いていたのかもしれないのだ。朝鮮半島の不幸を見るまでもないだろう。列島はこなごなに分断され区別され差別されめちゃくちゃになっていたはずだ。昭和も平成もへったくれもなく混乱につぐ混乱の戦後史であったとするなら、だいいち拙者も君も生まれてすらいなかったかもしれないのだよ。この際そうしたことをよくよく考えておきたまえ。

 

世に倦む日日・・・平成の30年間がよかったなどと思わない。悪くなった。何もかもが悪くなった。日本人はすっかり変わり、劣化して堕落した。人相も悪くなり、心が荒んで悪人の目つきになった。ウソばかり平気で言うようになった。左翼はしばき隊になった。変わってないのは両陛下だけだ。30年前と同じまま。

ふっふっ・・・還暦を越えてもなお元気な左巻きヒステリの異名をとって久しくも最近ではもっぱら世間から小ばかにされる一方のヨニウム君の平成への時代感想に対しては拙者としてもほぼ同感だ。ふっふっふっ・・・。

だがよ。新天皇も実に立派なお方だし皇后陛下も立派だ。今日にいたって御代替わりの大礼の由。みれば新時代の令和にふさわしいひな壇が作られた由。両陛下には世界にまたとない日本国特有の国柄の象徴として日々われら下々の国民を、ときに慰撫し、またときに鼓舞し、彼らわれらの暮らしぶりの幸いを祈り祈られつつの関係をたてまつる次第にござ候。

 

コメント (4)
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