半年も前に下の弟から、一束の小説原稿を送ってもらっておきながら、読まずにいたところ、先日弟からメールが来て、さっさと読めとせっつかれ、重い腰を上げ読んでみたのである。原稿枚数にして400枚ほどの、なかなかの大作である。実に面白かった。だが、それは、面白そうなところだけを選んで読んだからである。おおよそ3分の1ほどは未読のままだ。それにしても文中、明らかに兄の私がモデルとなっていると思われる描写もあって、冷や汗をかく思いがした。その他の部分でも、大笑いさせられたり、ドキリとしたり興奮さめやらずで、寝につくまでが大変だった。私がドキリとした部分とは下記である。
照子と信夫が出会ったのは、町の工場の勤めから帰宅するために使っている村のバス停から姉の満子が戦前から後家に入っている広治の家に帰る途中だった。姉の満子を頼って、照子は広治の家に終戦直後からやっかいになっていたのである。信夫は町の小さな工場に旋盤工として勤めていた。信夫の家と照子が世話になっている姉の満子の家は遠縁にあたり、歩いても数分の距離である。信夫は町まで自転車で通勤していた。昭和23年が明けてまもなくのことである。照子は30、信夫は23になっていた。
ある日の帰り道。照子がバス停から降り、しばらく村道歩いていると、後ろから信夫が自転車で追いかけてきた。信夫は照子に、自転車の後ろに乗れと誘った。照子は恥ずかしかったが、乗せてもらうことにした。以後、急速に二人は親密になっていった。何度目かの自転車同乗の折、信夫は照子に、今度の日曜日、町に映画を見に行かないかと誘った。照子は同意した。日曜日になり、ふたりは町の駅前で待ち合わせ、すごそばの映画館に入った。東映の時代劇がかかっていた。映画がはねて食堂で飯を食った。この日も二人は自転車に同乗して村まで帰っていったのである。
道は真っ暗だった。村境に入る峠を上っている途中、信夫は情欲に負け、照子を山の中に引っ張り込んだ。照子としても、まんざらではなさそうだった。自分からさっさと服を脱ぐ照子を、草むらに腰を下ろしていた信夫は、照れくさそうに見上げていた。2月の夜である。いまにも雪がちらついてきそうな寒々とした暗雲の下で信夫は照子の子宮の中に射精した。照子は、その日の山の中の契りによって信夫の子どもを宿した。
まさに、わたしはそんな風にして、この世に生まれてきたと母から何度か聞いている。弟の小説描写は母の話よりなお微細にわたって書かれており、それが昨夜の私に冷や汗をもたらしたのだ。さきほど弟に次のような読後感をメールで送っておいた。
作品のところどころに、笑ったりドキリとさせられたりしたというのは、俺たちが子どものころ、すごした父の親類のいる村の事などをはじめ、おやじとおふくろの関係はもとより俺たちがよく知っている、子ども時代のことなどが描写された部分だった。他の読者は、どう思おうと理解するのか、そんなことは俺には分からない。俺は君の兄弟だからね。作品の背景などが心に当たり、いちいち痛感して、ドキリとさせられたり、涙が出てくるほど心底から笑えたのだよ。これは幸せなことさ。心が洗われたとは、こうした時のための言葉だと思ったほどだ。俺に自分の「弟」が書いた小説の巧拙なんて、評せる資格はこれっぽっちもないよ。読ませていただき感謝だ。その一言だ。
なお、当原稿は昨年、某新聞社の懸賞小説に応募してみたところ残念ながら落選したそうだ。