赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼実習三日目

2007年02月28日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
実習最終日の三日目がやってきた。息子は一日目に続き、昨日も現場まで歩いていったのだが今朝は兄の自転車を借りていった。お天気もよい。

そういえば今年は現在までのところ東京(23区)ではまったく雪が降らなかった。これは観測史上始めてのことだそうだ。公的に観測が始まったのは1876年(明治9年)からだと聞く。この間、実に130年。東京でも毎年必ず降雪が見られたというのだから、むしろ、こちらのほうが不思議な感じがする。

それにしても一度ぐらいは雪を見たいという思いも断ちがたい。二三年前にはたしか3月になってから雪が降ったということもある。観測史上初の年となるかどうかは、4月になって桜の花が散る頃になってみなければ分からない。何事もそうだが予断は禁物である。
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▼ネット掲示板論

2007年02月27日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
某掲示板投稿記事・・・・当掲示板に投稿されている方の多くが合議制というものに対する民主主義上の幻想があるように思われます。必ずしも悪いこととは思いませんし、全面的に否定するつもりはないのですが。やはりひとつのネットサイトの運営に責任を持つ管理人さんは、投稿者や参加者からこうした前提を持たされると、不要な責任まで押し付けられて、やりづらくなるのではないでしょうか。みんな一緒でやるなら、負担も少なくなるだろうと思うのは、少々安易のように思われます。

わたしも6,7年前に、当掲示板を、それ以前の管理人さんから引き継いだ形で運営を任されましたが、どうもこれが、いつまでたっても明確にならなかったように思い出されます。端的にいえば、わたしとしては、もともと自分の掲示板を、それ以前にあった掲示板がおかれたサーバーごと閉鎖されるというので、題名を引き継いだというだけだったのですから、わたしの掲示板だと思っていました。そうした私の気持ちが、投稿者に反感を呼んだのだと思いますが、投稿者のみなさんは、どうしてもみんなの掲示板でなければ承知しないという観念が強かった。どちらがどうとは言えません。ここがはっきりできず、管理人としての私の気持ちは辛かったのです。

旧管理人さんに断った以上、「のれんわけ」と申しましょうか、後継と申しましょうか、そのような形になってしまったわけですから投稿者たちの言い分もわからないわけではなかったのですが、わたしの発言が相変わらず偉そうだとの意見があいつぎ、一年もしないうちに面倒になり閉鎖しました。さらに引き継ぐという方がいたので、容認したのですが、これもまた実にあいまいでした。
 
当掲示板の場合、こうして続いてきたことは事実ですから、古くからおられる投稿者の方々は運営一般も民主的な合議制のもとにあるべきだと思うものです。それが自慢だったりもする。そうしておけば掲示板も多数の投稿者が集まってくるはずであり、活況を呼ぶと考える。記事削除やアクセス禁止などの管理業務もいちいち投稿者の意見を募って、合議したあかつきに執行されるべきだと考え勝ちですが、これをやっていたのでは切がないのです。

本質上、成り立たないのです。何度も言いますが管理は管理人の専権事項にしておかなければ管理人を苦しめることになるのではないでしょうか。また管理人が複数いた場合も、よいことばかりでもありません。いちいち相談して合議しておかなければなりません。意見を一致させておかなければなりません。こうしたことが、掲示板の上に展開される討論や話し合いにとって、いかように作用するのか。議論の本筋には、ほとんど関係はないように思います。

わたしの時は、しょっちゅう、板の上で管理について投稿者との間で管理運営をめぐる考え方の違いをめぐる討論会という有様になってしまいました。わたしの力不足もあったのですが、そうした話は無益なことだったと、つくづく思います。

みんさん、当時は掲示板というものは、そういうものだと思っていたのです。合議制が大事で、過去ログをまもることが大事だと思い込んできた。だが合議制などという不要な観念が、管理人に無用な辛さを味あわせきたとも思うのです。
 
すでに当掲示板も8年が経過しました。何人もの方々が管理人の経験をされてきた。みなさんの本音は、いかがであったでしょう。板の盛況いかんにかかわらず、かならずしも満足にやりこなしたと自信を持って言える方は少ないのではないでしょうか。投稿者とやりあい、途中で、管理人を辞めると言って出て行ってしまった人もいた。それを思えば、複数管理人体制というのも考え物です。複数管理人体制、醵金制、合議制、また過去ログの公的保管等々は、決して良いことばかりではないと強調しておきたい。いつかも言いましたが、ネット環境の変遷ということもあります。

最近は、システムからして個々人のものになりつつあります。掲示板よりは、ブログや日記形式に移行されつつある。投稿者がそれぞれ自分のサイトを持つようになってきた。ひとつの掲示板に集中して投稿者が寄り集まっていたのは、ネットの初期症状に過ぎなかったとも思うのです。いまや、多くの方が自分のためのホームページなり、ブログをもたれている。だとするなら、当掲示板のこれからも、現在以上の投稿者に恵まれるということはないと、見ておくべきでしょう。

事細かなルールを作ったり、多数者で管理したり等々の剛直な体制を作っておけば、掲示板が活性化されるとも、書き込みが盛んになるとも思えません。一部の人たちが仲良くなればなるほど、それは大きな世間からみれば、孤立していくことなのです。団結や連帯が強固になるということは、排除されている人がいるからです。もちろん、誰が管理人であろうとなかろうと、どのような掲示板が作られようと、わたしは一投稿者以上にはなにもやれませんから、これ以上の差し出がましいことは言いませんが、民主的な方向での、合議や合意について、幻想をもったり無理をする必要はないのだと言いたかったまでのことです。

これまでに書き付けられた膨大な過去ログをなんとかしたいと言う方もおられたが、過去ログとは、現在の投稿者や管理人が、保管うんぬんについて一般的に責任が問われるようなものでは、決してないと断言したい。どうして、そのように単なる言葉の一群を、あたかも実物のごときに価値を求め、実際に価値があるものがごときに過信するのか。
 
過去ログの中には、自分の書いた文章もあって、それが大事だというならわかるが、それにしても、非常に個人的なことである。いかに自分の書いたものを大事に思ったとしても大事にする仕方は、当人次第だろう。保管するものもいれば、頭の良い人は記憶にとどめておくだけで足りるという人もいるだろう。人様の文書はもちろんだが、何年も前に自分の書いたものなど、いまさら読みたくもないと思う人もいるだろう。いずれ、何ひとつ人頼みにはできないと思っている。

また他人に、過去ログの扱い上、義理のあるようなことはないと信じている。幸いに、われわれは出版業者でも売文業者でもないはずだ。保管するのもしないのも言論の自由である。収集マニアが集めるのは、勝手の範囲だ。過去ログうんぬんなど、趣味の問題以上に出ないと思っている。古くされた文書をいじくりまわして喜んでいるなどということは、高じれば気持ちが悪いほどだ。悪い趣味だろう。もちろん過去ログに対して掲示板や管理人の責任は何ひとつ生まれない。掲示板の過去いっさい、残された文書文言、それらのあつかいをめぐって共有性や責任いかんを公的に論じなければならない筋合いはまったくないと言っておきたい。

当掲示板もサーバーの都合でまもなく閉鎖されると聞きます。前管理人からの引継ぎなど面倒だといって、この機に乗じて、当掲示板に似たような掲示板が出没するということも否定はできないことでしょう。自由に掲示板を開設する権利は誰にでもあるのですから。

<2920字>
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▼息子の教育実習

2007年02月26日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
夜間大学に通っている息子は現在春休み中だが、今日から三日間ほど教育実習だそうで、学校から指定された同区内の老人ホームに出かけていった。朝も早くからおきだして、かみさんが、ひさしぶりに腕を振るい弁当をつくっていた。ネクタイを締めながら息子が、ぜひとも海苔は二段にしてくれと注文をつけていた。そして今日は、いっそ現場まで歩いていくのだと言って、始業二時間も前に玄関を出て行った。
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ネット文学の矮小性をめぐって

2007年02月25日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

そうですね。当掲示板の閉鎖を告示されている管理人さんのおっしゃる通りかもしれません。管理人さんの言葉が胸にぐっときました。ぼくたちは、この春で義務教育を卒業するのかもしれませんね。当学校(掲示板)は廃校になるのでしょう。すでにこれまでに卒業していった方々もたくさんいた。管理人さんが下の記事で名を上げられている人たちの多くが、ご自分でそう考えて、実質卒業していったのだろう。そうはいっても、個々人の気持ちには温度差があって、中には卒業は認めない承服できないという方もいるでしょう。どうしても学校に残りたいという方は、ご自分で新しい学校なりを作ってみればよろしいのでしょう。いつの間にか、うむを言わさず最後の卒業期がやってきたのかもしれません。ネットも諸事情を加味すれば有限空間です。出会いがあればかならず別離がやってくるものです。じたばたしないで「定め」だと思って、受け入れるべきは受け入れるというもの大人らしい態度だと思います。管理人さんには頭が下がります。それからDさんの次なる提案についても賛成します。具体的な協力はできないと思いますが、気持ちだけなら応援しています。Dさんの個人的言論活動に対して誰が反対できましょう。

伝統の灯を消さないで下さい。継承者が居なければ私が管理業務は引き受けます。この過去ログを継承してゆく掲示板が私には何よりもかけがいの無いものです。お金に換えるなら何千万円もの価値があるものだと私は感じています。それはこの掲示板に関わった者がいつまでも参照できるよに公開されているべきものと考えます。決して一部の者の私的な価値観で勝手に閉鎖したり抹殺できるようなものではないはずです。

ただDさんの考え方にたいして、以下少々苦言を呈しておきたい。「伝統」に対する考え方がわたしとDさんではだいぶ違っているようで、Dさんの内心を満たしているであろう価値観やその結果としての実践活動にわたしは口を挟みません。少なくても私は、人様の過去ログを何千万円の価値があるとかないとかの議論にはくみしたくありません。過去ログは共有されるようなものでも、一つの掲示板に書き付けられた文言について、投稿者や管理人の責任が一般的に問われるようなものでは、決してないと断言したい。どうして、そのように単なる言葉の一群を、あたかも実物のごときに価値を求め、実際に価値があるものがごときに過信するのか。

過去ログの中には、自分の書いた文章もあって、それが大事だというならわかるが、それにしても、非常に個人的なことである。いかに自分の書いたものを大事に思ったとしても大事にする仕方は、当人次第だろう。保管するものもいれば、頭の良い人は記憶にとどめておくだけで足りるという人もいるだろう。人様の文書はもちろんだが、何年も前に自分の書いたものなど、いまさら読みたくもないと思う人もいるだろう。いずれ、何ひとつ人頼みにはできないと思っている。また他人に、過去ログの扱い上、義理のあるようなことはないと信じている。幸いに、われわれは出版業者でも売文業者でもないはずだ。保管するのもしないのも言論の自由である。収集マニアが集めるのは、勝手の範囲だ。過去ログうんぬんなど、趣味の問題以上に出ないと思っている。古くされた文書をいじくりまわして喜んでいるなどということは、高じれば気持ちが悪いほどだ。悪い趣味だろう。もちろん過去ログに対して掲示板や管理人の責任は何ひとつ生まれない。以上のように、文書というものに対する意識が、だいぶ私とDさんでは、大きくずれているように思う。もちろんDさんの趣味を正面から否定しているわけではない。掲示板の過去いっさい、残された文書文言、それらのあつかいをめぐって共有性や責任いかんを公的に論じなければならない筋合いはまったくないと言っておきたい。

相変わらず固定観念の押し付けですか。かもめさんは事実に基づいて考えることが何故できないのですか?
 
あなたはしきりに事実というが、あなたの言う「事実」とは、あなたの頭の中だけに浮かんでいる想念ではないのですか。わたしもそうですよ。わたしの頭の中にある事実に基づいて、お話しているのです。あなたも相当な「固定観念者」だと思いますよ。早い話、頑固者ということですよ。さらに話を早くすれば「老人は去れ」ということか知らん。
 
掲示板はかくあらねばならない等と言う法律は無いのです。
 
当たり前のことを言いなさるな。それを私が言っている。ただしルールは管理人ただ一人というのです。ルールとは行為のことです。行為者は執行者です。これがルールでしょう。投稿者各自が行為者になったらどういうことになりますかとお聞きしているのですよ。行為するとは、独断と偏見がかならずまじる。どのような行為でも反対する者もいるからです。それを成せるのは、管理人の専権だけでしょうと言うのです。あなたが百万言費やして、たとえば削除要求を出しても、管理人を動かさなければ削除には至らないでしょうという、簡単な事実です。そうした場合、あなたはどうします。

あなたが、某投稿者を非難しているのは、そのことでしょう。ならば、あなたの削除要求は通すべきで、某投稿者のしつこい削除要求は、やはりしつこいからダメなのですか。自己正当化もいい加減にしなさいというのです。それこそ固定観念ではありませんか。人は自分の要求はあくまで正しいと思いがちです。人が同じ事をやり始めると、目立って目だって仕方なくなる。見えていないのは、自分の姿だけですよ。人のことは、よく見えるものです。
 
様々な掲示板が存在して構わないのです。私の申し上げているのはこの掲示板には素晴らしい伝統があるからその伝統を大切にしてゆこうと言うだけの事なのです。
 
それは勝手ですが、わたしは、教育21板も、さまざまな掲示板の一つに過ぎないと思いますよ。なにも閉鎖を望んでいるわけではないが、形あるものはいつかは壊れるに、倣って言えば、いつかは閑古鳥がなくのですし、いつかは閉鎖されるのです。誕生してきた人間がいつかは死ぬようにです。それでよろしいではありませんかと言うのです。もちろん、活況を呈するのは喜ばしいことですが、それもこれも、われわれ投稿者が「読みやすい記事」、刺激的な記事、挑発的な記事などを、書けるかどうかにかかっていますよ。また新しい人が参加してくれるかどうか。さらに読者が広がっているのか等々に。

それは、管理人氏はもとより、あなたにも私にも、どうにもならないこともあるでしょうと言うのです。世相の流れというものもある。ムキになりなさるな。その思いがあるなら、ひたすら書くのみです。この数日間のあなたのようにね。それでよろしいと思いますよ。実行あるのみ、いくらスローガンをわめいていても、それは力にはなりませんよ。それに当掲示板は「すばらしい伝統がある」と言いますが、伝統なんて、たかが7,8年で構築できるものではないでしょう。大げさですよ。インターネットの総体をもって、これから伝統が作られていくのだと思いますね。文化という面もある。習俗という面もある。わたしは文学さえもネットにあり、これからの文学はネットを主として作成されていくと信じているほどです。それは、教育21板だけが、どうしたこうしたではないのです。閉鎖されれば、すぐ隣に新しい掲示板を作れば、それですむことではないですか。柔軟に考えてほしいですね。ハードやシステムとしてのネットや掲示板を過信することなかれ。いまや流行のケイタイといい、コンピュータといい、システムなど、たいした問題ではありませんよ。なければないで、やっていけますね。私の場合は、毛筆手紙に切り替えます。それはそれで楽しみなほどです。
 
素晴らしい伝統等幻想だとかもめさんは言うけれども、幻想でない証拠には、かもめさんの掲示板は閑古鳥が鳴いているのに、教育を語ろう21は既に8,9年もの長きに渡って継続されているのです。しかしこれは偶然ではありません。掲示板参加者の熱い協力が有ったればこその結果です。
 
それはそうでしょう。だが、投稿者が多いとか投稿量や読者数が多いということだけで、掲示板の価値は計れませんよ。さきざき何があるかは、分かりません。どのような大きな掲示板でも、突然に閉鎖ということも、よくあることです。気にするなということですよ。閉鎖、開設ともども、その価値はささいなことなのですよ。ましてや閑古鳥が鳴こうと、活況を呈しようと、案外に、三日天下のようなものですよ。それでいいじゃござんせんか。何度もいいますが、投稿者としてできることは、投稿するという、そのことに尽きているのです。
 
この掲示板を含めその前身の掲示板でも度々アラシの被害にあったり、そのあげくにプロバイダーに嫌われて閉鎖されたり、よそ様の掲示板の裁判沙汰のとばっちりで一方的に閉鎖されたり、随分色々ありましたがそれでも後継掲示板が再建され、従来からの投稿者がそこに再結集して、実質的にひとつの掲示板としてこの掲示板が維持されて来ました。前任の管理人さんが色々な事情から止めなければならなく成っても後を引き継いでくださる方が次々に現れて、前任者からの資産(過去ログ)や業務の引継ぎがスムーズに行 なわれてきたのも事実なら、有料掲示板が必要に成ればたちまち経費を分担する話が参加者から湧き出てそれが実行されて来たのも事実です。この様な協力関係が存在したからこそかくも長くこの掲示板は維持されて来たのです。
 
それを否定はしませんが、その種の話は、あまり管理人さんは、喜ばないかと思いますね。どこの管理人でもそうでしょう。なにが不満なのですか。永遠に続けろと強要されているような気がするばかりでしょう。一つの掲示板に、さほどの思い込みは不要ではないでしょうかと申しているのです。黙って、投稿するのみ。Dさんも、ご自分の掲示板なりブログなりを管理運営されると、よく分かると思いますよ。はっきり申しますが、当掲示板は「あなたの掲示板」ではないのです。もちろん古株の掲示板でも、誰かさんと誰かさんの掲示板でもない。言えるのは現在の管理人さんの、所有物です。管理運営という点では、あなたは無関係者です。投稿だけしていればよいのです。
 
そうした折々に参加者が掲示板の運営について深い関心を抱き、話し合いを重ねて来たのも事実でしょう。その事実を何故否定しなければ成らないのですか? その伝統を維持発展させようと言うことが何故いけないのですか。何故閑古鳥の鳴くようなかもめさんの掲示板の運営方法の真似をしなければ成らないのですか。
 
誰が私の運営方法の真似をせよと申しましたか。それに、意図して閑古鳥が鳴くように運営しているわけではありませんよ。だがある程度なら、盛況にすることはできるでしょう。ネットで知り合った誰かれとなく、批判非難する記事を書き込めば、たちどころに活況を呈しますよ。これは間違いありません。それに、しばらく他の用事で静かにしておきたいという事情などもある。こうしたことは、ある程度ならできますよ。それが何だというのですか。そんな他愛もない外見から、評価してもつまらないことでしょう。Dさんも、思想が薄いようですね。浅薄なりや。わたしは、わたしの掲示板も、あったりなかったり、閉じたり開いたり。それでよいと思っていますよ。

それにしても両端におかれた民主的「観念」が引っ張り合いをしている。広く投稿者を募って掲示板を活況にしたいという願望がある。一方、それに反するかのように良識ある投稿者だけで良き話をさらに深めたいとする願望がある。双方ともに実にまっとうな民主的願望だ。この相反する願望がメダルの表裏となり掲示板の上で綱引きをさせている。<5289字>

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乳母車

2007年02月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
三年前の年の暮れに撮ったもの。乳母車の中の赤ちゃんの汗でもぬぐってやろうとしたのか。赤ちゃんに手を差し伸べるため、かがんみこんでいる若いお母さんの髪の毛を午後の日差しが透けて通ってきた。
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ツマグロヒョウモン(♂)

2007年02月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
昨年10月12日のこと。午後になり、すぐそばの多摩川の河川敷にカメラをもって下りていった。セイタカアワダチソウが群生しているところに行ってみるとツマグロヒョウモン♂が花に止まっていた。この蝶の北限は静岡県あたりだと図鑑などには書かれているのだが数年前から東京でも見られるようになった。地球温暖化の現われだと言う。
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▼ネットにおける政治と文学

2007年02月22日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
どうも、あなたはマスメディアや既成政党と一緒に同床異夢にうつつを抜かしているようにしか見えないざんすよ。あなたの不満は、ソースがないので言及できないとか、書くには資料が足りませんとか、圧力が怖くて言い出せないと書けないことを他のせいにして自己正当化を計る情報弱者に甘んじているようにしか見えないのです。情報が足りないなどと不満をもらすなら、最初から言い出さなければよい。書かなければよい。どうしてご自分で成田でも皇居でもどこでもよいが、相手の動向を取材してこないのだ。来日しているという米国高官の動きを伝える報道が少なすぎて、書くにかけないとは、不平不満もよいといころ。ないものねだりだ。どうして自分の足を使わない。最初から人頼みでは、何一つたいした論評は望むべくもなくなる。その種の不平をあなたはしばしば言い出す。情報の収集や入手について、自分はまぎれもない弱者であることを認めてしまっていることだ。ならば書く必要など毛頭ないのですよ。知りもしないことを、どうして追いかけようとするのだ。そもそも、そこの動機が不純だろう。泣き言をたれている暇があるなら黙って畑でも耕してこいと小林秀雄ならそう言うだろう。ちなみに拙者の場合は新聞はとっておらんよ。週刊誌もよまない雑誌も読まない。ネットさえあれば、なんの不安も不満もないね。

ネットとはいえ、あなたは達者に筆をふるってきた。拙者はあなたも論者だと思っているから言うのですよ。自分の書くものが、井戸端会議で満足している町のおばちゃんたちの言説に同列でよいというなら、あたしゃ、あなたにはなにも言いませんよ。文章を書くということは、自分も論者であるという自覚が前提となるんじゃござんせんか。世迷言や繰言を書いているんですかい。それなら、それでかまいませんがね。少なくても、拙者が読みたいと思う文章とは筋が違ってきますね。政治に口を出すなというのじゃない。政治とは書くことも含めて行動だろうというのです。プロパガンダでもいいですよ。時には論敵を罵倒するのも、中傷するのも有効だ。政治だからでしょう。だが、おっつけ腐れてくるね。口先だけの言葉では。口先だけで有効なのは、文学だけだと拙者は思っておりますよ。文学は心だ。文学のために必要な情報なんぞ、他に求めても、しょうもないよ。確信だけを書けばよいではないか。人様から与えられた情報ほど見苦しいものはない。せいぜい、コピペッペの使いまわしだろう。コピー人間には、精神や心なんぞ一向に頓着する必要もないだろう。彼らの文章は終始、それにつきているし、また文章というものは、それでよしとする、そういう人種だ。草葉の陰で小林秀雄が笑っているだろう。

これで退散いたしますけどね。言葉の厳密さの問題だけではござんせんよ。それを言うなら精神の厳密さですよ。文章について、コピーかどうかの見境もつかないで使いまわすというのは、政治をやっているつもりならかまわないというのですよ。だが、そんな文章は三日もたてば、腐れてしまう文章の類だと言うのです。あたしに言わせれば、政治論文も文学ですよ。精神がこもっているなら。コピーでもいいですよ。覚悟があるなら。政治か文学か、どちらが優位かもくそもないのです。やってみるっきゃあるまいと申しているのです。書くということも高じれば、誰でもそうだと思うが我が精神の叙述を目指すんではないのですかと申しているのです。心底、政治をやりたいなら文章なんぞにこだわっていないでスローガンをぶら下げた飛行機をどこからか分捕ってきて東京タワーにでも突っ込んでみろというのです。政治も文学も覚悟が必要だろうというのですよ。吹けば飛ぶよなコピーを使いまわして屁も同然の文章を書いて、なにを満足しているのかとあなたの心に問うてみたのでござ候や。では、これにてごめん。

<1594字>
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初夏の東京タワー

2007年02月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
写真は一年前に撮ったもの。東京タワーとは月並みだが、この日の空の色が際立っていたこと、また画面に写しこまれた人々の姿が新鮮で、なにか懐かしい雰囲気がかもし出されており自分では気に入っている一枚だ。場所は増上寺の境内である。そのとき耳に入ってくる話し声から察するに、みなさん旅行で中国から来ている人たちのようだった。
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記事総数200件

2007年02月20日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法
02年の春から昨年暮れまで、「かもめの絵日記」というサイトを自分のホームページに作ってきた。ページの上段に写真を載せ、その下に文章を書くという形は、当ブログとほとんど同じだった。足掛け5年ということでページ数だけなら、結構な量になっていたが未記入の日も多く、また写真だけを載せて文章は一行も書かずにすます手抜きも目立った。当ブログをはじめたのは正月が明けて幾日もたっていない頃で当初は旧「絵日記」の写真と文章をすべてこちらに移植しようというアイデアは思いつかなかった。移植しようと思ったのは、ここに書き込みをはじめて半月ほどたってからだった。旧「絵日記」にある写真と文章を日付通りに、こちらに移すのは意外なほど簡単な作業だった。コンセプトが同じだったからだろう。最初の数日で記事総数100を掲載し、さらに200件を目指して作業を続けたが、それも昨日でほぼ終わった。残りは、かなり手を入れなければ移植不能である。5年といえば約1600日である。そのうち200日あまりしか日記を書いていなかったとは公開を前提としている以上、我ながら情けない思いがした。5年間、なにをやっていたのだろうか。自分の怠慢と才のなさを改めて痛感したところにござる。

(07.02.22→221件)
(07.02.26→227件)
(07.02.28→237件)
(07.03.01→245件)
(07.03.02→256件)
(07.03.04→270件)
(07.03.05→284件)
(07.03.07→308件)
(07.03.09→315件)
(07.03.13→330件)
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こいつぁ春から縁起がいいわぃ

2007年02月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
この写真こそ、数少ないわたしの秘蔵の傑作である、と誰がなんと言っても自分でそう思っている。三年前にとある街で撮ったものである。ほとんど正面からカメラを向けていたのだが、彼らは嫌がるそぶりをみせなかったばかりではない。商売柄とは言え、このような笑みをうかべてこちらに好意をしめしてくれた。彼らの気持ちが、この一枚に写しこまれていると、わたしはそう信じている。行きずりの人間に笑み以外の何を望むことができるだろう。
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初夏の母と子

2007年02月15日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
昨年の6月半ばに撮った写真です。朝から大雨が降っていた。それも昼ごろには上がり、午後になると一挙に雲がなくなり太陽が顔をのぞかせてきた。路面はまだ濡れていて、まぶしいほどに初夏の陽光が反射していた。
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春の町田市

2007年02月11日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
三年前の春先、ふと町田市まで足をのばした。この日はお天気もよく帰りは長津田まで歩いたことを覚えている。途中バスに乗ろうかと思ったが歩き通した。おかげでたくさんの写真を撮れた。
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▼「戦争責任」という自虐的概念

2007年02月02日 | ■教育年金管理人泥炭氏との対話
私達はまだ先の大戦の戦争責任を問う裁判をしていませんでしたね

そのような発想は悪徳です。政敵や論敵の弱みを探しだし、あげつらう。相手を屈服させれば、それでご自分は満足するという、ただそれだけのことではありませんか。比較検証とは聞こえがよいが、政治的言説の材料にするのが魂胆でしょう。政治とは戦いだ。ささないことでも、話し合っっただけで正邪の結論がつかなければ暴力が持ち出される。政治の延長が戦争だとは、よくできた道理で、泥炭さんの発想が、そもそも非常に政治的であり、こうした言説が戦争の呼び水になっているといっても過言ではない。過去の事跡に、どうしてそこまで白黒をつけなければ承知できないのか。歴史というものは、そういうものじゃない。人前で、死んだ子供の年を数えて、それが自慢になるのか。
 
あなたも私に同じで団塊世代だ。それに以前、あなたの父上は終戦直前に外地で戦死なされたと聞く。で、さらに聞くのだが、あなたの父上は敵側や現地人に対して、殺傷している事実はないのですか。自分の父に限っては、人を殺したり、傷つけたりしたことはいっさいないと言えるのですか。鉄砲を担いでいる以上、いえるものではないでしょう。あなたは、兵隊の子供ではないのか。戦争責任を人に問う前に、あなた自身はどうなのですか。まずは、兵隊を父として誕生してきた自分の戦争責任を問いたまえ。

あなただけは戦争責任から逃れているという確証を説明してから、他人の戦争責任を問うのが道理ではないのですか。わたしは戦後すぐに生まれた有象無象の日本人です。戦地からほうほうのていで、復員してきた兵隊たちが、われわれ団塊世代の父だ。わたしたちの父は戦地で何をやらされてきたのか。やってきたのか。あなたは何も聞いていないのですか。それでも、戦争が終われば生きていかねばなりませんよ。みなそれぞれに反省をして日本に引き上げてきたのでしょう。生きることを許されなければしょうもない。

やたらにアジア各地を侵略し、民間人を殺しまくってきたことは周知の事実です。ならば復員兵なども、帰ってきた港で、全員殺してしまったほうがよかったのか。いずれにしても、彼らは外地で、そのぐらいのことはやってきた。いっそ、日本はあのとき、滅亡していればよかったのか。中国や朝鮮に、身をささげればよかったのか。米国ではなく、中ソの言うとおりに領土を分割してしまえばよかったのか。
 
あなたは、なぜ、現在までのうのうと、生きてこられたのか。その意味を少しは考えたらどうですか。歴史とは、やたらに意味も理由も無く、人々がばさばさと死んでいった結果論だ。ここに正邪の問題など問うても、それはガキのちゃんばらだ。あなたも左翼新聞のコピーに明け暮れていないで、少しは現実的に思考なされたらいかがですか。戦争責任なんて、政府間どうしの単純な外交問題ですよ。取引の問題ですよ。
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道徳としての歴史感

2007年02月01日 | ■歴史的なあまりに歴史的な弁証法
われわれには何の罪もない、のではなくて、われわれは日本の歩んだ歴史を背負っているのだ。背負っている歴史に個人で対峙しなければならない。

いい言葉だ。これぞ歴史感覚というものだろう。死んだおやじの借財は物心ともども子どもが返済しなければならない。やがて返済すべき相手は他でもない自分であることを知るだろう。歴史は理屈ではない。いうなれば道徳だ。過去の幸も不幸も、すべてが俺たちの全身に引き継がれ、それが生きる糧となっている。過去がなかったら俺たちは、この世に生まれてさえいない。俺たちは過去から命をもらい、いやがおうでも日本の歴史を生きている。決してインターナショナルに生きているのではない。誰の命にも「定め」というものがある。「定め」の範囲でわれわれは生きている。過去の責務とは、なにも「さきの大戦」のことばかりじゃないだろう。そんなものは昨日今日のことだ。もっと大昔から「定め」られたものがあるということを知らなければならない。そこに、心底で感じている幸不幸の源泉があるのじゃ。それは本を読んだぐらいで分かる問題じゃない。心で歴史を感じることだ。まずは親の思いを知ることだ。知るより先に感じることだ。
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