赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼軍事を知らずに平和を語る資格なし

2021年04月21日 | ■軍事を知らずに平和を語る資格なし

以下 2020.10.23 記

 

●弁護士神原元さんがリツイート・・・ラサール石井・・・<略>人間なら戦争に反対する。人間はけして戦争を美化してはいけない。

誰しも、そうも単純に「戦争」を美化しているわけではないと思うよ。ラサール君も、よく考えてごらん。原始の昔からヒト科は武器を持たずに丸腰のままで食い物を探しにいくことができただろうか。食ふこと、そのことじたいが戦争の始まりだったような気さえするのだ。生きること、そのことじたいが戦争の始まりだったのではないだろうか。

政治の延長が戦争だとは昔からヒト科の常識であったはずだ。さらに武装することは昆虫でさえ知っている生き物すべての心得ではないのかい。

何があっても、てめさえ良ければそれで良いと食っちゃ寝食っちゃ寝のわれ関せずで、のうのうとヘラヘラと笑って暮らすだけが平和の象徴だと強弁するなら、こりゃもうヒト科の滅亡がすぐ背後までせまって来ていることを、いまやすっかり平和ボケして飽食に明け暮れている僕らにはまったく見えていないだけの話かも知れないね。

●弁護士神原元・・・10月19日・・・どんなに格好つけても、軍隊というのは人殺しの職業だし、兵器というのは人殺しの道具だ。軍隊を称賛し、兵器を称賛し、つまり人殺しを称賛する社会は狂っている。そう言い切る勇気が必要だ。


安倍総理が辞任されて三ヵ月ほどがたったが、この数年というもの、「アベ憎し」だけを奉じて自己満足していたメディアおよび野党議員や活動家諸君らに顕著であったアベロス現象は上の神原君の三行半にも顕現されている。

安倍氏の突然の辞任に面食らってしまい右往左往しているのは政権与党ではなく、むしろ野党だったというところが今回の物珍しさではあった。

院の内外で安倍氏への個人攻撃に明け暮れていた彼らは当然のことながら当面の敵を喪失し、むなしくもSNS上では云うに事を欠き、てめぇが組する信仰や宗教上の教義を引用、棒読みして茶を濁しているだけでは、そりゃさんざんに馬鹿にされるのは当たり前の話ではないのかい。神原君よ。それにしても相変わらず貧弱だねぇ~君の議論は。
 

●弁護士神原元・・・2020年9月30日・・・次の意見がある。「護憲派であっても自衛隊を認めた上で、『軍隊は必要だが集団的自衛権には反対だ』と考える層を味方につけるべきだ」言わんとするところはわかるものの、この説は誠実でないと思う。素直に考えれば自衛隊は憲法違反だし、これを認めるかどうかは護憲派の核心部分だからだ。

●弁護士神原元・・・2020年10月1日・・・憲法9条はお花畑だという奴がいる。しかし、音速で飛んでくる核ミサイルを空中で撃ち落とせると考える方が、よっぽどお花畑だ。B29を竹槍で撃ち落とせると考えて失敗した、苦い教訓を忘れたのだろうか。憲法9条を護るのは、リアリズムに立った判断である。

●弁護士神原元・・・2020年11月3日・・・正しい者が勝つ社会、はやく来ないかな。


君の平和論や正義論は、もはや50年前から60年前の話だよ。いい年こいて革命青年ぶってもはじまるまい。お弁護稼業における客層を狭くしているだけだよ。

 

●弁護士神原元さんがリツイート(2017)・・・志葉玲・・・何度でも言うぜ。持てる全ての力を使って戦争を避けるのが政治家の責務。最初からその気がないなら、政治に関わるべきじゃない。安易に戦争を語り、戦争をやろうとする政治家こそ、人々にとっての最大の敵だ。戦争で傷つくのは、結局普通の人々、最も罪がなく、弱い立場の人々なのだから。

 

 何度も言いますが、現代の世で、それもわが国において、闇雲に戦争をやろうとする政治家なんて、見たことも聞いたこともありませんよ。おっと、歴史をみれば、無いとはいえませんね。

レーニン、スターリン、毛沢東、北朝鮮の金一家などなどの主義者ばかりは国家というものを、戦争と軍事一色に塗りつぶした張本人でしたね。共産主義者ほど戦争大好き人間はないでしょう。歴史を勉強すればこうしたことも、よく分かるのです。もちろん、だからといって、ただちに日本の共産党が戦争大好き政党だとは、一概には言えませんがね。なにしろ二枚舌ですから。この政党に限っては。

現に自民党政権でも、日々周辺国との戦争を避けるために、どれほど腐心しているかは周知の事実ではありませんか。あまり突拍子もないことは言わないほうが、よろしいかと脳タリンだと思われますよ。

この際、わたしから申しておきたいことは。戦争や軍事という概念を、悪しきものだと決め付けて、一顧だにしないという姿勢では何の政治も始まらないということです。それは教育にも及びますね。国のため、という感情が国民にほとんど宿っていないなら、そんな国は、そうそうに撲滅解体してしまうことは目に見えているのです。

世界のどの国にいっても、わが国こそ幸いなりと言うでしょう。事が起これば国民は国家を守るために、戦いに、はせ参じるのです。それが戦争ではありませんか。されば、戦争とは、実に道徳的にして健全なる精神の現れの問題だと思いますよ。

いざというときになっても、戦争は悪いことだから、わたしにはいっさい関係がありません、などという国民がいたとするなら、やはりそれは非国民呼ばわりされても仕方の無いことでしょう。

戦争なんて、したくはないというのは、誰にとっても当たり前の話なのです。しかしながら攻められたときには、やはり闘うほかはないでしょう。相手をやっつけるいがいの術がありますか。

戦争と名づけるのは人様の勝手です。名だけなら 戦争はなくなるかもしれない。ただしヒト科も動物も戦うことは止めないでしょう。

なぜだか分かりますか。食わねば死ぬからです。食うためにヒト科も動物も戦っているのです。されば、戦うことこそ、生きている証明とは、言えないでしょうか。極言すれば、戦えない、または戦おうとしない生き物は死に絶えるのです。

 

 

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