赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼老姉妹

2009年01月31日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法
上は、昨日(1月30日付)の毎日新聞「くらしナビ」欄にあった記事を切り抜いておき、ノートに貼り付けておいた紙片を、さらにデジカメで接写したものである。以前から、新聞など滅多に読まないと法螺をふいていたが、実際は、そうでもないのであって、投稿欄やら家庭欄、文化欄、週一回の新刊書評、また朝日新聞で言えば「天声人語」のようなちょっとしたコラム、さらに最近は短歌俳句欄を好んで読んでいる。それに昔は軽視するばかりだったが、「人生相談」も回答者によっては、なかなか面白い記事に成り立つものであることを発見した。わたしが毛嫌いしているのは細切れ状態の単発的な「報道」各種である。政治経済欄は言うに及ばず、いわゆる三面記事と言われる社会面、社説ですらそうだが、どこの馬の骨が書いているのか、一様に元来持病の流行病に正義病を併発させている重症患者の手によるものらしく、何一つ確信めいたもののない浅はかな主張ばかりだ。

歌詠みの姉妹(あねいもうと)のほむらなす語らひ尽きじ時よとまれよ・・・樋口美世
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▼さよならだけが人生だ

2009年01月24日 | ■小沢一派とその仲間たち
>この騒動で私は大きく「羽目をはずしてしまった」かのように捉えていた面があります。

もちろん第一当事者として羽目をはずしてしまったのがwatanabeさんです。watanabeさんが羽目をはずさなければ、おそらくモコモコ氏の長文メールが公にされ、後に週刊誌にとりあげらる等のように「事件」化することもなかったかもしれません。だが、羽目をはずすということこそ、当事者資格ではないのですか。男と女が、羽目をはずすようなことにならるから、つぎつぎに物語が生誕してくるのです。わたしは「当事者」であればこそ、各自「必死の面持ちで戦っていた」と書きましたが、取りざたされている過去について、そのことを自分に対しても、議論に参画されていたみなさんに対しても褒めておきたいのです。過去は、そのように語られなければならないと、最近、気がつきました。そのとき、すなわち現場性に立ち会っている当事者たるものは、戦いの真っ最中なのです。それが生活であり、人生というものですよ。きっと。教育というものも、そうしたものではないのでしょうか。当人は必死の面持ちで、それこそ気が狂うほどまでに戦闘状態に入っているのです。だが他の人には、それは実にくだらなくしか見えない反復練習のようにしか見えないということもある。懸命に生きているということは、他の人には滑稽に見えるものですよ。馬鹿にしか見えないものですよ。当人だけなのです。命の脈動を知っているのは。本当に自分のことを知っている人は、黙って人生を楽しんでいるのです。不平不満のあれこれ、それも何かというと他人を指弾して、満足を得ようとする人の言説というものは、なんの益にもなりません。詩にも歌にもなりません。わたしは、そう思います。かと言って、わたしはwatanabeさんの言動を封殺しようという気はまったくありません。その点だけは誤解なきように願います。わたしがwatanabeさんに、ここで言いたいことは、過去のあれこれについて感傷的に語るべからずと、いうことです。それは政治的にも文章的にも、何のためにもならないような気がするという、感想を述べてみたまでのことです。また、かといって、昨今の泥炭さんの記事のように、邪推に邪推を重ねたような根拠薄弱の見え透いた偽善を、いくら書き連ねても、泥炭さんご自身は当事者でもなんでもないのですから、不毛なる議論以外のなにものでもないでしょう。過去と現在は区切られている。過去は過去の当事者のものですよ。幸か不幸か、その場に泥炭さんは、いなかったのです。なにか新しいことが言いたいのなら、小説じたてに面白おかしく書き連ねて、三流週刊誌にでも売り込みなさい。それもまた衆愚の文章道だ。目も当てられません。過去を汚すなといいたいほどだ。大切なわたしたちの過去に、ドロ靴であがりこんでくるなと、言いたい。このように当時の人たちに対する今のわたしの気持ちは、だいぶ変わってきましたね。今では元気にされている、みなさんが輝いて見えてくるほどです。

>早い話、私が個人情報をあくまで転送しなければ、こうはならなかった訳ですから。

そりゃ、何もしなければ何も起こらなかったでしょう。だが、あなたはモコモコ氏から、長文メールを送りつけられた。ここまでは、あなたの意思の範囲を超えている。どうしたら、よかったのですか。モコモコ氏からのメールは、いっそ、読まなければ良かったとでも言うのでしょうか。それとも読むことは読んでも、わたしが昨日、申したように、黙して語らずで有奈氏には、もちろん誰に対しても黙ったままでいる。感想はおろか、モコモコ氏にレスを送ることもやめる。確かに、それもひとつの道だとは思いますよ。でも、その道が、正しかったかどうかはわかりませんよ。道というのは、四方八方に伸びている。どの道を行くのかは、まさに生きているからこそ迷うのです。どの道を行っても、本人の問題なのであり、善悪の問題、すなわち公性から判断できるようなことは、ないのです。歩くことは観念ではない。想像でもないのです。歩く行為です。行為だけが本人の中に歴史を刻むのです。いまさら、ああすればよかった、ああしなければよかったというのは、感傷主義です。センチメンタルです。watanabeさんを批判したくはないが、そこからは公的な議論はできなくなります。思考停止の世界が広がっているだけです。かつて、わたしは書きました。watanabe氏ばかりではないモコモコ氏も鈍角氏もよく戦ったと。PPM氏ですら、よく戦ったのです。それが過去というものですよ。

だが、次のような言い方もあるでしょうね。5年前の「週刊文春」記事で、非難がましく書き付けられてしまったモクモク氏、鈍角氏、それに桜さんの3名の心情たるや、推して知るべしというもので、いつまでたっても、自分が当の雑誌上で反論でもなんでもよいが、書けない以上、不平不満が、くすぶり続けているというのも、よく分かる話なのである。だが、見るところ、彼らはいずれも、最近は、なんど周辺のバカが、挑発しても、この話には乗ってこない。話をぶりかえして、自己正当化をはかっているのは、いずれも界隈で、もっとも脳が足りないといわれている、田吾作をはじめとする数名の舎弟連である。そこで、個人情報という問題を深めてみるために、次のような仮定の例題を考えて見た。すなわち、モクモク文書なるものが、匿名者によって、どこでもよいが、ある日突然、関係者一同が毎日のように閲覧している掲示板なり、その他のwebに公開されたものとする。あくまでも仮の話だ。

これをwatanabe氏も有田氏も同時に見たものとする。すると事柄は、いかなる方向に舵をとって、進んだのであろう。騒然となるのは必定だ。だが、個人情報もなにも、関係ない。有田氏にしてみれば、掲載された掲示板で、大汗かきかき、文意を否定する論陣を張らなければならなかったであろう。watanabeさんの立ち回りも、なかったはずだ。個人間のメールのやりとりは、ほとんど意味がなくなる。また誰が書いたかに始まる個人情報さぐりも、意味がなくなる。こうなれば、有名な「2ちゃんねる」のような状態になるのであろう。非難されている当人は、すでに何もかも公開されてしまい、反論すべきは反論し、根拠もない中傷は、笑って見過ごすこともできるかもしれない。あきれて、相手にするのもバカらしいということになるかもしれない。

さて、モクモク氏は有田氏に大いなる疑念を持った。自分のもとに集まってきた有田否定説なる情報を構築して、一文をなした。それがモクモク文書といわれるものである。そこまではよい。頭の良い中間知識人のやりそうなことだ。誰が誰を批判しようと言論の自由だ。問題は、この文書をどのように発表するかという、現場性にかかっていたのである。この現場性こそ、本人の思想信条の全面的な表現となる。言論の自由とは、この現場性をいかに見極めるかという、能力次第だ。モクモク氏は、この長文をメールにしてwatanabe氏に送りつけた。私信として、念を入れるため、公開しないでほしいと、実名まで記して、watanabe氏をけん制しておいた。これが、そもそも二束三文なのである。最初から、自分の書いた一文の信憑性を、びびくりまくっていたのである。公開するにはあまりにこっぱずかしい一文であることを、十分に自覚していたのである。こんなものが公開されては、有田氏から、何を言われるか分かったものではないと、いうことを十分に理解していたのである。だから密書にした。だから当メールは、見事に、その直後より関係者によって政治的な扱いを受けてきたともいえるだろう。わたしはモクモク氏に尋ねたことがある。どうして、おめさんは、せっかくの長文論評を掲示板に掲載しなかったんだぁ(しり上がり)と。

ところがモクモク氏は黙して語らず。おそらく、わたしの言っている意味が理解できなかったのであろう。政治を回避する、そのためにも言論の自由があるということを知らなかったのである。堂々と公開しないで、裏に回ってこそこそこそこそしているしか脳がないから、惨めな目にも会うのである。もちんろん、今日のモクモク氏の心証が、惨めでもなんでもないというなら、それはそれでよしとするべき、秋の七草。

萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝顔の花・・・・万葉集

全般、わたしは、議論というに、こちらのほうが、よほど健全だったと思うのである。当時は、誰もがウェブというもの、また誹謗中傷というものに対して未熟だったのである。人の噂や悪口に、どう対応するのか。難儀なことではあるが、これが一人一人に問われている重大事である。この際、強調しておきたい。言説なんてもんは、屁のごとしものなりき、時間が経てば、風とともに去りぬ。百姓上がりのど根性を見せてみろ。いちいち人の悪口、噂などを気にしながら、やっていけるかってんだ。影でこそこそ、拙者の悪口を言っている小僧は見つけ次第、獄門さらしだ。もちろん表だって、拙者の悪口を堂々と言えるほどの者は、また別途の扱いが必要で、なかには親友にしたいほどの大人物もいたりするのだから、不思議だ。最初は誰しも、人を誤解する。誤解を乗り切ったときに、出会いの喜びはまたひとしおである。このとき、思想の一端なりが、芽生える。「男の友情」という言葉があるが、これも上記のようなことである。誤解を乗り切ったときに、芽生える友情こそ、本物の友情である。誰しも最初は喧嘩をするものなのさ。「雨ふって地かたまる」とも、言う。「楽あれば苦あり」とも言う。それが歴史というもんです。

>過去は過去としてやってゆくしかない訳ですね。

その通りです。だが、なんと言っても当事者たる者の気持ちは、なかなか一度対決した相手とは、折り合いがつかず、悶々とした気持ちの状態が長い間続いていくということもあるでしょうね。性格にもよるでしょうが、寝て起きればケロリと直るというもんじゃない。それは分かりますよ。ですから理解しあうとか、納得するというよりは、実際にはよほど断絶せざるを得ない。二度と会わないと覚悟を決めなければならない。「さようなら」を言わざるを得ない。そういう付き合いの方法もあるのではないでしょうか。きちんと別れるということは、子供にはできないことです。大人だからできるのではないでしょうか。人間にとって、別れるのがベストだと言っているわけではないのです。永遠の別れなどという言葉があるが、広義の意味で、別れるという方法も悪くはないと思うのです。双方がそれぞれに道を選択し、なお生き続けるためには、別れは、どうしても必要なのだと思います。付き合いというものを、友人、知人など特定者にこだわる必要はない。別れる勇気を得て、はじめて友情とか愛情といわれる生臭い概念も、ある種の普遍的な地平というものに昇華していくはずだと信じています。ああ、話が変な方向に行ってしまったようです。悪しからず。さよならだけが人生だと言ったのは井伏鱒二でしたが、さようならをするのは、悪いことではありません。「さようなら」は善行の最たるものです。

さようならの前にあるものは腫れ物さえもうつくしい・・・金子光晴
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▼中古デジカメの初撮り

2009年01月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
今朝ほど、ヤフオク(ネットオークション)で安く落札したデジカメが出品者より届けられた。物は試しとばかりにさっそくそのカメラを試写してみるべく、これ見よがしに腰にぶらさげて散歩にでかけた。町内を三周ほどしたところ、まあまあ写せるという按配を確認し、結局、至極満足して帰宅したのは夕方だった。
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