だが「詩」の美しさという様なものはない・・・と続けてみた。
上は、小林秀雄の有名な一節・・・美しい「花」がある。だが「花」の美しさという様なものはない・・・を捩(もじ)ったつもりだが、軽々だと小林秀雄には叱られるかもしれない。それにしても最近つくづくと小林の残した幾多の逆説的言辞が身にしみてくる。さて、もう一つ思いついたので、叱られついでに掲げておく。
美しい「ヒト」がいる。だが「ヒト」の美しさという様なものはない
2024・09・09 記
だが「詩」の美しさという様なものはない・・・と続けてみた。
上は、小林秀雄の有名な一節・・・美しい「花」がある。だが「花」の美しさという様なものはない・・・を捩(もじ)ったつもりだが、軽々だと小林秀雄には叱られるかもしれない。それにしても最近つくづくと小林の残した幾多の逆説的言辞が身にしみてくる。さて、もう一つ思いついたので、叱られついでに掲げておく。
美しい「ヒト」がいる。だが「ヒト」の美しさという様なものはない
2024・09・09 記
以下もまた昔の記事だが・・・
小説家大江健三郎さんが老衰により亡くなられたとの訃報を今朝の新聞で見た。享年八十八というのだから大往生である。まずは大江健三郎さんの、ご冥福をお祈りしたい。長い間、お疲れ様でした。
この際、ひとつだけ大江さんについては文句をつけておきたいことがある。大江さんは晴れて1994年にノーベル文学賞を受賞された。氏自身、59歳のことであった。今から約30年前のことである。オスロだったかストックホルムだったかで受賞記念講演というものがあった。わたしたち日本国民は歓び勇んでテレビ中継に釘付けだった。だが、その講演は外国語(英語)でなされた。日本語ではなかったのである。なぜに、この晴れ舞台で受賞の喜びを、たどたどしい外国語で表明しなければならなかったのか。大江文学に日本語は切っても切れないものではなかったのか。
母語にたいして全幅の信頼が保てずに何やら疑義を残したまま、その母語を用いて売文商売に現(うつつ)を抜かしていたとなれば、それは不実なことである。さらに言わせていただければヒト科の生存にかかわる一般論として母語または祖国をして相対化した挙げ句に国際性とやらの個別言語にとっては実に不毛なる概念を今更ながらに事挙げては科学性および政治性などを具として他国、または他言語と比較するばかりなら、われら日本語しか知らない詩人の魂はどこに、その活路を見出せばよいのだろうか。大江さんには、そこのところを、もう少し真摯に考えてほしかった。
さても下の本の写真の左は、川端康成のノーベル文学賞授賞(1968年)講演集、右は(1994年授賞)大江健三郎のそれである。
改めて思うに、大江文学は明治期以降に始まる日本近代文学史の中でも、さすがに「下の下」とまでは言わないまでも、せいぜいが「中の下」といったところではなかろうか。大江健三郎は、日本と日本人を、そして「日本語」というものを見下し小バカにしては何事かを書きつつ生きつつ、そして商売してきた。自分が所属する国家及び国語との関係について、終始「あいまい」な逃げ隠れできる温室状態におき、それは彼の場合、最初からそれはそうだったのだが、結局最後まで自身を問い詰める困難な苦行だけは案外に、それも上手に避けたまま終わってしまった小説家だったように思う。詩人が政治めかして徒党したり仲間づくりを始めたら、それは、彼の中の言葉の終わりではないか。
以下、ずいぶんと昔の記事なのだが・・・
2013.02.18 読売新聞
齢十一歳の少年が、たかだか「学校統廃合に反対する」という、われわれにとっては耳にたこ状態にある、よく知られたところの反政府運動にいたる教条的言辞を守るために、ただただそのために自死してしまったという記事を読んだ。少年の通っている小学校は今年度をもって廃校されることがすでに決まっていてまもなく閉校式が挙行される予定であったとのこと。
それにしてもばかばかしくてならない。悲しいとも思わないし涙の一滴も出てこない。別の報道によれば自死する数日前にはクラス全員に教師の目を盗んで統廃合にイエスかノーかのアンケートを取っていたらしい。アンケートではクラス全員が統廃合にノーという回答を寄せていた。たぶんにアンケートなどというものは、それしきのものなのである。
おそらく当少年は親から教唆されて実行したアンケート活動だったのではないか。いずれにせよ今のところは邪推してみるしかないのだが当少年の親はようするに左翼言辞に振り回されている全国各地よくいる活動家風情ではなかったのか。学校統廃合反対は親の政治的徒党根性から出てきたスローガンではなかったのか。
この少年は親のイデオロギーこそ善行への道だとすっかり狂信していただけではなかったのか。そうであるとするならわたしは少年の親の仮面の下に隠された偽善と欺瞞を憎んで憎んで止まない。なにがいまさら「世の中を変えてほしい」だ。横っ面を張り倒してやりたい。
ロッテリアBセット喰ひつつ父親は子ども二人の行儀をただす・・・島田修三
<2014-05-15 記>
以下、昔の記事で悪いが・・・
<2020年1月16日 記>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00000007-hbcv-hok
上のアドレスはヤフー経由の北海道の田吾作テレビ局なりけりや。記事と動画があって、その内容は冬を迎える北海道で、この寒空の中どうして生きていったらよいのかと50代の男が訴えている。さしあたり石油ストーブが壊れたので買い替えたい。ついては、この男・・・その費用を行政(札幌市)が出すべきだと裁判に訴えたとのこと。
この男、生活保護者なり。そこで、こいつに言いたい。おまえな。お上頼みも、いい加減にしろよ。石油ストーブぐらい中古品が並ぶリサイクルショップなら千円で買えるだろ。てめの尻はてめで吹けって言うだろ、昔っから。
ひがな一日、ゴロゴロと寝そべってばかりいないで、ちったぁ体を動かせ体を。北海道の田吾作テレビも田吾作テレビだ。何一つ能も芸もない、ただの純粋貧乏を見世物にして何が楽しいのだ。
さても、生活保護の、このおやじ、なにか持病でも抱えていて外には出れないのかもしれない。されば、おめさんたち田吾作テレビの取材スタッフらが、100円づつでも持ち寄って、そのおっさんに土産としてストーブを買ってやって行けば済む話ではないのかね。あ~ん
下の記事はずいぶん昔に書いたものなのだが、現在でもなお一定の価値はあるだろうと持ち出してみたまでのこと。「盛者必衰」とか「奢れる人も久しからず」というが、せめて流行を疑うぐらいの常識を持とうではないか。それを「知性」と言うのではないのかね。皆の衆。かくいう拙者も若い頃は、その時々の流行思想に騙されっぱなしだった・・・。
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宮本百合子がソビエト留学から帰国(1930.11月)した直後に書いた短いエッセイがある。このエッセイに挿入されていた「未来都市」のイラストは、星型の城壁の中に息づく未来都市である。学校あり工場あり、宿舎あり、スポーツ施設ありというものだ。図を書いたのはソ連邦共産党が組織した少年団「ピオニール」に所属するユージェ君というモスクワ在の少年である。百合子は次のようにユージェ君の星型都市計画を、社会主義的であるとして大真面目に絶賛している。
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子供・子供・子供のモスクワ
ちょっと、この小地図を見る気はないか。
A 労働者住宅
B ソビエト農場「ピオニール」
C 運動グランド
D 労働者クラブ
1 天文学校
2 小学校
3 中学校
4 職業学校
5 託児所
6 子供の遊び場
7 ピオニールのクラブ
8 レーニン記念像
9 発電所
10 紡績工場
11 染工場
12 皮皮工場
13 織物工場
14 ピオニール野営所
もちろん、モスクワでもミンスクでもない。
雑誌「ピオニール」が子供たちから「私たちはどう暮らそう」という題で募集した社会主義的計画のひとつである。
社会主義的都市建設はCCCPにおいて計画から実現の時代に移っている。
ウラル・ドンパスその他、新興生産中心地だけはすでにいくつかの新都市が生まれた。
そこにもモスクワより合理的な生活の新様式があるのだが、このユージェ君のプランは、面白い。ソビエトの少年が、かの集団的生活、家庭における生活の実際経験から、社会主義的生活の理想のためにどんな都会を要求したか。
この「赤い星」形の樹木でかこまれた工業的都会は農村とどう連絡しあっているかを、市民の生産的社会労働の核をなすさまざまな工場が、その性質にしたがって或るものは川岸に、あるものは住宅近く配置されている点を注意してほしい。
ユージェ君は託児所について特別の関心をはらっている。大人のための労働者クラブは住宅区域の内に、ピオニールのクラブ、学校、子供の遊び場その他は東側の二隅に、すっかり分類されている。
大人の生活と子供の生活との間にある間隔の欲望、これは現在ソビエトの意識からある若い時代共通の望みだ。
ソビエトである程度以上年齢の差のある大人と子供は大人子供というより、根本的に世界観の違った旧人間と新人間の差である場合が多い。
彼らは社会主義国家の働き手として健康な集団生活の中で必要な訓練を安らかにうけることを望んでいる。
<新日本出版社刊「宮本百合子選集 第8巻」より>
そこで、百合子の文章に対してわたしが言いたいところは、冒頭のタイトルに尽きているのだが、ようするにユージェ少年の書いた未来都市の構想図は、百合子にとっても人々にとっても、実に、分かりやすいという、その一事だけのことなのである。言ってみれば社会主義というものが、その一語に尽きているのであろう。分かりやすい社会のことである。己にとって分かりやすければ、それでよいのである。当然、文化に表象される風土と歴史などは捨象されてしまう。考えても見たまえ、ロシアにはロシアの、モスクワにはモスクワの歴史に裏打ちされた文化や風土、人々の意識というものがあるはずだ。
これを少年の他愛ない願望は、一顧だにしない。できないのである。総じて子供というものは、歴史というものを痛切に感じることは、できないものである。土地土地の風土と文化には、社会主義や革命思想なのでは、とうていおっつかない重々たるものが流れている。これを知らないかぎり未来について、何を語れる資格があろう。歴史を考慮しなければ、社会というものは限りなく単純化することが可能だろう。だが、見てくれだけのことだ。目に見えるだけのことではないか。分かりやすく見えるというだけのことではないか。分かりやすいということと、人生はまったく別問題である。
分かりやすいということと幸福の到来は別問題である。昨今、世界の革命運動が、ぽしゃってしまったのは、こうした見えない歴史的力量に逆襲された結果だと私はそんなことを考えている。社会は社会科学者にさえ、実のところ、何も見えていないのである。自分の人生が一向によく見えないように世界や社会というものも、よくは見えないものなのだと、思っておくべきだろう。
見えているはずだというのは、傲慢が過ぎるというものだ。そのように思い込んでいるだけのことである。世間とは何かが、よく、分からないのは、どのように歴史が流れてきたかが、分かっていないからである。社会とは現象ではない。少なくても現象に集約することはできない存在である。他者という人間もそうだが、一目見れば分かるという、そういうものではないのである。
学問的に、どれほど深く研究しても結論は、すべて指の隙間から落ちこぼれていく。なぜなら社会というものは、生きているからである。それも水面下で、とうとうと流れている。また、日々、息づいている生き物だからである。水面下を、見ようとしなければ、歴史など、何一つ見えるはずもない。
わずか3年の滞在で、百合子にロシアのなにが分かったというのか。脳に描いた都市を、紙に写すだけなら、どんな構想図でも描けるだろう。百合子が好んで使っている「分類」という手法を用いれば、それこそ地図はいくらでも簡略化でき子供でも老人でも描けるのである。ユージェ君の描いた地図に、私がなによりも不満に思うのは、酒場、映画館などの娯楽施設が描かれていないことだ。笑い事ではあるまい。これではまるでヒトラーが作ったゲットーに紙一重ではないか。
<2006.05.02 記>
だがしかし、分かりやすいという罪は現代にも多々起こる。
2005年のことである。世田谷区民会館にて一大集会がもたれた。壇上には江川紹子さん、滝本太郎弁護士などが顔をそろえていた。2002年のNHKテレビドキュメンタリ番組「奇跡の詩人」以来、当の番組をめぐって、アオスジ立てて、当の番組はウソだと、根底的に批判し否定する滝本太郎氏も面を出すということで、彼が何を言い出すのかと遠路はるばる、わたしも集会に参加してみたのである。彼は話をしたのか、しなかったのか、今となってはよく覚えていない。わたしが面白かったのは、茶番もどきの手品師の手品のことなり。
シンポジウムの前半は立命館大学教授の安斉育郎氏の基調講演。安斉は手品が趣味だとしきりに自慢していた。講演中なんどかスプーン曲げを実演なさっていたが、70年代旧ソ連(ロシア)の出身で「超能力」によるスプーン曲げの妙技を一挙に世界に広めたユリゲラーも顔負けの見事な出来映えだった。安斉氏のお話をもとに私も集会から帰宅してさっそくスプーン曲げをやってみたら、できた!タネを明かせばテコの原理に尽きる。すると、スプーンの一番細く弱い首の部分がいとも簡単に曲がってしまう。
誰でもスプーンは曲がるのですと、安斉は強調する・・・よって、だから・・・昔、TVに出て儲けたロシア出身のユリゲラーは罪深い者であるかのごときに決めつけ、さんざんに詐欺師だぁ、食わせ者のだましやの手品師だぁと。どうやら演台登場のさいの持参したスプーンは10本以上であったようで、何度も何度も見事な「手品」を実演してくれるのです。1本曲げては、ユリゲラーを攻撃するわけです。ねっ、簡単でしょう。誰もできるでしょうと言いながら、またいとも簡単に手品を実演してくれるわけです。
これが科学者?おそらく安斉さんは、全国行脚の講演の旅。3日に明けずスプーンを曲げているのでしょう。ユリゲラーの詐欺を糾弾するという「名」のもとに。だけど、どうも変だ。あなたこそ、ユリゲラーのお陰で、こうして手品をしたり講演したりして飯を食っているんじゃないのかい?と。騙されてはいけませんと言いながら、月に数十本のスプーンを問屋から買ってきて、それでスプーン曲げ手品の二番煎じを演じて・・・・それで飯を食っているのが・・・あれまっちゃ・・・科学者たるあんたじゃなのかね。師匠たるユリゲラーを攻撃して、自分で手品やってる。もしかしたら、世の教師なんたるものの本質もここにあるのかにゃ?彼らこそ衆愚の心を撹乱して危機感をあおり、「正しいこと」はオレだけが知っている顔して、講演したり手品を演じたりして、売名し、本を出したりよ。これで商売しているのかにゃ。
こうした疑問が大きくなってきたわけです。「正しい」と言われている、彼らこそ不正な存在なのではないかという根本的疑問です。彼らこそ「抑圧する側」に立っているのではないのか!実は抑圧している側でありながら、抑圧された側に立っているという思いこみがある。ここから差し出がましい独善的な「正義」の言辞が出てくる。科学も理屈も、傲慢と独善に偏っていては、たちどころに似非科学となる。
安斉氏はユリゲラーの手品をパクっているに過ぎないのである。それ以上でも以下でもない。昔の名前で出てきた、二番煎じの手品師だ。集会に参加した私は安斉氏の手品(似非科学)にまんまとだまされるところであった。
安斉なにがしより最初のスプーン曲げの技術を開発した正真正銘の手品師ユリゲラーのほうがなんぼか偉いか。これ安斉なにがしよ。科学に名を借りて二番煎じの手品に興じてなんぼのお前さんは、どう思う。人の技をパクッてばかりいないで、たまには独自の新しい物事と法則を考察してみるのが科学ってもんじゃないのか。
<2006.01.10 記>
下は、ごくごく若い頃、書いた一文にござるが、その文章の拙いことといったら、恥ずかしくて穴があったら入りたいと思う一面、「平家物語」とは、一人の知識人が書き記した文書ではなく、地方地方の職人、名主また語り部どもが総動員されて、成り立った一書の物語であるとの結論は、取り下げるつもりは毛頭ないのであったのであったのだった。
@@@@@@@@@@@@@@
文体は精神のリズムであると申していたのが、小説の神様としてあがめられた志賀直哉その人でしたが、この説は、とてもよく分かります。知識とかボキャブラリーの質量から推し量ってみる傾向が強い今日この頃の国語教育の現場模様ですが、知識と文体は別腹、概念違いの愚の骨頂と申せましょう。よって田舎者には田舎者なりのリズムがあり、その心の鼓動に身を打ち負かせておくなれば、それが文体として形成されてくるに違いありません。そのよき例文を下に記しておきました。
私は、鎌倉後期あたりに、自分の文体の底流と奥義を求めて、この暑さの中、しきりにあえいでいるところなり。私の知る限りでは「平家物語」と「梁塵秘抄」をもって文体の手本となさしめようと心がけて以来久しいのですが、なんともはぁ、とてもじゃないが見果てぬ夢のまた夢。いまや文体どころの話ではなく、墓場行きが目の前となりました。トホホ・・・・。
平家物語 巻十一 第百二句
与一そのころ十八九なり。赤地、浅葱(あさぎ)の錦をもって、はた袖いろへたる直垂(ひたたれ)に、萌黄(もえぎ)にほひの鎧(よろい)着て、足白(あしじろ)の太刀(たち)を帯(は)き、中黒の矢の、その日のいくさに射(い)残したるに、薄切斑(うすぎりふ)に鷹の羽はぎまぜたる、ぬための鏑(かぶら)さし添えたり・・・兜(かぶと)をぬいで高紐(たかひだ)にかけ、御前(義経)にかしこまる。判官(義経)、「いかに与一、傾城(けいせい)のたてたる扇の真ん中射て、人にも見物させよ」とのたまへ・・・なぎさよりうちのぞんで見れば遠かりけり・・・をりふし風吹いて、船、ゆりすえ、ゆりあげ、扇、座敷にもさだまらずひらめきたり。沖には平家、一面に船を並べて見物す。与一・・・しばらく天に仰ぎ祈念申しけるは、「南無帰命頂礼(なむきみやうちょうらい)、御方(おかた)を守らせおはします正八幡大菩薩、別してわが国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神、願わくは、あの扇のまん中、射させて賜せたまえ・・・」と心のうちに祈念して、目をひらき見たりければ、風もすこし静まり、扇も射よげにぞなつたりける・・・十三束の鏑(かぶら)取ってつがひ、しばしたもちて放つ。弓はつよし、浦にひびくほど鳴りわたりて、扇のかなめより上一寸ばかりおいて、ひやうふつと射切つたれば、扇こらへず、三つに裂け、空へあがり、風にひともみもまれて、海へざつとぞ散りたりける・・・沖には平家船ばたをたたいて感じたり。陸には源氏箙(えびら)をたたいてどよめきたり。
与一の場合、平家の扇を射てんとて、義経から指名された後、馬はおろか装束一式を、源次郎党らから借り受け、あわてて、その場で身づくろいをしたに違いありません。沖はるかに小船にのって義経方を挑発してくる、平家の傾城の美女がささげる扇を前にして、それ相当の成り立ちをせねば、源氏の恥にござります。鎌倉殿に、申し訳がたちますまい。馬子にも衣装とは、そもそも那須与一の物語より発生したとかしないとか。浴衣に毛の生えた程度の貧しい装束は、その場に脱ぎ捨て、陣屋の裏のほうで、急いで着替えたのでござります。与一も数え19の春のこと。人生の晴れ舞台がまっておったのでござります。与一が、屋島くんだりまで、くっついてきたのも弓の腕だけは確かだったのです。
なにしろ「ナスノガ原」は広大無比。関東中を探しても、当時、狩場としてこれ以上有名なところもござりません。イノシシ、鹿、熊、鷹、雉など、食ってうまい、すべての獣が、遊びほうけておったとは、昔より土地に伝わるパラダイス伝説にござ候。これら勇ましい獣を相手に、学校にも行かず、毎日弓の練習に明け暮れたわけですから、弓の腕は、めきめき上達する一方にござります。おそらく合戦に参加したのも、領主様のご寵愛。馬でも引けというわけでしょう。訳も分から屋島まで源氏の一党に、くっついてはきたももの、そろそろなすのが原におわせられます田舎のかあちゃんやばあちゃんが恋しくて恋しくて、泣いていたのではないでしょうか。それにしても、見事なかぶら矢でしたな。与一はこうして、今につたわる郷土の英雄として奉られたにちがいありません。
私は、平家物語の上の箇所についても往時の「知識人」が書いたとは思いません。一般に「平家物語」は、登場人物たちの装束を詳しく述べたて、雰囲気を作り出す。普通名詞が語呂並べ。おそらく鎧や装束に詳しい職人郎党などが、さらに物語の原型に、言葉をさしはさみ、さらに物語を膨らませているのです。同じことは与一が祈る、故郷に祭られた神々にも及びます。日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神とある。これは下野の住人一党らの言葉のはしはし。田舎者であればこその証拠です。いわば知識人というよりは、いっそ落語家か、漫才師らの語り口と申せましょう。
それもあちゃこちゃに住みまたは放浪して各地方の田舎の習俗とうとうをよく知っているものどもの口吻こそ、さらにさらにと、書き記されて物語を膨らませているように思われるしだいです。一見して判ぜられるのは、近代人の大特徴とされる、どう思った、こう感じたとうとうの「心理」というものが一切書かれていないことです。あくまでも見たとおりが、そのまま叙述されている。心理の代わりに、語呂並べが置き換えられている。そこに人間の雄渾な姿が、リアルに浮かんでくるのでございます。おそらく近代人の私の邪推からすれば、那須といえば、下野も田舎も田舎。
足軽もどきで源平合戦に招集されて屋島まで、首に縄つけられほうほうのていで、くっついてきた舎弟格です。部下もいない最低の足軽もどきの与一が自前の馬に乗っていたとは思えないのです。鎧かぶともなかりせば、浴衣に毛のはえたほどの装束だったのではないでしょうか。たまたま、与一を引き連れてきた、領主なりが那須の原で弓矢での狩の名人として、それなりに名高かった与一に義経の御前に出ることを命じた。平家の挑発的扇打ちに名乗りを上げた将兵は数名いた。その中で義経が与一を指名したのは、あまりに貧しげな身なりに興味をもって、与一の意外性に賭けたとも思われるのでござります。
<2005年 記>
むかし撮った写真で恐縮するが、それに品川区とあるが区内のどこの町のどこの古道具屋だったのかは思い出せないのである。
2016.05.01 品川区
上のセリフを耳にしたのは30年ほど前のことだったか。さらに、それ以前にも、とある評論家の先生がテレビによって「一億総はくち化」が進むだろうと警鐘を鳴らしていた。さてもさても、事ここに至って、どうやらその通りになってきたようだ。
新年 あけましておめでとうございます
三年目に入らんとする当のウク露戦争が
単純に早く終わってほしいとは わたしは思わない
戦況は膠着状態が続いているようだが
わたしはロシア革命を御本尊となす 彼ら
コミンテルンの亡霊どもが憎くて憎くてならない
自由と平和を愛する世界市民よ
ウクライナに栄光あれ!
以下、以前(2022/07/22)に書いた記事で悪いが・・・
●チョウのようにしなやかに水面を羽ばたいた
と、前日(2021,04,04)に行われた日本水泳選手権において女子100mバタフライで優勝し、来たる東京オリンピック代表を内定させた池江選手を称える産経新聞スポーツ欄(川峰千尋記者)に、そう書かれてあって胸が熱くなった。
がんばれ 池江選手
がんばれ 東京オリンピック・パラリンピック
負けるな スポーツの力
●コミンテルンの茶坊主が
共産党おかかえの茶坊主兼ちょうちん持ちの弁護士宇都宮なにがしがネットを使って来たる「東京五輪を中止せよ」との署名活動をおっぱじめたのが一週間前(五月の連休明け)。どうやら全党を挙げての組織的な運動だったらしく党中央の発令のもと二日三日の間に指令を受け取った全国の党員党友がこぞって署名して、その数38万あまり一気呵成に署名したわりには、このざまだ。日本国民一億二千万中、せいぜい38万だ。察するに、この数こそ、かわいそうにも現代日本の共産主義者とその家族および直近支持者たちを加えて数えた正真正銘の現有勢力たる実数なのであったのであったのだった。こうして、この度の署名運動は「さざ波」にも及ばない雀の涙程度の日本共産党の政治的実力の実態を広く世にさらした結果に終わった次第であったのであったのだった。
●世に倦む日日・・・5月22日・・・開催地がアメリカだったら絶対にこんなこと(IOC会長バッハ氏の東京五輪開催発言)は言えない。アメリカの都市や州がロックダウン中で、世論の8割が強行開催に反対だったら、口が裂けても言えない。イギリスやフランスが開催地であっても、これは言えないし言わないだろう。
●世に倦む日日・・・6月10日・・・五輪中止を求めている声は多いと思う。実際どれくらいなのか分からないが、選挙で民意を確かめてもらいたい。8割なのか、5割なのか。強行開催の是非を問う選挙をやるべきだ。枝野幸男は日和ってちゃいけないね。風見鶏は負けの元。確信を持って中止を求め、解散総選挙に追い込まなきゃ。
枝野氏の肩を持つつもりは毛頭ないが風見鶏を言うなら、それはよほどヨニウム君に相違ない。世論調査の数に一喜一憂しては結局最後は黒か白かの紅衛兵運動に持ち込む。煽って煽って最後は壮大なガス抜き行動に打って出る。てめのツイッターこそ全国区だと、すっかり妄信してしまっているらしい。情弱なスマホザルの典型的事例だ。うぬぼれだけが自慢のこの低俗なる70年代左党のアホが。笑わせるな。
いいかい、よく聞けよ。IOCはともかく、来たるオリンピック及びパラリンピックの東京開催は、日本と世界との契約なのだよ。これは国内憲法の奥義すら超えた国際条約だ。日本国と日本国民が世界を相手に約束した平和の祭典だ。われわれが、この約束を守れなくてどうする。あ~ん
●選手たちが泣いている
無観客を泣いているのは誰なのか。競技者であり、選手たちだ。各国から選抜された代表選手たちだろう。彼らの卓抜した競技と演技を誰にも見せないと云う。選手たちに対して、なぜに、ここまでの残酷な仕打ちを与えねばならないのか。なんという極端な愚策に走ったのか。選手たちが気の毒でならない。
TVで観ればよい・・・だが、それはいよいよ選手たちを愚弄した話だ。TVで観られるのは、人気競技だけにすぎない。パラリンピックにいたっては競技全体の放映はほぼ皆無である。
せめて日本の子どもたちに世界からやってきた選手たちの活躍をじかに見させてやってほしい。57年前の東京オリンピックでのマラソン・アベベ選手の勇姿は日本の子どもたちに学校で習ったこととは一味も二味も違う世界についての強烈な新事実を教えたはずだ。
連日、むかしの記事の再掲載で申し訳ない。以下
●これ田吾よ <投稿者:泥ちゃん>
さて【赤煉瓦掲示板】と言う田吾作さんが管理されている、この世の芥の吹き溜まりの様な、いまや便所と化した掲示板がある。私も気晴らしに毎日何度となくその掲示板を覗いている。たまには気の惹かれる記事も有って書き込んだりする事もあるから、何のことは無い私も芥の一員らしい。我が名も泥炭と言う。芥川と泥炭とどっちが凄いか、死ぬまでには決着をつける心算でも居る。と、さて、この掲示板【赤煉瓦】で面白い記事を見つけた。森繁久弥に因む話題で、投稿者各位が【白夜】を語っている。さて、森繁の話に、以下のような尾ひれがついた。某投稿者によれば、白夜は本来は【はくや】と読んで【びゃくや】とは読まないのだという。田吾作さんが金田一京助と森繁の対談を紹介している。しかし、私はこの話では森繁に軍配を挙げる。なるほど「白日」は【はくじつ】と読んで【びゃくじつ】とは読まないはずではないか。白髪は【はくはつ】と読んで【びゃくはつ】とは読まない。しかし、白虎仮面は私が始めて漫画本を開いて見た時から【びゃっこかめん】だし、白蓮も【びゃくれん】と読む事が多い。されば「黒白をつける」という場合なども、【こくびゃく】であって【こくはく】でも「くろしろ」でもあるまい。つまり、白夜は【はくや】が正しくて【びゃくや】とは読まないというからには、国語学者たるもの、田吾作さんは、その根拠を示さねば成るまい。お笑いの森繁には笑いで済まされても、詩人森繁久弥の心中はどんなものだったろう。もっとも、私はこの金田一と森繁の対談については今井さんが赤煉瓦で紹介している以上の事は知らないので、どんな話のつながりでこんな会話があったのか分からない。金田一さんの事だから森繁の心を傷つけないだけのフォローはあったのだろう。しかし、もし根拠が単にそれが昔からの慣習だからだと言うようなら面白い。当時は知らず、白夜は今では【びゃくや】と読む人が多いそうだ。確かに、国語の読み方の正誤の判断基準としては【実際世間でどの様に読まれているか】は大きな要素に成ると思うが、金田一さんが今ご存命だったら何と言うだろうか。ちなみに白夜を人々が【びゃくや】と読む事が多くなったのは森繁久弥の知床旅情がヒットして以来の事らしい。【それが世の習い】程度の真実は変えられると言う良い実例とも言えよう。
●これ泥よ <投稿者:田吾ちゃん>
「白」という目に見える文字が、泥ちゃんの目を曇らせている。言葉はしゃべりが先行して、言語体系が出来上がってきた。幼児が、最初に覚える言葉は音声である。音として言葉を、耳で聞き、意味も知らずに、耳にした音の真似をして、自分の口から出してみる。これを繰り返すことによって、さらに言葉らしくなっていく。これが言語を獲得していく、誰しもが通ってきた道なのである。「白」というのは文字である。比して「しろ」または「しろい」という音声は、「白」という文字が中国から輸入される以前から、わが国に流通していたはずである。「しろ」という元来の日本語である話し言葉を中国からやってきた文字に当てはめて、誰かが「白」を用いた。こうした手法で読まれる発語される「読み」を「訓読み」と言われている。比して「白」を「はく」と読むのは、当時の中国語、そのものなのである。正確かどうかはしらないが、中国では「白」を「はく」に近い発声で、読んでいたにちがいない。それをも、また日本語化してきた経緯がある。文字ばかりでなく、中国語の発声すら日本語の中に挿入し、実際、使用してきた。漢字の音読みとは、中国語そのものなのだ。さて、話は進むし歴史も進む。文字がいきわたると、文字から話し言葉が生まれるという、逆転現象が見られる。「白」は「はく」と読むのが中国語であったのが、熟語が勝手に作られる。「白」と別個の漢字をくっつけて、どしどし新たな日本語が、生まれる。「白い夜」「白い鳥」「白い虎」うんぬんかんぬん。これを音読みにして「白夜」「白鳥」「白虎」と手紙その他文面にして書き記す。書き記されたものを、音声に変えてみずにはおれない。音声化されて、はじめてまっとうな文章だとか、正しい日本語ですたというわけだ。音声化できない文明は、ありえないのである。読めない文章はありえないのである。だが、読むという行為も、独特だ。ひとそれぞれという部分がかなりある。それにどんな外国語でもそうだが、人は記号(音、文字)を簡略化して、早いところ、本意を伝えようとようとする生活上の意欲がある。これが言葉を次から次へと変えていくのである。人口に膾炙されたところでは、たとえば英語のナイトゲームが、日本ではナイターと呼ばれ、日もたたぬうちから、ナイターと筆記され始めた。英語の「白いシャツ」という、そのままの意味で使われていたホワイトシャツを、聞き間違えのか、なんなのか。日本ではワイシャツと言い換えられ、そのように筆記されて久しい。かような問題は数々あって枚挙にいとまがない。さらに日本語自体でも、言葉の変遷は日々絶え間もないのである。「こんにちは」という挨拶の言葉がある。これを実際の音声では、どのように発声している場合が多いだろう。一音づつ、きちんと「こ・ん・に・ち・は」と発声している場合のほうが、むしろまれなのではないか。ときには「こんちわ」であり、ときには「ちわ~」という調子である。相手によって、また変えてみたりする、それが生きた言葉の有り様なのである。さて「白」についてだが、まれに「びゃく」と読むのは、喉の調子のよさ加減がそうさせたのだ。「白夜」を「はくや」などと読むのは、七面倒なのである。日本人の喉が、そう主張しているのだから詮方なし。びゃくやと読めば、物事は、すらすらといく。「白虎」を「しろとら」と呼ばってみても、ノロマな下司のかんぐりだ。音読みでいってみよう。音読みで「はくっこ」と何度も音に出して読んでみれば、おっつけ「びゃっこ」と、さらに気前よく聞こえてくるのは、目に見えているのである。喉がそのようになっているのである。「はくや」「はくや」と実際の音声に乗せ変えて何度も連続的に繰り返してみたまえ、三分もしないうちに、「びゃくや」と聞こえてくるから不思議だ。こうして、「はくや」よりは「びゃくや」と記することの流通が始まり、共通化するにいたったのである。
<2009.11.14 記>
またぞろ、むかし書いた記事の再掲載で申し訳ない。以下、<2007.01.13 記>
わたしが若い頃(70年代)は、まだまだマルクス主義全盛時代で、マルクスの評伝などが幾種類も書店に並んでいた。多くはソ連で書かれたものの翻訳本だった。その種の本の中に見た一文が忘れられない。それによるとマルクスは資本論の執筆に疲れると頭を休めるために高等数学の難問を解いていたというのである。似たような作家の話が頭にあった。それは流行作家の松本清張のことだった。彼はものすごい量の原稿を書いていることは、当時からよく知られていた。松本清張は、頭を休めるためになにをやったか。パチンコに行くのだそうだ。パチンコ台の前で着物姿にマフラーを首にまき、タバコをくわえた彼の写真を見たような気がする。そこにいくと、さすがにマルクスは頭の出来が違うと、ますます傾倒していった。
最近は、マルクスの本など、ほとんど手にすることはないが、若い頃に傾倒した思想やイデオロギーというものは、そうはやすやすとは頭を離れないものである。わたしが参加しているネット掲示板などにもマルクスの名や彼の主著たる「資本論」のことがしばしば話題に上ってくる。最近、ふと考えたのだが、マルクスは資本論執筆中、頭を休めるために高等数学をやっていたわけではないのではないかということだ。資本論は「数理」に満ちている。ページを開いてみれば分かるが、まぎれもなく立派な数式があちこちに散見できるのである。こうして「数理」を当てはめた結果、有名な剰余価値論、搾取、本源的蓄積、労働力、そして資本論冒頭の抽象的産物である商品の分類と分析が可能だった。
資本論の論理はたしかにヘーゲル譲りの進化論風弁証法だが、モノそれ自体の質量を語るとき、数理こそ論理を確たるものにするだろう。目の前で数を数えられては、落語の「時そば」よろしく、労働者は納得してしまうものである。かりに労働を「1」とし、商品を「1」とし、資本家を「2」として、計算が始まってしまったのである。
マルクス主義の理論的主柱である社会主義論、革命論、生産力の限りなき発展論等々とうとう。19世紀半ばから後半にかけて欧州を席巻した、まさに文明と産業が花開いていた、その世の有様に、さすがのマルクスもかなり扇動されていたという面もある。歴史は進みに進む。人類の進化も加速度的に発展している。ま、そのような感触は、なにも資本家だけのものではなかった。資本家を憎むマルクスにしてからに、同じような発展的進化論に埋没していたに違いない。マルクスが後半生を過ごしたロンドンではマルクス生前中に地下鉄が開通していた。
早い話が資本家の儲けも仮説の範疇なら、マルクスの革命論も仮説に過ぎなかった。仮説という範疇の中では、マルクスも共産主義も間違ってはいないのである。未来のことだ。株屋の予想ではないが計算の仕方でなんとでも描ける。マルクスは経済社会に数式を当てはめた。ある典型的な資本制社会をモデルとして自分で構築し、それを数学で検算してみた。モデルが先にあるということは結論が先にあったということだろう。結論から始めて最初の出来事に向かって逆算してみたという感じもする。それがマルクスの数学利用法だったのではないか。見つけ出した理屈のいくつかにエンゲルスともども喜悦した。エンゲルスはこれをもって社会主義は「空想から科学へ」移行したと宣言した。だがこれでさえ仮説である。科学は仮説そのものである。仮説ごときをを威張れるだろうか。威張れば、それは実践的にも学問的にも独善となる。
だれしも100円の仕入れ価格どうりに100円で売るバカはいないのである。古代から、それはそういうものだ。仕入れるにも労力が必要だからだ。その差額をもって商売というのだろう。差額をいくらにするか。ここが企業秘密といえば秘密の部分であった。顧客にいちいち仕入れ価格を公表している、店は見たことがない。この秘密の部分にマルクスは数学をつかって迫ったのである。出てくる出てくる。やれ搾取だ。剰余価値だ。本源的蓄積だと、言うわけである。マルクスが概念を与えた、名義を与えた。この功績は大きいだろう。数値をあたえられ、それを搾取と名づけられれば、だれも否定できない。だが、言い方を変えれば、それは単なる必要経費であり、仕入れのための交通費だとも言えるのである。こうして社会は科学的に分析された。数値を与えられたのである。それが科学だ。科学とは数理で説明する学問である。
ようするに、100円ショップである。なにもかも透明のセロファン袋につっこんで陳列しておけば、それで商品になる。すべての商品がレジでは「1」と数えられる。食品も老眼鏡も箒も、「1」として積算していけば、集計はじつに簡単で事務員をおく手間もはぶける。マルクスは、「資本論」でこれをやった。数学を介入させて、経済を説明したのである。もはや誰にも否定はできなかった。経済は2+2=4であると説明されては、もはや誰一人とて異論を出せる余地はない。マルクスの「資本論」は、むしろ経営学というものかもしれない。「資本論」を現代の資本家がきちんと勉強すれば、あれほど儲け仕事に知恵を授けてくれるものもない。資本論をよく学べば鬼に金棒となるだろう。「資本論」は、よほど資本家のための教科書であると言っては皮肉が過ぎるだろうか。
日本共産党中央委員会は、党本部を21世紀に躍進する党にふさわしく全面的に建て替えることを決めました・・・全国の党員と後援会員、支持者のみなさんの心のこもったご支援、ご協力をえて、この計画を立派に実現させたいと思います。計画実現の最大の保障となる建設資金は、中央委員会の建設積立金とともに、全国からの寄付、建設協力借入金によって確保する計画です。日本共産党へのご支援を心からお願いします。
完成予想図(地上11階 地下2階)
1999年9月 日本共産党中央委員会
郵便振替の場合は、党本部建設募金用の郵便振替用紙を使い、その通信欄に必要事項を記入し、下記の口座に送ってください。
郵便振替口座 00170-9-140321
日本共産党中央委員会
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大きな災害のたびに共産党は、ここぞとばかりに被災者が被災者がと全国の駅頭にて大声たてて被災者救済は、わが共産党にお任せくださいと、ちゃっかりと被災者の代行ばかりか、そのうち被災者自身に成り済ます。たとえば2016年の熊本地震のさいにも募金を集めたが、その時の口座番号も上に同じであった。集まった金は無事、選挙のために使わせていただきましたと深謝公言する正直者の、とある共産党国会議員の当時のツイートが暴露され大笑いされている。
おい、おい、どうなっているのかね、共産党のがま口は。昨今、公金チューチューという流行語が飛び交っているが共産党の場合は、さしずめ寄付金チューチューと言った次第かね、あ~ん。
さて以下は、むかし書いた記事の再掲だが・・・
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2015.05.02 東京都足立区
●世に倦む日日・・・JCP大会。注目は人事だが、90歳になる不破哲三が常任幹部会から引退するという情報がある。高齢の浜野忠夫と市田忠義も勇退。で、志位和夫が議長に、小池晃が委員長に昇格。となると、書記局長は誰がやるんだろう。田村智子かな。54歳。順当な線だ。35歳の山添拓ならプリンス大抜擢。
本日(2020.01.14)から始まっているようですね。日本共産党第28回党大会が。わたしは、彼らには何一つ期待はしていない。人事についても同様で、まったくもって興味なし。どこの馬の骨が引退しようと誰が党首になろうと書記局長になろうが、党勢の衰亡は止められないと思いますね。世相政情のリアリズムより理論と概念、すなわち教条や教義をよほど重んじてきた一党一派ですから。換言すれば足の爪先から頭のてっぺんまで覆われている独善的体質は目をおおわんばかり。偽善と二枚舌だけは天下一品。百戦錬磨のダブルスタンダード使い。それでも本人たちは、おれたちが一番正しいと信じているのですから開いた口もふさがりません。一種のカルト政党であることは間違いないでしょう。あまつさえ都合の悪いことは徹底的に隠蔽する。
●志位和夫・・・2月19日・・・党首会談では、志位から「野党連合政権に向けて歩みを進めるためにも、政策的一致点を広げるとともに、不一致点にどう対応するか、4点(日米安保条約、自衛隊、天皇の制度、社会主義・共産主義)について公式に各党に説明に伺いたい」と提案。枝野代表からお受けいただけるとのご返事がありました。
おいおいおいおい、またまた、ごまかすつもりかい、志位殿。枝野殿から問われた、それら4点こそ、日本共産党が、共産党たる大綱領では、ござらんか。それがなくては、共産党は共産党ではござらんばい。で、野党共闘を実現成立させるためには、どのように、立憲代表の枝野様宛てに、ご回答申し上げるのですか。国民は知っておりますよ。二枚舌のあなた方の決まりきった言い草による逃げ口上の屁理屈は、以下、例によって例の如し。
日米安保条約についてはですね。ですからですね、ですから何度も申した通り、国民のみなさまにもご安心たまわりたく存じ候。ですからね、ですから十年後二十年後、国民の総意が、まかり間違って安保条約は反対だっつうことになっちまったあかつきにはですね。もつろん共産党といたしましても、ほん時はほん時で本腰入れて全面的かつ徹底的に安保条約に反対する予定だす。
自衛隊についてはですね。憲法第九条違反は違反なのですが、とりあえず災害対策上なくてはならないものであり、いますぐなくせなどとは決して申してはおりません。徐々に徐々に、なくしていければ、それでよいのでありまするからして、どうか、ここは一つ、わたすどもの気持ちもちったぁ汲んでやってみて頂戴納豆。
さて天皇の件ですが、この件についてはですね。ようするにですね。ですから。それはその、あの~ その~ もし出来たならばですね、仮にですね、仮にでも百年後の日本国民が、天皇は必要ないとでも言い出すのであればですね。そのときは、やっぱ天皇の存在について、なんらかの結論が必要とされるのではないでしょうか。いずれ百年後のことです。わたすども共産党としてもいまのところは、天皇陛下万歳で行けるものなら、そりゃ行ってみても、よろしゅうござんすよ。何事も野党連合のためならば。
それから、あの~、よっつ目の課題として、何でしたっけ。ああ~、思い出しました。社会主義・共産主義の件ですね。それはですね。あの~我々の理念としてのですね。ですから、そりゃやっぱ、それだけは、その~、ですからですから、念仏代わりにでも、一応のところ名前だけでも残しておかにゃ~我々の存在価値が、それこそ無となってしまいますからね。決して、皆様に共産主義をして心の底から認めて欲しいなどとはこれっぽっちも思ってはござりません。社会主義・共産主義とは、カルトっぽく聞こえるかもしれませんが、腐っても鯛は鯛だす。腐ってもマルクスはマルクスでありゃしゃんせぇってな調子だす。賞味期限(ロシア革命 1917年)が切れて以来100年を超えた。それこそ腐り果てて腐臭芬々たるマルクス主義の奥義の中にこそ、われわれ共産党員およびアカハタ読者の、そこはかとない心の問題があるのですからして、決して決して今後一切、公の場で「万国の労働者は団結せよ!」などというテロリズムめいた革命的大法螺を吹いたりしないことを約束しますので、どうか、ここは、われわれをして野合連合に加えさせてはもらえませんでしょうか。平身低頭、よろしくお願いたてまつり候。
ハイ、野合連合から言われたことは何でもいたしますよ。かりに明日、緊急集会をば挙行するとなれば、そりゃもつろん、それ相応の動員はかけられますよ。必要な員数をそろえて無事送り出します。こうした下働きの動員数だけは、どこの政治団体にも負けません。例によってじいさんばあさんが中心ですが小沢一郎先生が云うとおりカネとカズこそ民主主義ですから納豆。カネの方は小沢先生の才覚におまかせするとしても、動員の方だけは我々共産党に全面的にお任せくだしゃんせ。定年退職教員あがりと自治労あがりの彼らは今のところ年はとっても足腰だけは丈夫だす。
●志位和夫・・・一部メディアは「野党はいつまで『桜』をやってんだ」という。お答えしよう。疑惑と責任を明らかにし、首相を辞めさせるまで徹底的にやると。首相の延命術は、次々起こる疑惑に一切答えず、逃げ回り、「慣れてもらう」「忘れてもらう」。ここに尽きる。今度こそこの延命術を決して許してはならない。
こりゃ、だめだ。共産党委員長の志位さんは国会を一日開催するにあたって国費(税金)がいくらかかっているかご存知か。一説によれば三億円だとのこと。毎日毎日、桜が咲いたか散ったかと春でもないのに、くだらない黒白漫才のために国民の目の前で三億円がドブに捨てられている。ますます疑惑が深まりましたって、何ヶ月やっているのだ。モリカケ以来、数年間、ますます疑惑が深まりましたってか。連日連夜、こればっかしだ。あんまし国民を馬鹿にするなよ。
国民は知っていますよ。あなた方が、なぜにそこまで「安倍辞めろ」のワン・スローガンに固執しているかを。憲法改正の話、およびシナ、朝鮮方面の話、さらに原発再稼動が日本にとっては、どうしても必要なこと、などなどの喫緊の課題について、いっさいこれらの議論を封殺しておきたいがためであることを。国会を私物化しているのは、よほどあなた方のほうでしょう。
●世に倦む日日・・・共産党が山口二郎を党大会に呼んだということは、正式に小選挙区制の軍門に降ったということだ。ずっと戦い続けてきた「政治改革」に対して降参して白旗。党名変更が視野に入っている。近々、政党助成金の受け取りに出るだろう。共産党も財政が逼迫して困っている。背に腹は。孤塁を放棄。落城。
政党助成金の受け取りは有るかもしれぬにゃ。恥を忍んでってところだろう。いずれ微妙なところだ。比して党名変更は即、解党を意味する。日本におけるマルクス主義および共産主義の最終的敗北であり消滅を意味する。今日明日中にできる決断ではないだろう。こればっかしは強力な老人力を発揮して院政を敷く不破哲三(当年90歳)配下のイエスマンに過ぎない志位和夫にも番頭職の小池晃にも到底無理な話だ。さてはて、それにしても小選挙区制の権化、政党助成金の生みの親、小沢一郎氏はどうしたのかね。前回の党大会では全国から集ってきた共産党のじいさんばあさんから割れんばかりの拍手喝采をもって迎えられた。金の亡者の民主主義の偏平体の、その実、自衛隊賛美者、憲法改正論者たる小沢一郎先生は今回の党大会には呼ばれていないのかね。あ~ん。
●世に倦む日日・・・共産党というのは理論家じゃないと党を引っ張って行くことができない。党を指導できない。不破哲三の跡継ぎがいないから、100歳になっても110歳になっても、永久に不破哲三に引っ張ってもらわないといけないということだ。無理ですよね。結局、党名変更(綱領放棄)しかないことになる。
ま、そんなところでしょう。現在90歳の不破哲三が100歳まで党を引っ張っていくとは申せ、十年なんてあっという間ですからね。十年後、党員の平均年齢は80歳となる。いくらなんでも、やっていけるわけがない。
以下は、その後記したる同事案なり
●有田芳生・・・9月26日・・・厳しい小沢一郎批判をしていた共産党も変わりました。僕の小沢一郎観は「宮本顕治さんのような大局観がある」というものです。「報道1930」(24日)。小沢発言のポイント。「野党は次の総選挙で政権を取り、われわれの主張を実現する。それが『次の次の選挙でもいい』では国民は受け入れない」。
上は、ついさきほど見た(立憲)参議員有田芳生氏のツイッター上の記事とそこに引かれてた新聞記事なのだが、もうずいぶん昔に共産党から除籍されてしまった後も、相変わらず90%はコミュニストに違いない有田芳生さんの喜悦している様子がよくわかる。
2017.01.16 産経新聞.
何の因果か
元はと言えば右と左で
天敵同士の芋大根が
この期に及んで
屁っつきやがった
金の亡者の小沢の一派と
数の亡者の代々木の一派は
ミソもクソも一緒に数える
二重基準の二枚舌
紅いべべ着た合作合金不純物
その場その時の色使い
ペンキを上塗り
ごまかしてきた
仮面かぶりの集大成
政治泡沫のガス抜き機構
笑わば笑えじいさんばあさん
古物半値の五割引
むくれっ面の万歳三唱
党利党略安保ンタン
末は墓場か絶滅危惧種
十年前の記事だが・・・
今日は夜勤明けで、職場の目の前にあるガソリンスタンドからレンタカーを借り出し母をたずねた。年末に患った流行感冒による点滴もはずされていて通常の食事ができるようになっていた。通常の、とは言ってもミキサー食なのだが。さて大正9年2月生まれの母はまもなく96歳の誕生日を迎える。母のためにも春よ来い来い早く来いと願わずにはおられない。病院からの帰り道、寒風にさらされた枯れ草の中に赤ちゃん用の靴下が転がっていた。
2014.01.11 熊谷市