赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ヴォーカル大好き<赤い靴>

2018年12月21日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法


「美しい日本の歌」 のばら社

 

今日もカラオケ屋にはせ参じ「赤い靴」を歌ってきた。

作詞:野口雨情 作曲:本居長世 大正11年(1922年)

歌詞もよいし曲もよい。

繰り返し何度も歌ってきた。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼とある外国人の不可解な言い訳

2018年12月13日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

<以下、2016,06,27 記>

とあるサイトで以下のようなおバカな文章を見たので一言感想をば。

李信恵・・・・選挙にまつわる在日の思いをあちこちでずっと聞いてる。割り切れないこととか、複雑な気持ち。自分もやっぱりそういうものをすごく抱えてる。でも、選挙権のない自分が伝えられることは一票が、本当に大切っていうこと。一票すら持てない自分なりに、伝えられることや闘い方はいろいろあるはず。

李さんは、朝鮮の方で、「しばき隊」の一員として活動なさっている。選挙権がないことに、ご不満のようですが、これは当たり前のことではありませんか。どんな国でも、外国人に選挙権が与えられるなら。国の民主主義は滅びますよ。

わたしたち日本人が、韓国には選挙権がないように朝鮮の方である李さんは日本には選挙権がないのです。当たり前のことでしょうや。「一票すら持てない自分」と嘆いていますが、あなたの一票は、母国にあるのではないですか。探してごらんなさい(笑)。あるはずですよ。

母国にもないとなれば人権問題かつ国際問題ですが、それは母国の問題であり日本には関係の無い話です。そうした当たり前のことを、ご理解されていないようですね。外国人なら外国人らしく振舞まわなければならないのは、どこの国でもそうでしょう。李さんのサイトを見れば日本国内で激しく活動なさっているらしいのですが、日本のなにが不満なのでしょうね。実に不可解極まりないのです。


さて李さんのサイトの冒頭には次のようにある。

在日朝鮮人2.5世、フリーライターやってます。中途半端なマイノリティですがごく普通に生きてます。影書房から「#鶴橋安寧――アンチ・ヘイト・クロニクル」2015年1月17日発刊。 http://www.kageshobo.co.jp/main/books/tsuruhashiannei.html

大阪、ときどき東京、たまに韓国

在日朝鮮人2.5世とあって、その一行に、この方の自己認識のおおくが割かれている。知己でもないわたしは、李さんが自己をなんと自己認識しようと関心もわかないのだが、この人の文章などをみれば立派に生活もし自己主張もされているのに、なぜに在日朝鮮人であることに、それほど拘るのかということだ。李さんの全人格が、在日朝鮮人であることを世間に承認してほしいと請い願っている。

日本のそれも大都市で何不自由なく生活しているに違いないのに、日本のなにが不満で、そうも活動に身を入れているのか。これが、不可解の第一点なのである。選挙権が欲しいなら日本国籍を取得すればよい。

ながく日本で暮らしていながら、どうして、帰化しようとしないのか。日本国民になりたくない理由でもあるのか。日本に対するうらみつらみが凝り固まってでもいるのであろうか。

これがわたしにはさっぱりわからない。邪推の上で言うのだが、在日または在日朝鮮人という概念を、売り物にしているとしか思えないのである。在日朝鮮人は差別の対象になっているとのいかにもありそうな固定観念を、さらに拡大した上で信仰化し、さらに誇大に風評を拡散するに精を出す。これが李さんの活動と思想のすべてであるなら、わたしは笑うしかない。そして、なにより、これを飯のたねとして商売に精を出しているのであろうか。

そうとなれば、この人たちにとっては差別が完全になくなっては、むしろ困るのかもしれない。差別という認証言辞が、この世からなくなってしまっては、なにより飯のタネが消えてしまう。信仰が薄れる。敵がいなければ闘争の意味が薄れ活動目標が雲散霧消してしまう。生きる目標がなくなってしまう。

よって適当なる差別は、むしろ、あってもらわなければ困るのは、この人たちの方ではないのか。

されば、あるかなきかのかすかな差別さえも、いちいち誇大に吹聴して世間を挑発し集会を開いたりデモってみせたり、ときには標的となった集団と血で血を洗う喧嘩騒ぎを起こしたり、ネットという文明の機器を手に入れるや、見苦しい罵倒合戦に明け暮れたりとうとうと実につまらない日常を送って憂さを晴らしているところである。甘えるのもいい加減にせいと言いたい。もちろん上のような不埒な御仁は在日朝鮮人およびその関係者の中でも、ほんの一部だとは思っているのだが・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼『きけわだつみのこえ』考

2018年12月08日 | ■かもめ文庫

 

世に倦む日日・・・10月29日・・・「マルクスと日本人 - 『きけ わだつみのこえ』と『君たちはどう生きるか』」をアップしました。

とのヨニウム君の記事をみて、その本は家の中のどこかにあったはずだと、押入れの中を探してみたところボロボロになった初版本が出てきた。

 

 

十年ほどまえに場末の古本屋で見つけたものだ。さっそく奥付を見やれば1949年10月に刊行され、年が明けた一月には、すでに第三版とある。月に一度のペースで増刷増刷が重ねられ飛ぶように売れたとは本当のことだったらしい。申すまでもなく1949年とは戦後4年目のことなりき。当時はまだ占領下のことであり所狭しと列島のすみずみにまで米軍のジープが行き交っていた。

『きけわだつみのこえ』については三島由紀夫が刊行当時、次のように一言のもと罵倒まじりで批判していて、ここにこそ本書の瑕疵の根源があるに違いないのだが残念なことに三島のように、この隠された内実について心底から気がついていた識者、文化人は当時から現在に至るまで、ほんの少数のようである。

テメエはインテリだから偉い、大学生がむりやり殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなる

その他、本書には多大なる瑕疵を孕んでいたようで後年さまざまな問題が噴出してきた。そもそもが原稿収集の仕方と原稿選別における恣意性及び偏向性に加えて「死人に口なし」を良いことに、改ざん、削除が横行した。またGHQからの検閲逃れとお墨付き。編集委員会内部における方針をめぐるすったもんだ等々。こうして公刊された本こそ、その数年前に丸腰の絶対平和主義、その実占領政策の合理化及び自虐史観に横溢された新憲法をGHQより、ありがたくも押し頂いて意気が上がっていた戦後日本の進歩主義的青少年にとって後日、なんらかの徒党を組む上での「反戦平和」の符牒たる二冊目の格好のバイブルと化していった。

ん?では一冊目のバイブルはなにかとお尋ねかい。そりゃ決まっている。1947年のこと、前年のうちに発布された新憲法を子供向けにやさしく解説した「あたらしい憲法のはなし」という文部省発行なるパンフレットが当時の中学一年生全員に無料で配布された。

「青空文庫」より
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

「あたらしい憲法のはなし」は新憲法がそうであったようにGHQ発の英語文を政府が翻訳し配布した刷り物であることは一読すれば誰にでもわかる。さすが情報戦には長けていた米国である。先の先まで読んでいた。ほうほうのていで戦地から戻ってきた敗残兵を相手にいくら金をつかって再教育したとて埒は明かない。そこで目をつけられたのが当時すでに世界一完備していた誇るべき日本の学校システムである。校舎が焼かれても教師たちは生徒らを校庭にひきだして青空のもと授業をつづけた。町が焼かれても学校は生きていた。これを使わない手はない。

それでなくても戦争にうんざりしていた多感な子どもたちの脳内に新しい社会解放の目印をしめし、なにもかも悪かったのは「天皇制軍国主義日本」であることを明確にした上で、これを公教育を通じて徹底的に刷り込んだ。こうして昨日までの軍国少年たちは一夜にして思想転回し今度はコミンテルン配下の紅衛兵のような口を利き始めた。彼らは学校から家にもどると目を輝かせて親に向かって戦争の悲惨さと平和の大切さを説き「天ちゃん天ちゃん」とあからさまに天皇を嘲笑しては溜飲を下げた。酒を呑んではついつい軍歌を放吟してしまう兵隊帰りの父親を指差し軍国主義者!と罵倒した。

さて、『きけわだつみ・・』刊行から十年後の1960年。敗戦から十五年がたっていた。当時小学生だったこの子らも大学生(ただし当時の大学進学率はわずか8%に過ぎなかったこともまた留意が必要)へと成長していた。「あたらしい憲法の・・・」と「きけわだつみ・・・」の二冊のバイブルを後生大事にカバンの中に携えすっかり反日思想と自虐史観に洗脳されて育ったこの子たちこそ安保闘争という歴史的バカ騒ぎの張本人であったことは周知の事実であろう。 

 

以上のおおくの論拠は、先日読んだ『「きけわだつみのこえ」の戦後史』保坂正康著(朝日文庫)に感動感化されたしものなりとて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする