赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼運転免許証更新

2006年12月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
先日、運転免許証の書き換え時期が到来したので警察署に言って書き換え手続きを行ってまいりました。前回書き換えより、無違反を通してきましたので手続きは、いたって簡単です。免許証の裏には「優」のハンコが押されてありました。なぜ「優」なのかと申しますと、ごんぞじの方はごぞんじかと思いますが、これはようするにこの間、自動車を運転するような機会がなかったということを意味しているにすぎません。そこで無免許運転ということがよく、ニュースなどで伝えられますが、このことが頭をかすめました。運転は上手だが、免許証を持っていない。つまり運転するに能力も技術もあるのだが、資格がないということです。原理的に考えるなら、これはおかしいことです。私の場合など、もう十年近く運転していないので、いざ運転するとなると、おそらく尻込みをするでしょう。もう運転技術がなくなっているかも知れず、車の運転が怖いほどなのです。免許証は「優」でも技術は「否」で、免許証の記録とわたしの技術的内実は、逆転しているというのが実際なのです。無免許運転者の場合は逆に技術はあるが、資格が無いということですが、こうした反転する現象に原理的に善悪を当てはめて、考えはじめると、それこそ眠るに眠れなくなるという具合です。わたしはその種の問題の立て方というものは、不毛な議論に落ち込みがちだと、最近ようやく分かってきました。ソクラテスの言葉は、生と死を分かつほどの、非常に大きな生活的意味を持っているように思われます。「公私混同」という言葉もあります。また「人間は社会的動物である」と言ったのは、アリストテレスだったと覚えていますが、これらみな同じことを指して言っているように思われます。学校にはカリキュラムと教師がいる。これらは自明のことです。カリキュラムもなく、教師のいない学校というものはありません。「私」が選択すれば、鈴木様が言われるような不幸な結果論は、すべて収まるはずだと思うばかりにござ候。好きなカリキュラムを生徒が自分で選べばよいではありませんか。学校が嫌なら、行かなければよいではありませんか。フォークダンスが嫌いなら、ダンスの輪に近づかなければよいではありませんか。好きでもないことをやろうとするから、怒鳴られる羽目になるのです。好きなことだけに徹すればよいのです。

私が、この先、車を運転する予定も、その意志もないにもかかわらず、なにゆえに免許証の書き換えに行ってきたのかと申しますと、運転免許証というものは現代では、あらゆる所で最高の身分証明書になるのです。その方面での使い道が大きいので書き換えに行ってきますた。車とも運転とも、関係ないのですが、それでは、いけませんか。担当のおまわりさんが教えてくれたところによると、70歳以上の運転免許証書き換え希望者に対しては、道路交通法が改正され、再試験のようなものが実施されるとのことです。実際に、わたしも含めたいわゆるペーパードライバーや免許者の高齢化による事故多発という実際があるのかどうかは知りません。確かに高齢者は体力も、視力も弱ってきますし、運転するのも若い人たちに比べれば、その能力はだいぶ落ちているとは言えましょう。だからと言って、高齢者ばかりが事故を起こすという現実もデータも見たことはありませんよ。よって、どうしてそのような政策や法改正が成されるのかは、私は知らないのです。同じことは学校教師などにもいえますね。今は一度教師資格を得ればそれは生涯通用するのですが、ときどき、再教育の義務付けや、また教師適正度を見るために再度の資格試験のようなことを義務付けるというものです。だからといっても、どうなるものでもないでしょう。いずれにしても気休めですよ。しかしながら、そうと決まれば、国民は従うより他はありません。私の場合は運転免許のことですが、70歳以上再試験となれば、文句のひとつも言わず従うでしょう。再試験とは再教育が必要とされる。久しぶりに運転を習わなければ試験には臨めません。その際の受講料というものが問題です。無料で習わせてくれるなら、習いにも行きましょう。だが、これに目をつけた業者なりが、わたしのところに習いに来てくださいと、高齢者運転学校なりを作って、結構高額な受講料を支払う羽目になるというなら、もう、私も運転免許証には拘りません。そのまま資格は失効するでしょう。仕方が無いことです。すると社会はどうなるかを想像するに、年よりは車の運転はできなくなるということなのです。またはできずらくなるということです。運転を職業としているお年寄りか、または自家用車を所有していて、普段から運転しているという以外の、お年よりからは、運転免許証を取り上げるということを意味しているのです。わたしは、かまいません。そんなことはたしたことではないのです。身分証明書としては、保険証でも持ってあるくことにいたしましょう。それでよろしいではございませんか。悪法も法なりです。<2051字>
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▼ケンカと「いじめ」は違うのか

2006年12月20日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
国家権力や雇われ教員が心への介入を強行するのは、無用な軋轢の原因を作ることにしかなりません。

たしかに軋轢こそ、「いじめ」現象につながるのかもしれません。その意味では一理はあるご意見だと思いますが。「国家権力」が国民の心にどのように介入してくるのかは、ただちには想像できませんが、教員といえば、普段より子供とつき合って、なんぼの職業です。心への介入といい、心と心の交流といい、これを全廃せよというのは、暴論だと思います。思うに「軋轢」を怖がるなと言いたいのです。よく人に迷惑をかけるなという言い方がありますが、私などは、反対です。迷惑をかけたりかけられたりしながら生きていくのが、世間というものではないでしょうか。軋轢といい迷惑といい、そうも怖がらずに、人々と交流する。そうした中には、確かにいろんな性格の人間もまじってきます。また関係が剣呑になってしまうということもある。そうしたさまざまな現場や人間性というものを経験するのも、決して悪いことではないように思うのでござります。私などは昭和30年代が小中学校時代でした。遠い昔のことですが、三日にあけず、誰かと殴りあったり、口げんかしたり、それはそれは子供とは言え、なかなかに忙しい日々だったように思い出されます。喧嘩しても、さほど後腐れがなかった。感情が残りません。三日もすれば、何事もなかったように忘れさることができました。子どもというものは、あっさりしたものです。

うらみつらみの悪意が尾を引かないのですね。そうしたところは大人とは、少々違うのでしょう。「いじめ」ということが騒がれておりますが、わたしは、取りざたする方向に今昔の問題が隠されているように思うのでござります。上で申したように、昔はおおっぴらに喧嘩もやれた。女の子だってやるときはやります。教室の中でも、結構、大声で、口げんかしていましたよ。こうした諸相が、時代とともに封殺されてきたのではないかと、考えるのです。封殺されると、どういうことになるか。陰湿になる、またはどうしても、教師や大人たちには、発見しずらくなり、さも陰湿になっているように見えてしまうのではないでしょうか。禁止されている行為は、隠されるものです。表立ってなどやっては馬鹿をみるのは、子どもでも知っていることです。裏にまわって喧嘩するより仕方なくなる。では、なにが封殺されてきたのか。喧嘩ばかりではないでしょう。乱暴行為一般が教室から排除された。それに暴言や方言です。時には私語さえも禁止される。言葉使いに気をつけましょうという標語があります。廊下を走ってはならない等々も耳にするところです。そしてこれら禁止事項を監視しているのは、現代では教師ばかりではない。昔に比べて学校には、保護者の目もだいぶ入ってくるようになってきた。子どもたちは借りてきた猫のようにしていなければならない。それは学校だけでしょうか。家庭ではどうなのか。地域ではどうなのか。

昔は、確かに学校は、厳しいところでした。それでも現代ほどではない。冒頭に申したように、教室のあちこちで取っ組みあいの喧嘩をやっていたり、大声を張り上げて口げんかをやっていた。なきながら子どもたちどうしで主張しあっていた。こうした場面が、あまりにも少なすぎる。子どもたちは解放されていない。家に帰っても、借りてきた猫をやめられないというのでは、どうしますか。地域とは言っても、遊び場なんぞ、どこにありますか。コンビニの入り口にたむろして、くっちゃべるぐらいしか自由な空間というものが、なくなっているのではないでしょうか。私には二人の息子がいます。ともに小中学校時代は、苦労がたえませんでした。結局、二人とも長く学校を休んで、やり過ごしていたのです。いわゆる不登校という逃げ道を有効につかって、子ども時代の隙間をぬうように、なんとか命だけは息災に暮らしてきた。不登校は、私の息子二人の個性に限ってみれば、これがベストの選択だっと思っているほどです。二人とも今は二十歳代になってしまいましたから、現代の小中学生時代をすごす、子どもたちの実際の気持ち、とりわけ学校での生活というものは、よくはしりませんが、全般に昔に比べて、必ずしも現代の子どもたちが、幸福であるとは、どこからも言えないように思うのです。端的に私の望みを言えば、もっともっと大きな歓声をあげつつ全身を動かして、遊び戯れてほしい。そうした子どもたちの姿を目にすることは、もうほとんどありません。それが将来、その子たちになにを及ぼすのかは知りませんが、私は昔のような素朴な、まるで犬か猫の子がそうであるような、人間の子どもたちのダイナミックな遊びというものがすっかり見ることができなくなって、いささか寂しい思いをしているのです。

こうしたことも環境のせいばかりにはできないでしょう。人為的に変えられてきたような気がするのです。封殺されたとは、剣呑な言い方ですが、そのことを言うのです。子どもとは、品行方正におとなしくあれば良いという、そんなものじゃない。教育とは、少なからず人間を鋳型にはめることですが、はめ込まれない部分というものはどの子にもあるはずだし、その部分を誰がどう処理するのか。そこが問題のように思うのです。親が、まかなうのか。子ども自身がやりくるするのか。むかしは後者を、世間の全体がおおむね認めていたような共通認識があった。それは自由な感覚だった。今はどうでしょう。子どもの自由の範囲は、昔に比べて、かなり狭くなっているように思うのです。こうしたことが、いじめ問題と、どのように切り結んでいるのかは、知りませんが、私には子どもたちの姿が、寂しくなる一方に思われてなりません。

かならずしもひどい殴り合いや取っ組み合いをしていたばかりではなかったのですが、殴るということについて、思い出したことがあるので、ご紹介しておきます。それは双方ともに、親が顔を出してこなくて助かったという好ましい事例です。中学生のときでした。昼休みはだいたい校庭に出て遊んでいる。ベルがなって午後の授業の開始が告げられ教室に戻ってくるのですが、四五人でかたまって教室に向かっているときに、なにが原因かは忘れたのですが、私が、一緒に歩いている一人の同級生の悪態をついたのです。すると普段はおとなしいと思っていた彼が、いきなり顔を殴りつけてきたのです。すぐ授業が始まるのだし、また私が悪いことを言ったのは分かっていましたから、彼に対して反撃するような気持ちは起こりませんでした。その一発で、彼も私も、気持ちはおさまっていたのでしょう。ところが、私の前歯が折れていたのです。授業中に気がつきました。舌ざわりが変なので、指でたしかめてみると、前歯が一本なくなっているのです。それにしては、落ちたような気配もなかった。どうやら飲み込んでしまったのでしょう。次の授業は、理科でした。教師が私を指して、おまえ前歯がないと可愛いらしい顔になったぞ、なんていわれてクラスのみんなと、へらへら笑っていたほどでした。家に帰っても、母親が、おや前歯がなくなっているねぇと、言うだけでした。わたしも、どうして歯がなくなったのかは母親に伝えるようなことはしませんでした。もちろん教師にも。私を殴った、彼とは中学校が終わるまで、それぞれの家にいったり来たりする親友になりました。彼は高校には行きませんでした。中学校を終えるとともに東京のお寿司屋さんに弟子入りしたと耳にしました。以後、一度も会っていないのです。

さて今度は、私が殴った話に移らせていただきます。このときも相手も親には親告しなかったようです。小学校5,6年生だったと思います。寒い冬の日のことです。登校時でした。やはり四五人が横一列にかたまって、あれこれと雑談をしながら学校に向かっていたのですが、私にひとつ年下の子が、すぐ私の横で、私の親や、家のことをなじってきたのです。おそらく彼の親などが噂していることを聞きかじって、非難していたのでしょう。わたしもいい加減に頭にきて、振り向きざまに、彼の横っ面を張り倒してやったのです。鼻血が出てきました。彼は顔を両手で押さえて、泣きながら来た道を反対に、家に帰っていったようです。私の家と彼の家は、ほとんど隣で、これは大事になるかと内心穏やかではありませんでしたが、それっきりでした。彼も次の日には何事もなかったように学校に来ていましたし。その朝、一緒だったみんなも、人を殴るようなことは、それまで一切なかった、私のことを、この朝からは一目おいてくれているようでした。彼が口が軽く、悪口ばかり言っているのは、周知の事実でした。私が殴りつけるほどのことだから、よほどのことだったのだろうと、見てくれたのでしょうか。それにしても鼻血を出しながら家に戻ってしまったのですから、親に言いつけられたかと思ったのですが、その後、なんの話もなかったので、彼もまた、私に殴られたとは、言わなかったと思われるのです。昔は、多くの場合、こんな調子だったのです。あれで子どもも、潔いと申しましょうか。かなりの矜持というものを持っているものでござります。自分の尻はちゃんと自分で拭くものでございます。親や教師が子ども間のことにくちばしを入れ始めると、反目関係が長引いたり、チクッたなとか言われ、ろくなことにはなりません。もちろん、こうしたことも程度問題だとは思うのですが。これもまた子どもの世界の自由度の大小で計ることができるような気がするのでございます。

殴り殴られの、上記のような事例があった場合。現代の保護者はいかなる対応を取るでしょうか。子どものことだと、見逃す勇気を持てるでしょうか。私の場合は、そうした大人たちの懐の深さと言いましょうか。広い視野といいましょうか。決して大人たちが何も見ていないということではないのかもしれません。許されている範囲の大きさの違いというものを感じるのでございます。そこに「子どもの自由」の範囲が設定されている。自由は広ければ広いほど、人は大きく育つはずだと確信します。少々のことでへこたれない、耐性というものも大事です。危機をいち早く察知するのは、嫌なことはしないという、怠け心のような精神かもしれません。なにもかも真正面から取り組めとか、とことんがんばれなどというのも、時と場合によりけりです。私は、嫌なことからは逃げるが勝ちの精神でここまでやってきました。その代わり、当然のことですが、人様に自慢できるような人間にはなれなかったと思っていますし、逆説ですが、かえってそのことが自慢といえば唯一の自慢なのです。<4379字>
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▼自死についてのわたすの感情的考察

2006年12月05日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

自殺時の心理や、その形態は十人十色です。どこから見ても自死にいたった当人を批難できないような場合もある。たとえば赤穂浪士による「忠臣蔵」物語は、集団自殺を覚悟した上での敵討ち行為でしたが、切腹命じられ自決したのも、ここにいたってすべての願いがかなったとさえ言うべきもので浪士らの心理は、それこそ華やいでいたのではないでしょうか。人々も、これを賞賛したのです。

第三者としてのわれわれは伝え聞く情報をもとに当事者の気持ちや現場にいたる当人の心理を読みとく以外に方法はありません。多かれ少なかれ邪推から始まり、自分勝手に物語を作って納得しています。昔は武士の場合では、死ぬことが分かっていて死に至るまでわずかの時間があるなら、誰もが辞世の句を詠むのがマナーでした。味方、敵方、処刑した体制派をいとわず、当人の死を悼み、これを大切に後世にまで残しておくのですよね。われわれはこの辞世の句をもって、その当人の死が、いかに立派であったか、死に望んで人間らしさを通したかが、了解できるのです。

今日では、遺書でしょうか。遺書にすべてがあると申しても過言ではありません。遺書が見苦しいものなら、その人の死も見苦しいものとなります。数日前に私は、円谷幸吉氏の遺書を当掲示板にコピーしてみましたが、いかなる諸事実が彼を死に向かわしめたかということは、死そのものとはほとんど関係ありませんよ。彼が彼自身の生を終わらしめたのです。事実はそれしかありません。遺書に書かれている以上の邪推は無用です。彼は、残された人々に、それを主張している。悪いのも正しいのも、すべて「私」だと。私の死を、ゆめゆめ他人のせいになど、しないで欲しいと。 ところが先般から騒がしいいじめ自殺とか、予告自殺の遺書らしきものとか、もうあまりに見苦しいテキストばかりが流されるので、見ていられないほどです。それほど死にたいなら、黙ってさっさと死ねばよいのです。

直接には関係のない、われわれには、それしか言いようもないでしょう。私が問題にしているのは、あくまでも、TVや新聞を通して私まで届いてくる彼らの言葉の性質です。それだけは確かに見たり読んだりしているからです。比して、彼らが死んだのか、いまでも生きているのか。それすら私には分かりませんよ。生きていながら、死んでやる、死んでやるとは、くだらない脅迫文以外のなにものでもないではありませんか。そんな文書を書いて、世間を騒がせて喜んでいるような小僧は刑務所にでもぶちこんで再教育させたほうがよいのです。世間と「言葉」を甘く見ているのです。

あなたはなにゆえに、新聞TVで見ただけの、遺書だとされるくだらない文書をみただけで、騒いでいるのですか。立派だとか、見苦しいだとかの下馬評もどきではないでしょう。それこそ生きるか死ぬかで許す許されないの、大騒ぎだ。なにを読んだのかね。いじめ遺書などというものから、なんの真実性が、あなたにまで伝わってきたのですか。あなたは尻馬になっているだけはないのかね。

それは、あなたの見た「いじめ遺書」というものが、あなたには異様に立派に見えたという証左ではないか。それとも見苦しいといえるのか。わたしは当初から、見苦しいと申してきた。あったらものに、扇動されるべきではないと言うです。ほうっておく知恵を持ちなさい。何も知りもしないのだから。誰が書いたものかさえ明らかにされていない。憤死ということもある。抗議死ということもある。焼身自殺という方法もある。いずれも、怒り心頭に発して、わが死を持って清算しようとするその熱情は、誰かに伝わらなければしょうがないだろう。遺書が無くても、多くの場合は伝わってきたし、伝えようとしてきたではないか。自分をいじめ殺した奴への報復に、死をもってするのは大きすぎるとは、言うまい。そういう場合もあるだろう。

ならばどうして憎き相手を特定し、彼らの犯行を並べ立て、憤死していかないのだ。それが生きているということだろう。少々、触わられたぐらいで、死にたくなったと言われても、その手の御仁に、なにができるのかね。どこの誰ともしれやしない。

助けにいくこともできないだろう。怪文書があるだけだ。われわれは、踊らされているのだけはないのかね。抗議死にもなっていないだろう。死んだか生きているかさえわからないのだから。 あなたも自分の子ども時代を、覚えておられると思うが、子どもというものは非常に敏感ですよ。空間感覚、時間感覚をはじめ、全身で重々と感じています。もちろん命の存在感をはじめ肉体感覚のすべてについて過敏にまで感じている。年をとるともに抽象的な観念ばかりが肥大して、命の実態なども、ほとんど忘れて暮らしているようなところがある。子どもはなんだかよく分からないながらに、それだけに「死」というものを非常に怖がるものです。死は自分の体のすぐ隣にいつでも存在している。わたしの息子も7,8歳のころでしたが、異常に死を怖がって寝付けなかったようなことがありました。

死ぬのが怖いと言いながら、幾晩も泣いていましたよ。なにかちょっとした契機さえあれば、自死にいたるのは、以外に簡単なのかもしれません。子どもは滅多に自殺しない生き物ではないと思います。命について、大人は感覚的に鈍磨されていますよ。 たとえば「死刑囚」ということがある。死刑の執行は、当日の朝、宣告されると耳にしました。問題は、死刑の結審が下って、すぐ刑の執行があるわけではないということです。少なくても数年は待たされる。いつ、執行されるのは、事実上、法務大臣の気分次第になっている。よって死刑囚たちは、毎日が天国と地獄の行ったりきたりということになる。今日は免れたが、明日こそ、刑の宣告がされるのではないとか、思えば眠るに眠れそうだ。最後の最後まで、じたばたとあばれる死刑囚も多いと聞く。その気持ちはわかる。だが死に望んで立派だったと言われるのは、やはりないもかも納得して死していく死刑囚ではないのだろうか。

ソクラテスがそうであったように。わたしも「悪法もまた法なり」と思っていますよ。最後まで、認められないものがあるから、死していくことに抵抗して、暴れているというのは、いかにも見苦しいと思うばかりにござ候。人っ子一人の死など、大勢に影響は無いというのも事実でしょう。ソクラテスはそれを悟ったのでしょう。 死刑囚の話は、私もいっとき興味があって、いろいろな本などを読みましたが、もっとも印象が深かったのは、正田昭さんにまつわる話です。戦後すぐメッカ事件を起こし二人ほど殺害したのだったか。裁判では否認もせずに、死刑が決まった。彼は慶応大学出の秀才だった。金を得るために、金貸しを呼び出し、その場でぶち殺してしまったのです。刑が執行されるまでの10年以上の間があったのではなかったか。当時、拘置所に精神科医として配属されていたのが作家の加賀乙彦氏でした。正田氏を主人公にした「宣告」という長編小説があります。

正田氏も「黙想ノート」(みすず書房)と題されたエッセイ集を残している。彼の死に際は見事であったと加賀氏は伝えています。瞑想ノートなどを読むと、正田氏は、その人格は死刑囚というよりは、ほとんど哲学者か宗教家にまで高まっています。こういう場合もあるのです。 文科省に自殺予告手紙を送りつけるのは、なんの問題もない。手紙一本で子どもたちの憂さが晴れるというなら。わたしは文部省の職員でも教師でもないですから。一向にかまいません。ただし、量が多くなると風化するのも早い。似たような怪文書が毎日届くとなれば、誰も詠むこともなく、ゴミ箱がこれまでの倍はある大きなものに変えられるだけですよ。

自殺予告手紙ばかりのことではないが、文章というものは洒落ているかどうかではないと思いますよ。誠心誠意からわが心証を明かすという気構えのある文章は、みな優れた文章になるはずです。文書がかけないなら俳句でも短歌でも一行の告発文でもよいでしょう。洒落も長短も関係ありませんよ。どんどん書いてみればよいのです。ただし、わたしは、自死をほのめかして、他人を仰天させようとするような、くだらない意図のもとに書かれた文章は読みたくないし、読まないですます立場を自慢しているのです。ましてや匿名だという。それでは、当人が、なにが言いたいのは、人には一向に伝わらないでしょう。心配御無用。事あるたびに、死んでやる、死んでやるなどと、さわいでいる馬鹿に限って長生きをするものですよ。

ま、自殺予告手紙などという怪文書を書いて喜んでいるような舎弟は反省させることが必要でしょう。実名で文部省なり大臣なりに投書できれば、こりゃたいしたものですよ。先般の文相あてに届いたとされる死亡予告手紙も実名であったとなれば文部省としても実際的な対応が取れるのであり、またプライバシーという問題からも報道に載せる必要は、まったくなくなります。文相宛てに手紙をよこした当の子どもさんに、文部省としても省をあげて十分な対応をしていたと思います。となれば、マスコミはおろか、国民は誰一人、そのような手紙があった事実も、直後の文部省の対応も、いっさい知ることはなかったでしょう。

「見苦しく死ね」などという「教育」がありますか。立派に死ぬということは、立派に生きるということでしょう。精一杯、立派に生きて、そして死ねばよいでしょうというのですよ。死を飾ることはできない。三島の馬鹿のように。最終的に、彼は自分に文才がないことを悟ったのですよ。それを隠すために、死を演出してなのですよ。

死をもって、自分の生を、芝居していたのですよ。それは彼の「檄文」と題された遺書を読めばよくわかります。自分の死を、人のせいにしているじゃないか。国や世間が悪いから、わたすは死ぬのだすという。これが見苦しいというのです。円谷幸吉氏の遺書に比べてごらんなさい。円谷氏は誰のせいにもしてない。肉親の一人一人の名を上げ、賞賛し、さらに元気に幸せに生きていってほしいと訴えている。自分もまた精一杯生きたことを、訴えている。自分で自分を完結させている。これが立派だというのです。子どもにもこういう精神を与えたいとは、思いませんか。死に至っても、ないものねだりや、ピーピーピーピーと不平不満の泣き言たれで、よだれたらして死んでいくのか。それを見苦しいという。そんな人間は、そもそも生きている価値すらない。不平不満その他、まだまだ遣り残したことがあるというなら、それらを勝ち取るまで、この先まだまだ、生きてみるよりしょうがねぇじゃないか。

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