「担当の者が帰ってきたらお返事さしあげますので、すんません」とのこと。二時間ほど経って事務所より電話があった。現場に急行して見てきたらしい。そこまでせんでよろしかった。何事かを伝えておきたいからこそ、そこに言葉が書かれているのではないか。「一時」とはなにをさして一時なのか具体的なものがあるなら、それを教えてくれと言っているにすぎない。さて「一時」の正当な解釈は次のようなことだった。あそこの広場の土地は役所のものではない。他に地主がいて、たまたま役所が公園として借りている。地主に都合ができて、返してほしいと言われた場合にはすぐ返却しなければならない。したがって永久不変の公園とは言い難し。こうした裏事情を含意させて「一時的」な開放であると住民に知らせておくための文言であるとのこと。合点承知。裏があったとは。こればかりは聞いてみなければ分からない。だが、それは役所の内部事情というもの。住民に関係あるのかい?そったら複雑所有権の契約状態が「一時」の一字で子どもに理解できようか。裏の事情など誰が読みとれる。なんだかよく分からない制限があるようで、無用な恐れを抱かせるだけじゃないか。はっきり言えば、できればここでは遊ばないほうがよろしいですとでも言われているみてぇじゃないか。
「それは読み方次第だと思いますよ。ああした看板を設置するのも地主との規定・約束があるものですから」。それで分かった。住民や子どもに対して広場の使い方を知らせるための看板というよりは、地主へのアリバイ作りということが本音らしい。地主にさえ読めれば、住民には読めなくてもよいわけだ。先日も友人から「君は聞き上手だね」と誉められたばかり。ふんとかああとか、得意の相づちを適当に入れながら黙って聞いていると、どんどん図に乗ってくるのが痛いほどよくわかる。たずねもしないのに地主の名を教えてくれた。「日本道路公団」とのこと。私には、いよいよ話が混乱してきて、返す言葉もなし。最後には「あの看板は、もう十数年、あそこに設置されていますが、そういう意見をいただいたのははじめてですね」と、かえってこちらが叱られてしまう始末。