ケータイと言えば、人の姿が一変したほどですね。電車に乗っていても、歩いていても、みんながみんなケータイを覗いています。のぞきながら歩き、電車に乗り食事をしたりしている。ケータイばかりは、日がな一日、一時も離さない。心配なのは、ケータイが及ぼす子どもへの影響です。子どもがケータイをどのように使うかという話しはよく聞きますが、それよりも私が心配するのは幼児をつれて歩いている若い母親の姿です。彼女たちも一様にケータイを持っています。そして常にケータイをのぞいています。電車の中であれ、乳母車を押しながらの散歩の途中であれ見境なしです。ケータイを覗いているときは、だいたい子どもに背を向けている。家でもそんな調子だとするなら、親子の対話どころの話ではないでしょう。子どもは母親の顔も知らないまま育つのでしょうか。親の喜怒哀楽の感情によって作られる細やかな表情や言葉を聞いて、始めて情操教育と言えるのではないでしょうか。四六時中子どもには背中を向けてケータイをのぞき込んでいるのが親の姿であるなら、子どもに親の何が伝わるのでしょう。子どもは親の背中を見て育つなんてことわざも確かにありますが、それとこれとは別物です。かようにケータイは、人を寂しくさせる罪な道具にござ候。