赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

プラタナスの実

2002年12月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
頭上でプラタナスの実が風に揺れていた。カメラを構えていると、「ほら、これ見て」と後ろから声がしたので振り向いた。
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郵便局のアルバイト

2002年12月26日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

息子は郵便局でアルバイトをはじめたのだった。年が明けると同時にいよいよ年賀状配達の本番である。父は、息子の働いているところをぜひ写真に撮りたいと、時間を見計らい配達を任されている町の一画に出向いてカメラを持って待ち伏ていたわけでは決してなかった。父はやや頬を紅潮させて、あくまで散歩の途中で偶然に出くわしたと弁明するのであった。それはともかく、息子は父の背中から「もう一回り!」などと威勢のよいことを言いながら自転車を止めることもなく走り過ぎていった。18歳と八ヶ月。お上のお達しによれば数年後には廃校が決まっている夜のガッコの2年生。滅多にみられない我が子の「勇姿」がそこにあった。シャッターを押しながら父は胸が熱くなるのを覚えた。以上、今日はNHKの「プロジェクトX」風にまとめてみた。
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志賀直哉の日記

2002年12月25日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法
早くも梅の花が咲いていた。実はこの写真は27日に撮ったもので、2日前の日記に入れては微妙な季節感に錯誤が生じると、どこぞから文句が出るかも知れない。ならば、そのまま今日現在の27日の日記とすればよい。いちいち弁明しながら過去の日付を埋めるというのもおかしな話しだ。それによく思い出してみると、25日は一日中曇天の空だったし、まだこの花は開いていなっかったはずだ。釈明ならいくらでもするが、まあここは許していただくより他にない。ところで、次のような日記はどうだろう。

大正 11年8月5日(土) 忘れた
 〃    〃 6日(日) 忘れた
 〃    〃 7日(月) 忘れた
 〃    〃 8日(火) 瀧井来る・・・・(略)・・・・
大正12年5月20日(日) 武者と動物園 パラダイス等を見る・・(略)・・
 〃    〃 21日(月) 忘れた
 〃    〃 22日(火) 忘れた
 〃    〃 23日(水) 忘れた

以上『志賀直哉全集 第10巻 日記』(岩波書店)より。武者とあるのは武者小路実篤のこと。昔の文豪は小学生の宿題にもならないような、実にいい加減な日記をつけて大きな顔をしていた。志賀直哉は「小説の神様」と持ち上げられ、これに異を唱えたのが戦後の太宰治である。市井の人々の痛みすらも感じることのできない雲の上の巨匠ぶりに癇癪玉(かんしゃくだま)を破裂させ矢のような罵倒を投げつけた(「如是我聞」)。でも私には、ここに志賀直哉独特の日常生活の中に押し通してきた、きっぱりとしたいさぎよさと、また面倒見のよい暖かな人柄がしのばれてくるのだ。志賀日記を読んでみて楽しかった。彼の書いた小説などからは読みとれない、また別の感覚を持っていたことが理解できたのである。
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ガレージセールで靴を買う

2002年12月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
下の弟と隣町で会い2時間ほど話をする。別れたのが午後3時。その後少し駅の周囲を歩いてみた。商店街から少し外れた住宅街の一角で「ガレージセール」が行われていた。そこで靴を二足買った。いずれも私のサイズにピッタリ。左は登山靴のようだ。これが1000円。右のスニーカーが500円。掘り出し物を安く手に入れた時ほど嬉しいものはない。これで散歩もいっそう楽しくなるだろう。はいていた靴を加えて三足の靴をとっかえひっかえ履(は)き比べながら喜悦満面で帰路についたのである。
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▼夕飯は出前ピザ

2002年12月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

   昨日夕飯時の食卓。日曜日だったが、息子二人も外出することもなく、ずっと在宅していたようなので、なにかおいしいものでも作ろうかとは思ったは思ったのだが、先週らいの鼻風邪がたたって妻も私も夕方になっても買い物に行く気がしない。そこで久しぶりに出前のピザを取った。直径45cm。これまで見たこともないほど大きなピザだったが10分後には一片も残っていなかった。

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雪の日の焚き火

2002年12月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
東京での初雪。それも12月初旬としてはめずらしく積もってしまい、これは15年ぶりのことだという。雪景色とは滅多にない機会で、早朝からさっそく写真を撮りに出た。途中、製材所がはやばやと門を開けていて入り口のところで火がたかれていた。手をかざして、しばらく暖まり、また歩き出した。
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