赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼堕落している日本の医者・医療

2021年08月31日 | ■新型テレビウイルスとの戦い

以下、赤レンガ掲示板より


> いまはコロナ二類感染症なので、町医者は使えない。

おっしゃる通りにござる。感染者の発見は保健所でまかなっている。本人が、それらしい症状を自覚した場合、町医者、または近場の病院に連絡しても、なしのつぶてで、保健所に回されてしまう。

最初から、医者の関与がない。保健所から、当該病院の病床なりに、空きがあれば、そこに回されるのだが、ほぼ空きがない状態が続いていると聞く。武漢熱担当の医者も圧倒的に少ない。よって軽症者、および中等症状者、なかには実際は重症の危険がある者まで、自宅待機にさせれらてしまう。なにしろ保健所の対応とは言っても、電話だけなのだが、その機能すら、すでにパンクしているらしい。これが理不尽な「二類既定」の現実なのである。

ありていに言えば、日本の場合、医者が当疫病については、患者の数に見合った、まっとうな治療活動をほとんど行使していないということだ。日本の医者は、ここまで堕落していたのかと思わずにおられない。

一年ほどまえに見たTV報道を覚えているのだが、欧州各地の都市病院は、野戦病院と化していた。廊下にまで患者があふれ、ベッドが連なっていた。この時、すでにイタリアでは、最前線に立って治療にあたっていた数百名の医者が殉職していたのである。

日本の医者はなにをやっているのだ。患者を見捨てて、てめさえ良ければそれでよいとばかりに、疫病が怖くて逃げ回っているとしか思えない。

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▼左足首骨折の件

2021年08月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

八月二十五日の夕方、自宅マンションの三階から二階への外階段を下りていたところ中ほどにある折り返しの踊り場から三段目のところに左足を着地させたところ、足の向きと、体の向きが、かなりずれていたようだ。足首を捻ってしまった。経験したこともない激痛が走り受け身のつもりだったのか全身をまるめて踊り場に転がりおちた。なんとか自室まで這うようにして戻り、とりあえず家人に救急車を呼んでもらった。救急車は間もなく来てくれた。救急隊員は親切で頭が下がった。

だが、当地の場合、近場には救急患者を受け付けてくれる病院は、ほぼなく10キロほど先の横浜市内か大和市内のほうまで運ばれてしまう。入院は不要であることは目に見えていたので、せっかく来ていただいた隊員のみなさまには、丁重にお断りした。その夜は局部が痛くて痛くて一睡もできなかった。次の日、近場のクリニックで診察していただいた。Ⅹ線をとり、どうやら踵の骨が折れていますとの所見。ギブスをあてがわれ、松葉づえを借していただき、一週間分の鎮痛剤を処方され帰宅した。ギブスが取れるのは一月後とのことなり。

考えてみれば、この場合もやはり悪いのは酒だった。その日も、かなりの「ほろ酔い状態」であったことは否めない。いい気になってスキップでも踏むように階段を下りていったのである。これにこりて酒が止められれば災い転じて福ともなろう。まっ自業自得ではある。反省。

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▼がんばれパラリンピック

2021年08月21日 | ■がんばれ東京オリンピック・パラリンピック

●サンケイスポーツ・・・8月20日・・・松岡修造氏、パラリンピックは「大きな気づきになる」

松岡氏は「(今大会は)日本の未来を背負っていく子供たちも含めて、何か大きな気づきになるような気がして、しようがない」と期待。「感じて、彼らが動くこと。オリンピック以上に、パラリンピックにはそういう力がある。若者たちが、このパラリンピックを通して、今後の日本の支えになっていくような、そういうつながりになればいいと思う」と語った。


わたしも心底からそう思う。とくに今回は流行り病の最中でもあり、開催すること自体に特別な意義がもたらされてくるような気がしている。がんばれ スポーツの力。負けるな パラリンピック。

 

 

 

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▼待てば海路の日和あり

2021年08月15日 | ■新型テレビウイルスとの戦い

東京で4295人感染  3人死亡・・・ 新型コロナ・・・共同通信社 2021/08/15 

わたしの場合は、昔から言い伝えられてきた俗諺とかことわざが滅法好きで、その種の辞書辞典のようなものが机の周りに何冊も転がっている。上のタイトルの俗諺も、その一つで、なんだか心底から納得できてしまう。今日も朝から、この一行を念仏でも唱えるように脳内で何度となく繰り返して歌ってみると不思議に気持ちが落ち着いてきた。

 

 

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