赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼あいかわらず共産党は暢気でいいですね

2023年05月17日 | ■静かなる解党のすゝめ

●志位和夫・・・5月3日(憲法記念日)・・・「戦争になったらどうするんだ」という議論がありますが、戦争を絶対に起こさない、そのための外交にありとあらゆる知恵と力をつくすのが政治の責任です。

 
 志位さん、あなたも少しは最前線で働いている人たちのことを考えてみたらどうですか。自衛官、警察官、消防官、農業、漁業に携わっている人たち、それらの生産物を運んでいる大型小型トラックの運転手たち、その他たくさんの善良なる役人、医師、教師、介護者、誰が欠けても社会は瓦解するのです。こうしたすべての国民の日々の勤労によって、幸いにも今のところ我が国においては、多少なりとも戦争が回避され、それなりの平和が保たれているのだと思いますよ。国民各種、その認識に多少の深浅の差はあるでしょうが、やはり毎日が、それこそ戦場なのです。
 もちろん、いわゆる「戦争」とは、相手のあることですからね、明日は分かりませんよ。こんな平和な野原のど真ん中にもミサイルが飛んでくることもあるかもしれません。その時は、やはり敵を定めて政府を中心に国民一丸となって対処する以外に、どのような術があると言うのでしょう。
 あなたは「戦争を絶対に起こさせない」と言いますが「絶対」などと云ふ言葉は政治学の辞書には、どこにもないのです。子どもだましの空論と、きれいごとを並べただけの言葉遊びを振りかざしては国民を愚弄するのは、いい加減にしなさい。


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▼安かろう悪かろう東京の田吾作新聞

2023年05月10日 | ■風評加害の露店犯

 

毎度毎度で申し訳ないが、以下は、昔書いた記事の再掲にござる。

 

 辺野古問題から、全国にその名を知られることとなった沖縄地元紙たる、次のふたつ、「沖縄タイムズ」 「琉球新報」。沖縄県ではなんと県民の八割が当の二紙の読者だと聞く。で、特筆すべきは例の共産党機関紙「しんぶん赤旗」の販促は党の方針として自粛しているそうなのである。本土ではあれほど党員らの尻をたたいて拡大活動にまい進させていると言うにだ。なぜであろうか。

 そのことを考える前に、新聞というもんは、どうして、こうも国民の常識的民意に反して片っ端から左傾してしまったのかという疑念が残る。沖縄の二紙をはじめ、東京の田吾作新聞、神奈川新聞、北海道新聞、旭日新聞、毎日新聞その他もろもろ。まるで「しんぶん赤旗」の二番煎じなのである。時に旭日新聞のように誤報捏造となりふりかまわず反日本国運動の先陣を切っては社長以下編集長の首が飛び謝罪謝罪に明け暮れる。


栄えある日本国の象徴 旭日旗がひるがえる旭日新聞本社前
 
 個人的見解だが、ジャーナリズム一般が、共産党または共産主義と深い思想的また人事的関係があるに違いないと見た。一言のもとに云うならば新聞各社に大量の共産党員やマルクス主義に頭がやられたシンパが入り込んでいるのである。党員やら党友やらその他マルクス主義もどきの各位が記事を書き、編集する・・・となれば、どいつもこいつも赤旗もどきになってくるのは理の当然。

 思うに昔っから共産党員つーもんは、みなインテリ風情の進歩主義者を自覚していた。かれらの就職先は最低でも公務員、教員、さらに頭がよい若手党員の就職先としては出版社、または新聞社であったのであったのだった。時に一番頭がよいものから順に弁護士になった御仁も多い。司法試験が受かっても、かれらは決して検事の道にはすすまなかった。コミンテルン武蔵小杉のお弁護ちゃん神原なにがしが、そのよい事例である。こいつにいたっては最初っから殺人犯等の悪党の弁護は金輪際引き受けないと豪語し大法螺をこいては安っぽい正義感をふりかざす。だが悪党にも最低限守っておくべき、または守らねばならない人権があることを知らないのか。そのための弁護士稼業ではないのか。あ~ん。お弁護稼業の風上にもおけないカビ腐れイデオロギーの煮しまり頭のクリスマス。悪名高きチンピラ集団しばき隊の専属代理人コミンテルン武蔵小杉の本業を忘れ「言葉狩り」運動がせいぜいの小汚い徒党根性にうつつを抜かして喜んでいる薄っぺらなるこのアホは、もいちど基本的人権のなんたるかを最初から学びなおしてくるべきだ。

 https://twitter.com/kambara7



 さても、70年代から90年代にかけて大量の共産党員が新聞社に送り込まれた。これが新聞が左傾した第一の原因となす。いずれにせよコミンテルン思想に頭がやられた引退間近の左傾赤化の老人どもが仕切っているのが現行、全国紙、地方紙ともども新聞各社に代表される旧態メディアの内実と現実だ。すでに国民から何一つ、それこそ刷ったさきから反古とされ糞の役にも立たない紙クズ同然として見放されてしまっていることを知らないのは彼ら新聞にかかわる田吾作老人ら、だけなのである。

 冒頭の話にもどれば、沖縄では「しんぶん赤旗」が存在しないというのは党員同士の談合の結果、住み分けしているに過ぎまい。日本共産党沖縄県委員会が、そのすべてを差配している。その結果、沖縄タイムズも琉球新報も、それこそ左傾どころではなく、いまや完全に「赤化」されてしまっている。われらこそ「赤旗」の代わりの「前衛」だと無理してがんばってしまい、そのつど赤っ恥をかいている。

 師より、よほど彼の弟子のほうが過激になってしまうのはどうしたことか・・・と丸山真男がいつかどこかに書いていたが、今にいたれば、これは一般論なのであり常識だ。さらに負ければ負けるほど彼らは追い詰められて過激になりヒステリじみてくる。

 さて、以下は数年前<2012.12.11 記>に書いたものだが、上の記事に同タイトルの記事だったことを思いだし、いっそここに収録してみたまでのこと。

2012.11.09 東京新聞より

 

 

上の東京の田吾作新聞の投稿記事を見て、いろいろと考えさせられた。穿った見方かもしれないが、投稿者と投稿者に暴言を吐いたという、その老人はこと福島原発事故についてのみ言うならば、深層の部分における共犯者のようにわたしには見えてくるのである。

投稿者は福島の勤め先を放射能が怖いという理由で辞めてきてしまっているのである。その理由は正当なのか。福島も広いのだし福島のどこに勤め先があったのか知らぬ存ぜぬが、反原発の報道に脅かされていただけではないのか。投稿者自身そのことを、よくよく考えてみるべきだ。

誤解なきように言っておくのだが拙者は当の老人の暴言を許してやれとは申していない。この手のおっさんになど原発といい放射能といい分かっていることなど何一つない。メディアに煽動されて馬鹿を演じているだけの話だ。この手の無知蒙昧な阿呆は日本全国どこにでも転がっている。

問題は原発憎し放射能憎し東電憎しの一本調子で、これまでさんざんに福島に対する偏見を作り出し、けしかけてきた偏向的メディア各種の大罪こそ問われるべきだ。東京の田吾作新聞など、その最たるものである。いっそ老人を取り押さえて問いただしてみればよい。おめさんが普段から読んでいる新聞は何かと。さすれば老人は次のように自信たっぷりに答えるだろう。

 

よくぞ聞いておくんなすった
わたすが愛読している新聞は昔っから東京の田吾作新聞だす 
若い頃は旭日新聞に明け暮れておりゃしゃんせぃ
家計不調におちいり家内が言うのだす
同類新聞なら安いほうが、なんぼかええだろうって
で、旭日から乗り換え東京の田吾作新聞とあいなった次第にて
何かわたすに対して文句でもあるのけぇ~
文句があるならカミサンに言ってくんだせぇ
ああ~滅入った滅入った安かろう悪かろう 
あせ あせ、さって寝よ

 

 

 

 

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▼とある少年活動家の自死に思う

2023年05月05日 | ■かもめ文庫

以下、ずいぶんと昔の記事だが

 

2013.02.18 読売新聞

 

齢十一歳の少年が、たかだか「学校統廃合に反対する」という、われわれにとっては耳にたこ状態にある、よく知られたところの反政府運動にいたる教条的言辞を守るために、ただただそのために自死してしまったという記事を読んだ。少年の通っている小学校は今年度をもって廃校されることがすでに決まっていてまもなく閉校式が挙行される予定であったとのこと。

それにしてもばかばかしくてならない。悲しいとも思わないし涙の一滴も出てこない。別の報道によれば自死する数日前にはクラス全員に教師の目を盗んで統廃合にイエスかノーかのアンケートを取っていたらしい。アンケートではクラス全員が統廃合にノーという回答を寄せていた。たぶんにアンケートなどというものは、それしきのものなのである。

おそらく当少年は親から教唆されて実行したアンケート活動だったのではないか。いずれにせよ今のところは邪推してみるしかないのだが当少年の親はようするに左翼言辞に振り回されている全国各地よくいる活動家風情ではなかったのか。学校統廃合反対は親の政治的徒党根性から出てきたスローガンではなかったのか。

この少年は親のイデオロギーこそ善行への道だとすっかり狂信していただけではなかったのか。そうであるとするならわたしは少年の親の仮面の下に隠された偽善と欺瞞を憎んで憎んで止まない。なにがいまさら「世の中を変えてほしい」だ。横っ面を張り倒してやりたい。

 

ロッテリアBセット喰ひつつ父親は子ども二人の行儀をただす・・・島田修三

 

 <2014-05-15  記>

 

 

 

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▼弔意と詩魂

2023年05月05日 | ■大江健三郎論

 以下は半年前の記事だが・・・

 

 小説家大江健三郎さんが老衰により亡くなられたとの訃報を今朝の新聞で見た。享年八十八というのだから大往生である。まずは、大江さんの、ご冥福をお祈りしたい。長い間、お疲れ様でした。
 ただ、ひとつだけ大江さんについては文句をつけておきたいことがある。大江さんは晴れて1994年にノーベル文学賞を受賞された。氏自身、59歳のことであった。今から約30年前のことである。オスロだったかストックホルムだったかで受賞記念講演というものがあった。わたしたち日本国民は歓び勇んでテレビ中継に釘付けだった。だが、その講演は外国語(英語)でなされた。日本語ではなかったのである。なぜに、この晴れ舞台で受賞の喜びを、たどたどしい外国語で表明しなければならなかったのか。大江文学に日本語は切っても切れないものではなかったのか。
 母語にたいして全幅の信頼が保てずに何やら疑義を残したまま、その母語を用いて売文商売に現(うつつ)を抜かしていたとなれば、それは不実なことである。さらに言わせていただければヒト科の生存にかかわる一般論として母語または祖国をして相対化した挙げ句に国際性とやらの個別言語にとっては実に不毛なる概念を今更ながらに事挙げては科学性および政治性などを具として他国、または他言語と比較するばかりなら、われら日本語しか知らない詩人の魂はどこに、その活路を見出せばよいのだろうか。大江さんには、そこのところを、もう少し真摯に考えてほしかった。

 

写真の左は川端康成のノーベル文学賞授賞講演集 右は大江健三郎の、それである。

 

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