赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼下町野良種猫族緊急集会

2005年11月28日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

デジタルカメラを入手し自分のホームページに写真を公開しはじめて以来、3年あまりとなる。平均して日に何十枚と写真を撮ってきた。被写体の多くは草木であり、街行く人々、また遊び戯れる子どもの姿である。さらに忘れてならないのは町内に生息する名もなき猫氏らのことである。人様と違って物言わぬことをよいことに、無断でレンズを向ける狼藉の数々。町内の猫族幹部諸君からは、プライバシーの侵害であると、数知れない顰蹙(ひんしゅく)をかってきたのが私だが。しばらく、こればかりは、止められそうにないのである。小ざかしく物知り顔で行きかう人族各位よりも、私にはよほど猫氏各位の風体の中に、万物共通の命の鮮やかさが見えてくるのである。

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武蔵小山から戸越銀座へ

2005年11月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
本日は、お日柄もよく武蔵小山駅で下車し、昔から名高いここのアーケード街を抜けて中原街道に出る。道路の向こう側が戸越銀座の入り口である。ここから、えんえん3キロに及ぶ一本道が商店街をなしている。これを端から端まで歩き大井町に至った。
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南京ハゼの紅葉

2005年11月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
30分ほど歩いていったところの公園に南京ハゼが植えられていることを思い出して、さっそくカメラを持って出かけてみた。南京ハゼの紅葉は緑と黄と赤が混在しながら進み、やがて樹の全体が真っ赤になり、またたく間に散り終わる。短い間に変わっていく、その色合いが見事なのである。南京ハゼ見物から帰宅したのが午後5時ごろだったか。以後、夜は12時までTV漬けだった。いったいどんな番組を観ていたのか後学のために記しておく。

PM5:30~6:00 大相撲九州場所(NHK総合)
PM7:00~8:30 映画「キューポラのある街」(東京MX)
PM9:00~10:00 米国製戦争ドラマ「コンバット」(NHK衛星)
PM10:00~11:00 NHKニュース10(NHK総合)
PM11:00~12:00 韓国製青春ドラマ「初恋」(NHK衛星)
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▼火事と喧嘩は江戸の華

2005年11月15日 | ■歴史的なあまりに歴史的な弁証法
人間の本能と言っても、昔から大きく変わってきたとは思えないが、その実際を言葉で現すには、実にピンからキリで、あきれるばかりの差がある。一概に言えるものではない。本能には、多かれ少なかれ痛さや辛さというものをさけ、できるかぎり心地よさを求める指向性がある。本能から発する欲望は限りない。心地よさに安住するなら、こちらから苦労を買ってでて自分の手を汚すばかりがのうではない。心地よさの中には、相手をやっつけて溜飲を下げるという心理もあれば、野次馬根性や尻馬根性も見逃せない本音だ。しりきに付和雷同するお祭り男。日がな一日、井戸端会議に明け暮れてそれとなくデマを流したり、他人をそそのかしたりしては喜んでいる世話焼きのおばちゃんもいる。町内をさんざんにかく乱しておいて、せんべぇでもかじりながら、ちゃっかり自分は高みの見物に打ち興じているというようなこともありえない話ではない。他人の不幸を喜ぶ習性は、なにも百姓や町人上がりの無知蒙昧の輩ばかりとは限らない。火事と喧嘩は江戸の華と言うが、大江戸100万都市は数年に一度のわりで大火に見舞われた。だが、これもある江戸研究者によれば 大火も江戸っ子には予定のうちに入ってきたらしい。逃げ足も速くなる。人命さえ助かれば長屋暮らしのその他おおぜいにとっては勿怪の幸いとまでは言わないまでも、火事を聞きつけて埼玉千葉神奈川の在から大工やら物売りやらが江戸市中になだれ込み、半月もしないうちに江戸は、大火などどこ吹く風で元通りになってしまったというのだから驚く。焼け出されても布団一枚あれば、たまにはテント暮らしもいいもんだというあたりだろうか。だいたい長屋というものからして、畳にしろ羽目板、屋根などのいっさいがきっちり寸法が統一された規格品から出来ていた。木材その他長屋一軒分の材料が、おおよそ馬車一台分だったらしい。郊外には これらの規格品が、うずたかく積まれて常に出番を待っていた。火事ともなれば、すわっとばかりに、これらが、いっせいに市中に運び込まれてくる。家財といっても、ナベ釜以上に大切なもの など思いも着かない。なにがなくても家族一同、命あってのものだねだった。結局、大家はともかく長屋住まいの店子たちには、さほどの損害はなかったと言うのである。江戸という町の構造と人々の意識に、明日の風は明日吹くという、済んだことは気にしない耐性があった 。だれもがモノにはあまりこだわることなく「いき」に暮らしていたのである。もちろん相互扶助や助け合いの精神も現代のわれわれ都市生活者のすれっからしとは比べようもなかった。町内を上げて子どもたちは大切にされていた。大火がくれば大工の仕事は増えるは八百屋が繁盛するは、使いっぱしりが尻をはしょって市中を走りまわっている。このように町は活気にあふれ庶民にとっては悪いことばかりではなかったと言う。火事にしろ戦争にしろ、まだその気配もしないうちから勝手に先読みしては噂におびえ戦々恐々としてピーピーピーピー泣いている風情に情緒や知性を感じたり杞憂を膨らませ 、それらしく屁理屈を立てて公言してはばからない逆さ理論が流行してきたのは情報が大量に独り歩きしはじめた近代社会の特徴である。 だが私には読み書きができ国際交流がさかんになり、誰しもが教養豊かな情報通になってしまった現代人の泣きの涙のセンチメンタルなどよりは「宵 越しの銭は持たない」と言ってのける江戸庶民たちの 、おおらかな楽天性によほど好感を持つのである。

<1456字>
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▼「日の丸」不起立教師との一問一答

2005年11月07日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
何度も言いますが、わが国の現行民主主義の基本と仕組みだけは守って行動する必要がある。やれ小泉は嫌だ。やれ石原都知事が気に入らない 等々とうとうと不平不満。ならば、別人を立候補させ選挙において雌雄を決する以外に方法は ないでしょう。あなたが立候補されて見たらどうですか。それほどまでに、彼らのことが憎くて憎くて夜も眠れないというなら選挙に出馬して戦ってみる以外に気持ちが癒される道はない。選挙が嫌なら 、爆弾を仕掛けて、やっつけちまうか、さもなければ心療内科にでも通ってみる ほかないでしょう。そこまで感情的になっているなら・・・。行動しなさい。行動して始めて、あなたの上の言葉が、心からのものか、またはデマじみた、たんなる口先だけのことなのかが分かるのです。

テレビメディアも、翼賛新聞も、戦争加担するだけのものは退場してもらう。こうしたメディアに載せられる民度は、改めてもらう。こうした日本の国民のためにならないものばかりがあふれかえっている今の情勢に、真に危機感をんもつ政党が現れるよう、私たちは日々努力しなければならない。

上に同じ。政党が現れるようにって、あなたの考えに合致するような政党など、金輪際、現れるわけがない。あなたが政党を作らないで誰が作る。あなたは満足しないでしょうや。どうして自分で立たないのだ。終始、人頼みだ。さもなければ年がら年中、不平不満の大アラシ。いったい、何を、どうしたいと言うのか。いっさいが、あなたの空想なのですよ。ないものねだりの甘えん坊なのですよ。自分の頭に沸き起こった空想は、自分で処理するべきだ。空想とはいえ、そうしたものもやはり、お上や国家、公権力になんとか処理してもらわねば満足しないのか。

かもめさんは、自らがどういうたたかいをしているか、表明してからものを言うべきです。

わたしがどういうたたかいをしているのかって、聞くまでもないこと。新聞もやめました。TVもできるだけ見ないようにしているところです。読書は苦手です。なんにも知らない無学な輩が私です。竹ヤリでも無料で配給してくれるなら、わたすも「たたかい」に参加できますかいな。それにしても足腰が弱ってきましたので、途中で、ぶっ倒れるかも知れません。足でまといがよいところです。ああ、面目ない。年は取りたくないものだ。そろそろ隠居を考えているところです。

根津公子さんに言及するなら、まず、日の丸君が代問題に、あなたはどう考えているのかということをのべてからにしてください。

ああ、あれね。あれであってもあれでなくても、どっちでもかまわん。国旗国歌などあってもなくてもどうでもええんだ。ほったらものを拝んでいるよりイモでも食っていたほうが腹の足しになる。そういえば今年春に次男坊が定時制高校を卒業したわさ。卒業式には、わたしも晴れて出席したものだ。君が代斉唱ちゅうものがあったな。私は歌詞を覚えていないので、よう、歌えなかった。もちろん起立をして、口をパカパカ開けて、歌っているふりをしてみただよ。あの歌詞も古色蒼然としているにゃ。なにを歌っているのかさーぱりだモナ。ええんでないのけ。英語の歌詞でないのが、勿怪の幸いだ。このように旗とか歌などは、実にいい加減な態度にしておけばええんだわさ。色が駄目だ、歌詞の意味が駄目だと言っていんじゃ、死ぬにも死に切れなく納豆。切もない。ほったら重箱の隅をつつきまわして揚げ足をとって運動だとほざいて自己満足しているような教師は、そもそもが能無しなんだ弁当箱は。根津殿にも、長壁氏から伝えておいてケロ。根津様もだいぶアホになっちまったようで、いい加減に老後のことでもかんがえて、いっそ隠居でもしてみたらどうかと、オラが申していたとな。

自らの姿勢は明らかにしないで、人の論評ばかりするのが右翼のやり方のようです。

やはりそうだったのか。昔から聞いて知っていた。右翼ってのは馬鹿ばっかだとにゃ。左翼も馬鹿だし、右翼はそれ以上の馬鹿なのけ?中には頭のよい舎弟衆もいるのだろうがにゃ。それにしても、 右も左も、そろいもそろってタダ飯食いの馬鹿ばっかでは世も末だわい。

かもめさんたちは、小泉のおこぼれをもらうためには、こどもや国民命を踏みつけにするのですかね。

はて、この文章の意味がよく分かりません。だいたい「かもめさんたち」という呼びかけが誤っている。私は一匹狼ですよ。ネットでは誰とでも仲良くし、また誰とでもケンカすることで有名です。小泉であれ大泉であれ悪い奴なら許しません。あなたの言う小泉とは現首相のことでしょうが、わたしが、彼からおこぼれをもらっているとは、どういうことか。ま、首相が国民のためを思って尽くすのは当たり前の話ですよね。個人的には付き合いはありませんよ。それに私が、どうしてこどもや国民を踏みつけにできるでしょうや。私は、名もなき貧しい初老男にすぎません。今や足腰が弱くなり、子どもと相撲をとっても負けてしまうほどです。

公権力が、学校現場=教育現場をアラシに来ているのですよ。

ま、アラシと見れば見えるのかも知れませんが、公権力が公教育上にある、学校や教育を統括したり管理運営をするのは当たり前の話ですよ。公権力から学校を切り離したほうがよいのですか。それは国民個々の自由の範囲といえるでしょう。私の場合など、二人の息子が二人とも、まともに義務学校には通わなかったのですから、保護者としての私も含めて、教育において、公権力の指図は受けなかったと自負しているところです。公権力が嫌なら、そんな場所から逃げてしまえばよいのです。その自由は保障されているでしょう。だからと言って、公権力が学校教育を見放すということに、あなたは納得できますか。あなたのように、なにがなんでも公権力と学校、教育、労働等々をつなげておきたいのではありませんか。根津さんもそうだ。どうして、そこまで非人間的だと思われる公権力にぶら下がっていなければ、暮らしも仕事も不可能なのか、人生が満足しないのか。私には、その点が実に不思議ですね。私が思うに、あなたの場合など、根っからの社会主義者なのだと推察しているところです。

本来、教師として「子どもを教え子を戦場に送らない」ため、体を張るのは教育者として当然です。 

理念としてなら、それはそれで立派に通用するでしょうが。ひたすら教条だけを守っているというもの時代錯誤のように感じますね。実践課題としてなら、それは徴兵制への危惧ということなのであり、杞憂にすぎませんよ。アジテーションでしょうや。戦後教育の出発にあたって教師たちが誓ったスローガンだったと思いますが、今や古色蒼然たる教条にしかすぎませんよ。自分の家の息子の話にだけに収めておくべきでしょう。どうして、そうも戦争戦争と危機感を煽りつけるのでしょうや。年がら年中、戦争戦争とうるさくてしょうがねぇ。

かもめさん、あなたのいうことは、侵略者のいうことです。例えば、米国がイラクに強奪に来て、「気にらなければ、イラクから出て行けばいいでしょう」というようなものです。

根津さんに対する、私の言い方がですか。日の丸君が代問題以降、利口な教師は、さっさと学校などからは、去っていった後の祭りでしょう。どうして学校を民営化しないのでしょうねぇ。それほど公からの指図が嫌なら、学校など閉鎖しちまうか、さっさと民営化すればよいだろうに。根津さんにしても、公務員という特権にしがみついているだけのようにしか見えません。君が代日の丸に反対など、子どもの教育にはなんの関係もないはずです。

アイヌでも沖縄でもそうですが、そもそも、先住民の土地を侵略し、植民地にすることが間違い。

いまさら、あなたがそんなことを申しても、しかたもないんじゃなかろうか。単純なセンチメンタルですよ。考えてもごらんなさい。あなたも私も、そうした過去の歴史を前提として、この列島に生まれてきたのでしょう。われわれの血の中にアイヌの血も沖縄も血も入っているというように、私は考えている。

過去のそうした蛮行をひとまず、反省して一から、今の状況を修正しながら未来を生きること。共生を考えることがまともな人間のやることです。

過去とは、どこまでを指すのでしょうや。まさか秀吉の朝鮮出兵まで、反省させられたり責任を取れといわれも、なんともはぁ、生まれてきて、すんませんってな調子ですな。自虐史観とは、よく言ったものです。あなたのような考え方を指すなら、ぴったりです。年がら年中、反省反省また反省の日々を送りましょうか。ああ、ワンカップ。

教育基本法・憲法改悪の先取りを、つまり、戦争国家へのシナリオが今、着々と実行されているということを、どうして、隠すのでしょうか、右翼の方々は。

それは右翼の人にお聞きください。あたしゃ、これでも若い頃は共産党員でしたから。いまでもマルクスは大好きだす。先日、資本論を引っ張り出して、序文だけでしたが読んでみればいつでも感動すますね。あれは。どうでやんしょう、わたすも左翼だと自認しているのですが、あなたに認めていただければ鬼に金棒です。かと言って、再入党はお断りだす。アカハタ配りは、ごめんこうむりまする。自転車がぼっこわれているものですからね。歩いて配れといわれたひには目も当てられません。ああ、まいった、まいった。

それに、選挙の結果は、小泉政権への支持率は半分以下でした。プロパガンダと小選挙区制のトリックが効いたまやかしのもの。

選挙の結果に納得できないのなら、どうぞ、過激派にでもテロでもやってみなされ。あなたの理屈でいえば、それっきゃ、あるまい。それで、どこに爆弾を仕掛けるかが問題ですが私の家のまわりにさえ、仕掛けるようなことをしなければ、私のほうからサツに密告はいたしません。あなたも議会制民主主義には満足できないお人のようですな。選挙の結果など、ものともしないという考えでは、あなたに残された道は過激派のテロリズムしかないだろうね。ま、見解の相違だから私は誰がテロに走ろうと、自分が襲われたりしない限り、逆上したりすることもなく、泰然とかまえていられるけれどね。しかしなんだな。銀河殿といい、千坂ちゃまといい、国民の下した選挙結果に不満だとは、国民の気持ちを否定していることだからねぇ。お三方の先行きが危ぶまれる。ああ、難儀だ、難儀だ。

さて、あなたは学校が職場だが、日の丸君が代については、どうしているのだろうね。きちんと起立して大声張り上げて歌っているんじゃないのかね。君が代、日の丸を果敢に拒否して矢面に立っている根津公子さんの「不起立の戦いに共闘してくれ」というメッセージを、千坂君はどのように受け止め、かつ実践しているのかしら。根津さんについて、私は虚心から言うのだが、さっさとほったら学校は見限って、新しい教育現場なりに再就職するべきだよね。原理から言うなら、それに教師各自が教育者であるという誇りを持っているなら、学校にこだわるべきではないのだ。教育と学校は違う。教育の本当の姿をどこまでも求めるべきだろう。日の丸掲揚が、教育にあいふさわしくないと言うなら、どうしていつまでも、そんな非教育現場に、腰を落ち着かせているのだろうか。教育より食い扶持が先が、公務員としての地位にしがみつきたいのか。それでは教育者とは呼べる筋合いない。ただの賃金労働者に過ぎない。自分の力で、子どもたちを集め、小さな学習塾なりを開設し運営している方々のほうが、よほど教育者らしく見えてくる。

お上を相手に旗の色違いや歌詞の内容をめぐって、毎日ケンカばかりしているというのは、いささか傲慢が過ぎるだろう。旗の色など、どうでもいいではないか。ほったら有様では、心安らかに教壇にたつこともできなくなる。子どもたちに教えることもできなくなるべ。教育どころではなくなる弁当箱だ。ほったら学校は、ケツをまくっておん出てくればよい。根津さんは心得違いをしているようですよ。学校で教育をしたいのか、それとも政治運動をしたいのか。後者であるなら、とんでもない教師ということになる。子どもたちが迷惑するだけだ。君が代・日の丸を拒否するのは根津さんの勝手だが、自分の思想を明確に表現するための戦いに明け暮れているということと、教育は別物だろう。子どもたちと接する機会を自ら狭めてしまっては公教師たる本分が本末転倒していると思わざるを得ない。

<5888字>
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「梁塵秘抄」

2005年11月06日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

『梁塵秘抄』を拾い読みする。

山伏の腰につけたる法螺貝(ほらがい)の
丁(ちょう)と落ち ていと割れ
砕けて物を思う頃かな

仏も昔は人なりき
我らも終(つい)には仏なり
三身仏性具せる身と
知らざりけるこそあはれなれ

恋しとよ
君恋しとよ
ゆかしとよ
逢はばや見ばや
見ばや見えばや

熊野へ参るには
紀路と伊勢路と
どれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば
紀路も伊勢路も遠からず

わが子は十余に成りぬらん
巫(かふなぎ)してこそ歩くなれ
田子の浦に汐ふむと 
如何(いか)に海人(あま)集(つど)ふらん
正(まさ)しとて 
問ひみ問はずみ嬲(なぶ)るらん
いとをしや
 
我等は何して老いぬらん
思へばいとこそあはれなれ
今は西方極楽の
弥陀の誓を念ずべし

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「罪と罰」 ドストエフスキー

2005年11月03日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法
「どん底」にあるのはさ、なんの温もりも暖かさもない、たっだの寒々した冷たさだけなんだよ

「どん底」とはどういう世界のことかも、よく考えれば人それぞれの印象があるだろう。たしかロシアの作家ゴーリキーに同名の作品があった。日本でも黒澤明が映画化していたように覚えているが、あれなんぞを観ればゴーリキーにしても黒澤にしても登場人物たちは一様にボロをまとわせているが、必ずしも彼らの人間性やおかれた境遇を、救い難いというようには描いていない。掃き溜めに鶴の手法だ。

たしかに誰が見ても彼らの暮らしている周囲というものはゴミタメ同然だが、彼らは美しく描かれている。人間はどんな境遇でも、それなりのプライドをもって人間性を自ら擁護しつつ毅然として生きていくということの主張なのではないだろうか。もちろん貴公には貴公の生活観というものがある。誰からも指図されない個人の自由がある。どこで働こうと、どこにネグラを求めようと、そなたが自分で決めればよいわけだ。安心したまえ。「どん底」が、それほど嫌なら「どん底」には近寄らなければ、それでよいだけの話だ。

それから、私が昨日「どん底まで行ってみなければ気がすまい」と言ったのはドストエフスキーに違いないと書いておいたが、もう一度再考してみればドスト氏にしても、なにも好き好んで、まるで小説の題材を求めるように「どん底」めざして頭から突っ込んでいくことを表明したのではない。彼にとって「どん底」とは他人事で済まされる問題ではなかった。周知のようにドスト氏は週に二度三度とぶったおれてしまう「てんかん」持ちで、これが、どれほど彼自身を常に「どん底」まで追い込んでいたか。生涯にわたる不治の病いだった。自分の心に底なしの黒々とした「どん底」を抱えていたのだ。

病いがいつ突発的にやってくるか。それは考えるだけでも彼を常時おびえさせていた。その種の恐怖が、どれほど日常的に彼を圧迫していたか。ドストエフスキーは、私のような凡人には、とてもじゃないが想像してもしつくせない、暗黒の「どん底」を抱えていたに違いない。常にその暗黒面を突きつけられながら生きるしか方法はなかったのだ。簡単に言えるものじゃないだろう。つまり彼がどん底まで行ってしまうと言明しているのは、たんに趣味や方法論の問題ではなく、余儀なくそうせざるを得ない、ひとつの宿命として納得せざるを得ない性質のものであったのだ。

「罪と罰」が「ロシア報知」という雑誌に連載が始まったのは1866年ということだが、驚くべきことに同雑誌の同号に、トルストイの大長編傑作「戦争と平和」の第一回原稿が掲載されたのである。トルストイは数歳ばかりドストエフスキーより若かった。私は「罪と罰」は計3回ほど通読したが、同じ読書でも、この本ばかりは年をとってから読んだときの感銘は若いころのそれとは雲泥の差があった。最初に読んだときは推理小説の化け物か、探偵小説ぐらいにしか思えなかった。三回目に読んだのは5,6年前のことで、人間存在の罪の深さを教えられる思いだった。墓場に入るまでに、もう一二度読んでみたい作品である。

比べてトルストイの「戦争と平和」は20年ほどまえに一度読み通したことがあり、その一度だけですが読み終えたときの感動がいまだに忘れられません。「罪と罰」も長い小説ですが「戦争と平和」は、その倍ほどはあるでしょう。読了したときは、それこそ全身が揺るがされるというたとえが良いかどうかは知りませんが、そんな感じでした。とても言葉につくせないという感覚が全身を満たしてきたのです。トルストイはドストエフスキーほど人間を複雑には描いておりません。非常に簡明で直線的かつ時間的空間的に広がりを感じます。こうした自然感覚に依拠している常識的な安堵感がある。ドストエフスキーの文章を読むと、ちょうどその反対に作用していくようです。登場人物たちの長セリフに付き合っていると、、どうも読者が作者にたぶらかされているような、または茶化されているような不審な感じに犯されるのですが、これを乗り切ったときの感銘が深く、ここにドストエフスキー文学の核心的部分が隠されているように思います。

登場してくる人物たちは、どいつもこいつもいささか戯画化されているが、たとえ芝居をさせても、どこまでも言葉を掘り下げて見ずにはおけないドストエフスキーの情熱が伝わってくる。ドストエフスキーは必要なら死者でさえ墓場から引っ張り出してきて舞台に立たせ演説をぶたせるに違いないのだ。このように人物を造形するにトルストイはやや感傷的であり時空感覚に依拠しているが、ドストエフスキーは人物を取り巻く自然や環境など、ほとんどおかまいなしに対話や会話を徹底させていく。ひたすら言葉だけで、舞台に立った人物の心をどこまでも掘り下げて行こうとするのである。言ってみれば作品を書くということはトルストイの場合は「最良の人間」を求めているように思われるに比して、ドストエフスキーは「最良の精神」を求めていたような感じがする。

ドストエフスキーの度し難い深刻癖と、苦虫を噛み潰したような相貌は、思ったように世間から受け入れられなかった不満を示している。書いても書いても、正当に評価されることはなかった。彼に同時代の作家と言えばトルストイとツルゲーネフだが、この二人に比べればドスト氏の原稿料は半分だった。ロマンチックで明解な二人の作風に比べればドストエフスキーの作品は一様に難解で、読者の数も限られていた。彼を心から理解していたのは兄と妻だけだった。対社会という面では生涯、気が晴れたことはなかったように思う。うらみつらみの憤怒を燃やし続けて死んでいった。ただ作品には必ずしも、そうした一面だけが描写されているわけではない。芸術の不思議な作用だ。

作品を読んだだけで作者の素性が簡単に分かってしまうようなようなものは二流三流に決まっている。私小説のセンチメンタルだ。「罪と罰」をはじめドスト氏の作品も非常に複雑な認識の過程を読者に要求してくる。その謎を読み解いたものだけが彼の作品の価値を発見し、彼の作った物語を正当に理解し他にかえがたい新しい人間的感興を記憶に残させてくれるのである。

もちろん、田舎住まいの私など誰に比べてもまだまだで、いまだ尻の青いひよっ子である。かろうじて遠くにドスト氏の「どん底」が見え隠れしてきた程度だ。その底に潜ってみるには気の遠くなるような道のりを覚悟しなければならないだろう。それほどドストエフスキーの文学は奥が深いのである。<2785字>
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