2013.04.29 横浜市
2013.04.27 横浜市
戦いに敗れ
還りし吾の佇(た)つ
野をしきつめて
げんげ花咲く ・・・ 角田一(「下野短歌」昭21・7)・・・「昭和万葉集秀歌」(講談社現代新書)より
2013.04.22 横浜市
今日の散歩では、すみれの花はひとつも見出せなかった。十日ほど前に見た花は種子と化していた。
タイトルは路上とあるが、下の写真はわたしの部屋の汚い書架のある部分を撮ってみただけのことなりき。
わたしは、数年前から、忸怩たる思いで考えていることなのだが、わたしという男は、まったくもって正直な人間ではないと断言できるのである。隠し事の多い男だとつくづく思う。そこで、できるだけ自分をさらけ出してみようとは思うのだし、そのために努力しようとも思うだが、その方便なり方法がなかなか見つからないので苦労しているところなのである。難儀なことである。
そこで、恥をさらすようだが、今日のところは、思い余って、もっとも手近な、目の前の、自室内のある箇所を写真に撮ってみた。こんな近景も、またわたしに属する、わたしそのものに他ならないような気がしたまでのことである。
並んでいる本各種は、おおよそ二十年ほど前に愛読したもので、いまや手にとって見るいとまもない。手前の幼児靴は、この二年ほどの間に、散歩途上に道端から拾ってきたものである。わたしの宝物だ。死んだら、棺おけに一緒に入れてくれと、息子に申し付けておいた。
それはそうと、聖書に、「カエサルのものはカエサルに」というイエスの言葉が記されている。この言葉が、気になって仕方なき今日のよき日のワンカップ。
カエサルとは、言うまでもなくジュリアス・シーザーのことなりき。カエサルはイエスが活躍していた時期に先んじて、イエスの誕生からは半世紀ほどまえに、結局暗殺されてしまったローマの男であった。彼こそ、当時は未開の欧州全体を征服し、ローマ帝国をして磐石の礎を築きあげた英雄なりや。
イエスが誕生した当時、すでにイスラエル、アラブ近辺は、カエサルの名のもとにローマ帝国の領地であった。イエスの布教活動も、なにかと言えば、最後はローマの政治的支配に直面せざるを得なかったのであろう。イエス以上にイエスの弟子たちは、このことを日々痛感していたはずだ。あるとき、イエスはパリサイ派との教義問答に及んだ。パリサイ派が問う。われらユダヤ人が、ローマに税を納めるのは、善か悪かと。
これにイエスは即答した。「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ」と。
単純な現代人は、イエスは支配者に対して、戦うことを拒否しローマに屈服したとも見られるだろうが、そうではないだろう。
ここには、ずいぶんと深い意味がありそうだ。浅学なりき拙者にも分かることは、とりあえず聖と俗との、根本的に相容れない相違を、イエスは示しているのである。簡単に言えば、自分にある真理、または信仰にとって、世俗世界において誰が支配者であろうと関係ないということだろう。
イエスにとっては神こそ支配者なのであり、自分は、その王者から使わされている奇跡の人であることを、じゅうじゅうに承知していたはずだ。それがイエスのすべてであった。
比して、ローマとかユダヤ等々の名に表される概念は、すべてこれ、なんの真実をも表されていない、いわば俗名にしか過ぎなかったのである。
2013.04.18 とある横浜市内のブックオフにて(税込みすべて一冊105円)
なんぼ廉価だとは申しても、財布には限りがあるし、いくら名うての豚野郎どもの本だとは申しても、それら無価値な本を、一山なんぼで、ふろしきつつみにして、ぶらさげてくるわけにも行くわけがない。
そこで、三冊ほど精選した。
その一、金の亡者の豚野郎、トーホグ岩手の選挙っ屁の名を欲しいままにする小沢田吾作著「日本改造計画」。
その二、「つまり、政治家とは」森山真弓著。
その三、「舛添メモ」舛添要一著。計合計、315円なり。
ああ、今日もまた、散歩ついでとは言いながら、ついつい散財してしまう春のよき日の豚饅頭。
以下、教育年金掲示板より
泥炭> 私は、地球温暖化を非常に恐れて居るので、脱原発に対しては懐疑的です。 なんとか、安全を確保して原発は活かしてほしい、そんな気持ちで一杯です。
同感です。福島第一原発についても、事故後、早々に政治的決断によって、廃炉がきまってしまいましたが、わたしは早計だったと思いますね。臭いものには蓋をしろで、すまそうとする排除の論理のようなものが働いたのでしょうが、関係者にとってみれば廃炉をめざしての作業も、復活をめざしての作業のほうが、ほぼ同じような作業とは言え、よほど希望と展望に満ちて、その労働に気持ちが込められるのではないでしょうか。
一般に現場における技術や知見にうとい大衆の声というものは、その場かぎりのせつな的情実が声高に聞こえてくるだけの場合が以外に多いのです。おまけに政治家というものは、誰よりもポピュリズムに毒されていますから、多数者意見には寄らば大樹の陰方式で、反対意見こそ真実だとは分かっていても口をつぐんでしまうのです。
いまさらに思うのですが、福島第一原発が廃炉と決まり、ひたすら、壊すためのだけの作業が、これから何十年も続くと聞かされては、作業にたずさわる関係者ばかりでなく周辺住民にも、もはや、あそこら周囲の土地には、何一つ展望の抱きようが、出てきますまい。二度と帰れないという思いが強くなるばかりでしょう。
廃炉は、廃村なのですよ。これは福島県全体に及ぶでしょう。周辺村の再生は、原発の再稼動をめざして、がんばろうという、政治的には多少の粉飾があるやなしやだが、国民各層からの、こうした言葉各種の中から、国家再生への道も見つかるのだろうと思いますがね。福島第一原発を含め、堂々と原発の再稼動を目指す。それが日本国の明日の希望となるのです。
ラジオで耳にしたのだが昨四月十三日は石川啄木の命日であったそうだ。
啄木が没したのは明治の末年だった。
さすれば約百年が経つ。そこで一首。
日本童謡集(岩波文庫)より
吹雪の夜、傷を負い、お祖父さんの家に逃げ込んできた、その「若いお侍」とは、薩長に破れ北に向かって敗走中の会津藩の侍ではなかっただろうか。
いずれにしても、このときの「鳥羽伏見の戦い」によって戊辰戦争の火蓋が切っておとされた。京都守護職にして東北の雄、会津藩は、いつの間にか、王政復古及び倒幕スローガンのもと、東征してきた薩長軍の格好の標的にされてしまった。
実に明治維新とは会津藩の壊滅をもって事実上完了したと言っても過言ではないだろう。