Dさん、「戦争責任」のことですが、これもよくある例で言葉だけが独り歩きしているように感じるのです。たいした内実はなかったというあたりが実際のところではないでしょうか。戦後民主主義という輝かしくも希望に満ちた掛け声と申しましょうかスローガンと申しましょうか、この戦後民主主義という幻想的概念を補完し、その存在理由を立証するための反対概念として戦争責任は最適です。常にけん制しておきたい保守政治に対する有効な政治概念として、もてあそばれてきたようにさえ思うのです。
敗戦まもなく、小林秀雄は「近代文学」派(本多秋五、小田切秀雄、平野謙、埴谷雄高、佐々木基一、荒 正人)の座談会に招請されて、終わったばかりの戦争について次のように喝破しておりました。
僕は政治的には無智な一国民として事変(戦争)に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終わった時には、必ずかくかくしかじかだったら起こらなかったとか、こんな風にはならなかっただろうという、議論が起こる・・・この大戦争は一部の人たちの無智と野心とから起こったか、それさえなければ起こらなかったのか。どうも僕にはそんなおめでたい歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なんぞしない。利巧なやつらは、たんと反省してみるがいいじゃないか
とくに最後の戦争について「自分は反省なんかしない。利巧な奴らは反省してみればよい」という文言は有名になり、なによりも小林秀雄の保守的思想を証明しているとして流布されました。だが、もう一度よく読んでみると、過去の歴史というものについて、もっと重要なことを言っている。それは「歴史の必然というものを、もっと恐ろしいものと考えている」という処です。悔やもうが反省しようが責任をとろうが、過去はやり直せるものでも、帰ってくるものではないという実に単純な真理のことです。誰だって、前を向いて生きていかなければ、生きることすらできようはずもない。生きるということはそういうことだ。後ろ向きに歩くことなど、できる相談ではないのです。
そうした絶対性というものが過去と歴史にはある。どれほど思念を膨らませても、死んだ子どもが生き返るわけではないのです。責任を問うのも、反省を深めるのも、まずは生きなければ、仕方がないではありませんか。いつまでもメソメソしているわけには行き候らわず。隣国に対しても、腰を低くし、ペコペコとおじぎばかりしているだけでは、一国が成り立ちません。一家の生活が成り立たないでしょう。小林が言うように、反省するヒマのあるヤツにでも反省させておけばいいのです。反省と生活は違う。生き残った敗者にも言い分はあるのです。反省ばかりさせたれていた日には、一向にこちとらの生活が成り立たないではありませんか。
尊大な態度と見られるかもしれない。だったら、そのように見られないように頑張ってみるしかないのです。なにからなにまで勝者の言うままに、ならなければならない理屈はないし、それと正義はまた別でしょう。戦勝国によっては、国土の全部をささげて賠償しろと言われたら、日本という国は、いまごろ沈没しておりますよ。敗者には敗者の最低限生きていく持分がなけれなりません。
国体の根幹(天皇制)や沖縄は限定的に犠牲になったが、かろうじて国土の大部分は守られた。そこから出発してきたのです。隣国や勝者には、感謝してもしきれません。その意味では、近代は世界によって承認された国しか、生きられないともいえましょう。隣国の承認があったこそ、今の日本があるのです。小林が言う、利巧な奴らとは、明確に不毛な感傷に明け暮れる知識人を指している。それは今日の論壇を見ても、よく分かります。彼らはいつまでたっても、歴史を回顧しては、泣き言ばかり垂れ流している。それが知識人というものでしょう。小林秀雄が最も嫌った人間種です。
それから、はたして一般的に戦争とは悲惨なものなのか、という疑問がある。敗戦国としては、確かにさんざんな目にあって、終わってしまった戦争をいまさら喜ぶわけにはいきますまい。確かに、悲惨な戦争だとも、戦争は悲惨だとも、そうした感想を持つのも分かる。
だが、例えば1970年代にはベトナム戦争というものがあった。彼らにとってあの戦争は悲惨だったでしょうか。あの戦争で、物量を誇る米軍に屈することなく戦い。結果、勝利したベトナムの人々は、あの戦争を、現在はどのように語っているでしょう。思い出すのも悲惨のあまり、避けられるものなら避けておきたかったとは言わないような気がするのです。ベトナムの学校では、あの戦争こそ民族の英雄性と不屈の精神をなにより証明している歴史上の事実として、子どもたちのよき教材になっているのではないでしょうか。彼らにとっては、アメリカと闘って勝利した、あの戦争は、決して悲惨なものではなく、英雄的な戦いだった。ベトナムの子どもたちは、こんごとも、必要があれば、いつだって祖先と同じように、銃を持って領土を守る勇敢な青少年として教育されているような気がいたすのでございます。
このように、戦争は悲惨なものだという感傷的発想も、その根は実に、一面的なものだと、言いたいのです。戦勝国と敗戦国では戦争に対いする見方も大違いになるのは当然ですが、戦争はこりごりだという感想は、敗戦国の一時の世論のように思います。だからと言って私は、もちろん戦争を待望しているわけでも平和主義が悪いとは申しておりません。言いたいのは、歴史を感傷的に回顧するばかりでは、誤認が出るだろうと申しているのです。<2420字>
敗戦まもなく、小林秀雄は「近代文学」派(本多秋五、小田切秀雄、平野謙、埴谷雄高、佐々木基一、荒 正人)の座談会に招請されて、終わったばかりの戦争について次のように喝破しておりました。
僕は政治的には無智な一国民として事変(戦争)に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終わった時には、必ずかくかくしかじかだったら起こらなかったとか、こんな風にはならなかっただろうという、議論が起こる・・・この大戦争は一部の人たちの無智と野心とから起こったか、それさえなければ起こらなかったのか。どうも僕にはそんなおめでたい歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なんぞしない。利巧なやつらは、たんと反省してみるがいいじゃないか
とくに最後の戦争について「自分は反省なんかしない。利巧な奴らは反省してみればよい」という文言は有名になり、なによりも小林秀雄の保守的思想を証明しているとして流布されました。だが、もう一度よく読んでみると、過去の歴史というものについて、もっと重要なことを言っている。それは「歴史の必然というものを、もっと恐ろしいものと考えている」という処です。悔やもうが反省しようが責任をとろうが、過去はやり直せるものでも、帰ってくるものではないという実に単純な真理のことです。誰だって、前を向いて生きていかなければ、生きることすらできようはずもない。生きるということはそういうことだ。後ろ向きに歩くことなど、できる相談ではないのです。
そうした絶対性というものが過去と歴史にはある。どれほど思念を膨らませても、死んだ子どもが生き返るわけではないのです。責任を問うのも、反省を深めるのも、まずは生きなければ、仕方がないではありませんか。いつまでもメソメソしているわけには行き候らわず。隣国に対しても、腰を低くし、ペコペコとおじぎばかりしているだけでは、一国が成り立ちません。一家の生活が成り立たないでしょう。小林が言うように、反省するヒマのあるヤツにでも反省させておけばいいのです。反省と生活は違う。生き残った敗者にも言い分はあるのです。反省ばかりさせたれていた日には、一向にこちとらの生活が成り立たないではありませんか。
尊大な態度と見られるかもしれない。だったら、そのように見られないように頑張ってみるしかないのです。なにからなにまで勝者の言うままに、ならなければならない理屈はないし、それと正義はまた別でしょう。戦勝国によっては、国土の全部をささげて賠償しろと言われたら、日本という国は、いまごろ沈没しておりますよ。敗者には敗者の最低限生きていく持分がなけれなりません。
国体の根幹(天皇制)や沖縄は限定的に犠牲になったが、かろうじて国土の大部分は守られた。そこから出発してきたのです。隣国や勝者には、感謝してもしきれません。その意味では、近代は世界によって承認された国しか、生きられないともいえましょう。隣国の承認があったこそ、今の日本があるのです。小林が言う、利巧な奴らとは、明確に不毛な感傷に明け暮れる知識人を指している。それは今日の論壇を見ても、よく分かります。彼らはいつまでたっても、歴史を回顧しては、泣き言ばかり垂れ流している。それが知識人というものでしょう。小林秀雄が最も嫌った人間種です。
それから、はたして一般的に戦争とは悲惨なものなのか、という疑問がある。敗戦国としては、確かにさんざんな目にあって、終わってしまった戦争をいまさら喜ぶわけにはいきますまい。確かに、悲惨な戦争だとも、戦争は悲惨だとも、そうした感想を持つのも分かる。
だが、例えば1970年代にはベトナム戦争というものがあった。彼らにとってあの戦争は悲惨だったでしょうか。あの戦争で、物量を誇る米軍に屈することなく戦い。結果、勝利したベトナムの人々は、あの戦争を、現在はどのように語っているでしょう。思い出すのも悲惨のあまり、避けられるものなら避けておきたかったとは言わないような気がするのです。ベトナムの学校では、あの戦争こそ民族の英雄性と不屈の精神をなにより証明している歴史上の事実として、子どもたちのよき教材になっているのではないでしょうか。彼らにとっては、アメリカと闘って勝利した、あの戦争は、決して悲惨なものではなく、英雄的な戦いだった。ベトナムの子どもたちは、こんごとも、必要があれば、いつだって祖先と同じように、銃を持って領土を守る勇敢な青少年として教育されているような気がいたすのでございます。
このように、戦争は悲惨なものだという感傷的発想も、その根は実に、一面的なものだと、言いたいのです。戦勝国と敗戦国では戦争に対いする見方も大違いになるのは当然ですが、戦争はこりごりだという感想は、敗戦国の一時の世論のように思います。だからと言って私は、もちろん戦争を待望しているわけでも平和主義が悪いとは申しておりません。言いたいのは、歴史を感傷的に回顧するばかりでは、誤認が出るだろうと申しているのです。<2420字>