赤いハンカチ

てぇへんだ てぇへんだ この秋はスズメがいねぇトンボもいねぇ・・・何か変だよ

▼酷暑の中を散歩する

2013年08月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.30 横浜市

 

 

 

 

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▼夏の終わりの近隣散歩

2013年08月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.29 横浜市

    

 

 

 

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▼ヴォーカル大好き<ヨイトマケの唄>

2013年08月22日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

昨夜NHKテレビを見ていたら、大好きな美輪明宏さんが出演されていた。

「ヨイトマケの唄」を作られたときの思いを問われ興味深いエピソードを話していたので、それを記しておこう。

美輪さんは、長崎に生まれ色町のカフェで育った。原爆にも会った。

そして終戦直後の小学校に通った。

ある日、クラスに父兄会というものがあった。

父兄とはいうものの、その実、母親たちが三々五々の教室につめかけた。

遅れて、駆けつけた母親がいた。

その母親の挙動が、美輪さんの心を打ったのである。

母親は姉さんかぶりの手ぬぐいを取りながら、もんぺ姿で汗と泥にまみれたまま教室に転がり込んできた。

そして、まっすぐに、自分の息子のところに行き中腰になって、息子の襟を直したり、シャツをズボンにつっこんだり髪の毛をさすったり。

その同級生は、クラスでもっとも出来の悪い貧しい家の男の子であった。

美輪さんは、まるで親猫が子猫をなめるような動物的ともいえる、それらの直裁な仕草に驚いていた。

極めつけは以下である。

母親は自分の唇を近づけて息子の鼻汁をすすりとり、窓のところにいって、ぺっと、外に吐き出した。

終始、臆することなく堂々たる母の子に対する愛の表現を、美輪さんは後年にいたるまで、忘れられなかった。

「ヨイトマケの唄」は、子どものころ見た、その時の、とある母親の神々しい姿が、もとになっているという。

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▼カフェにて

2013年08月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.21 横浜市

 

 

 

夕方に久しぶりで雷雨をみたが、それも一時間ほどで止んでしまったので降水量としてはたいしたことはないようだ。

列島の太平洋側では相変わらず深刻な水不足が続いている。

 

 

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▼今日この頃の熱帯夜

2013年08月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.18 横浜市

まったく、連日連夜のこの暑さには、あきれ返ってあいた口がふさがらない。

どうしてくれる、と叫んでみるが、そもそも天候のことであり自然現象となれば政府に文句を言っても始まらない。

わかっていることは、地球温暖化現象なるものが加速度的に進んでいるらしい、ということだ。

もちろん、これは文明とか進歩とかを教条化して

過去をかえるみることをしないまま、突き進んできたヒト科による人災である。

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▼がんばれ福島ゴジラ

2013年08月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.15 東京新聞より

 

 

なには、ともあれ頑張れ福島ゴジラ。

作業員諸君は、今現在の労働に誇りを持って現場に臨んで欲しい。

泣き言を言うんじゃない。

現場がいやなら、さっさと辞めろ。

君たちの労働が、日本国にとって、どれほど大きな価値があるのか。

いまや日本国の幸不幸は君たちの労働の質量と、その双肩にかかっているのだ。

原発作業員諸君よ。

頼む。

頑張ってくれたまえ。

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▼暑き日に食ふ大盛らぅめん餃子セット

2013年08月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.12 横浜市

 

 

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▼映画『終戦のエンペラー』を観る

2013年08月05日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

『終戦のエンペラー』と題された日米合作映画を観てきた。

マッカーサー元帥も出てきたし昭和天皇も出てきた。

昭和天皇が好意的に描かれていて、それで何度か涙が出てきた。

歴史には、悲しいこともある。

楽しいだけが人生ではないのだ。たえなければならないこともある。

そうしたことを、教えてくれる、よき映画であった。

月曜日の昼下がりのことで、観客も少なかろうと予想していた。

拙者のばあい、昨今つとに眼が悪くなり、できるだけ前の方の座席を選ぶ。

映画が終わって、後ろに向かってせり上がっている客席を振り向くと、思いのほかで、なかなかの入りだった。

みな、拙者に同世代の白髪頭やらハゲ頭ばかりだった。

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▼がんばれ福島ゴジラ

2013年08月04日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.04 読売新聞

上の報道は、愉快なニュースだ。昨夜、ラジオのニュースで耳にしたのが最初であった。まず頭に浮かんだのは、宮城県気仙沼の港から漂流をはじめた千代丸は、どちらの海峡をくぐりぬけて日本海側に到達したのかということだった。北か南か。津軽海峡ではなかったらしい。今年6月に沖縄付近で目撃されていたとのこと。沖縄から一月あまりで福井県沖にまで流されていた。

話は変わるが、同じラジオのニュースで聞いたのだが、福島から避難してきて、今は神奈川県に暮らし住んでいる17家族50名のかたがたが、このたび、集団で東電と国を訴え損害賠償の裁判に打って出ることにしたのだそうだ。一人頭、5000万円を求めるとのことなりや。

笑ってしまった。

もちろん無関係のわたしなどが、感情的になって口を挟む必要性は、毛頭ないのだが、常識的に考えて、見舞金および、福島から横浜くんだりまでの避難交通費を加えあわせて一家族100万円というあたりが妥当な額ではないだろうか。

さらに加えて訴訟団各位からは見舞金または賠償金を得たら、さっそく福島に帰って、福島で暮らすという一筆をとっておいて欲しい。

彼らには、よほどの事由がない限り、裁判の後は福島に帰り福島で暮らしていただく。

福島に行っても職がないというなら、額に汗して除染活動に邁進していただきたい。

家がないというなら仮設住宅に入っていただこう。

 

 

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▼がんばれ福島ゴジラ

2013年08月02日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.08.02 産経新聞

福島第一原発周囲から、避難していた人たちが、短期ではあるといえ、自宅に戻って寝泊りできるようになった。

それでも、数割の住民しか戻ってはこなかった、または戻れなかったという事実もあるのだろう。

おそらく、これは何年たっても、それはそうであるだろう。避難していた人たちは、すでに他地にての暮らしが始まっている。

そこで発案するのだが、

福島第一原発周囲を復興させるには国家をあげて除染活動を続けることはもとより、さらなる法的な特別なはからいが必要だ。

国を挙げて、全国の、それも若い世代に呼びかけて欲しい。

福島に来い、福島で働け、福島で暮らせ・・・と。

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▼がんばれ福島コジラ

2013年08月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.07.10 産経新聞より

 

 

このたび死去された吉田氏は、周知のように三年前の事故当時、福島第一原発の所長であった。死因は事故によって漏出した放射能とはまったく関係のない以前より治療中のガンによるものだった。特別に、英雄視するつもりも美談だとも思わないが死と隣あわせの現場において、事故の収束にむかって粉骨砕身の毎日を送っていたのであり、そのことに対しては、頭が下がる思いがする。国民は、後々まで、吉田氏の功労を忘れるべきではないだろう。

 

2013.08.24 産経新聞「葬送」より

 

 

 

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