赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ヴォーカル大好き<あおげば尊し>

2012年07月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、教育年金管理人掲示板より

泥炭さん、わたしはね。こう思うのですよ。
たしかに楽曲とか歌曲とか、それに付随されているテキストは
世界中に、何万何千とある。数え切れない。
原詩に、いかに忠実か?などという問題は、音楽や詩の真髄に
比してみれば、それは、目くそ鼻くその問題ではありませんか。
訳詩が、素晴らしければ、それはそれでよいのであり、
原詩なんぞ、忘れてしまったほうが、よほど現実的です。

もちろん原詩に興味があるなら、それはそれで個人的な趣味(学問)
の世界となり、他人のわたしは、あなたに対してやめろなどとはい
えませんがね。なんぼでも自の好みに訳してみればよいのです。

「あおげば尊し」という唱歌がありますね。わたしも大好きな歌ですが、
これは明治時代に小学校で使われた「文部省唱歌」のひとつです。

当時、学校教育が始まったばかりで、子どもたちに歌わせるための
「唱歌」が、たくさん急造されました。その多くが西洋の楽曲に日本語
を載せたものでした。中でも讃美歌が多かった。「あおげば尊し」の
場合は、アメリカのローカルな歌だったそうですが、その後、アメリカ
でさえも、誰が作って誰が歌っていたのかさえ、忘れらていたとのこと
です。たしかに原曲も家族友人たちとの別れの歌だったようですが、今日し
られている日本語による訳は、どう転んでも訳したなどとは、言えない代物
だった。だが、この日本語による言葉の美しさに、世界の、どの言語が対抗
できますか。

仰げば 尊し 我が師の恩
おしえの庭にも はや幾年
思えば いととし この年月
今こそ 別れめ いざさらば

実際、原詩などは、ほとんど無視されて、日本の子どもたちのために作られ
以後、全国民の愛唱歌として親しまれてきたのです。

それに、文部省唱歌というものは作曲家も作詞家もどこにも明示されて
いませんよね。わたしは、それで、よいのだと思います。

 

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▼トンボの詩

2012年07月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.31 川崎市

 

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▼酷暑の中で

2012年07月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.29 横浜市

 

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▼ロンドン五輪開幕 がんばれ日本

2012年07月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.26 産経新聞より

 

 

 

 わたしはスポーツが大好きだ。もちろん一流の彼らの奮戦ぶりをテレビジョンや写真などで見るのが、という但しがつくが。胸に「日の丸」を縫い付けて闘う選手たちに対して、人間として同胞として、第一義的に信用できるという感動が、わたしの胸を熱くする。

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▼弟への手紙

2012年07月25日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.25 横浜市

 

  一週間ほど前に弟から電話があってカラオケでも行こうと約した日が今日だったのだが、今日になって、どうも体が重く、横浜くんだりまで出かけていくのが億劫になり、事前に電話を入れて、また、いつかにしようぜと断った。会うのは久しぶりのことではあるし、互いの近況なりを飲みながら開陳しあうというのが、予想されたところだが、近況などのおおまかなところは電話で聞いていることだ。

  ただ、電話では述べ切れなかった仔細についてのことがある。そこで、弟に手紙を書くことにした。

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▼夏は来ぬ

2012年07月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.22 横浜市

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▼忘れえぬ人<プーシキン>

2012年07月23日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法


少年時代のプーシキン

 数日前にプーシキンの「オネーギン」を読み返した。手元には、金子幸彦訳のもの(中央公論社「世界の文学」プーシキン)と池田健太郎訳(岩波文庫「オネーギン」)との二種があって、最初は、どちらを読もうかと迷ったが、金子訳は、何度か読んでいるので、このたびは池田訳のほうを読んでみた。

 このさい、そもそも「オネーギン」は、とかプーシキンは・・・などと知ったかぶって解説してもつまらない。「オネーギン」を読み終えて、わたしが思ったのは、ちょうど二百年前の今頃、ロシアの首都近くに新しく作られた皇帝直属の学習院に当の詩人が入学したばかりであったはずだという隔世の感のようなものである。

1799年 誕生
1811年 リツェイ(学習院)入学
1831年 結婚
1833年 「オネーギン」完成 出版
1837年 決闘により死去

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▼雨後の野アザミ

2012年07月20日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.20 川崎市

 

 

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▼夏は来ぬ

2012年07月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.18 横浜市

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▼夏は来ぬ

2012年07月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.17 横浜市

 

 

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▼夏は来ぬ

2012年07月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.17 横浜市

  

 

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▼夏は来ぬ

2012年07月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.16 川崎市

 

 

 

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▼夏は来ぬ

2012年07月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.16 川崎市

 

 

 

 

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▼白百合の詩

2012年07月15日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.15 川崎市

 

 

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▼白ツユクサの詩

2012年07月13日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.07.13 川崎市

 

 

 

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