赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼忘れえぬ人<女優 原泉>

2013年06月30日 | ■軍事を知らずに平和を語る資格なし

このところ、テレビを見る機会が多い。

昼は高校野球から目が離せずに、夜は夜で、映画「人間の条件」が連続放映されている。

この映画は、第一部から六部まで、計十時間ちかい大長編映画なのである。

昨夜は、第三部が放映されていた。

当時日本陸軍が占領統治していた中国東北部、いわゆる満州の鉱山にて労務管理の仕事をしていた主人公梶が、中国人ら工人をかばったところ、いわゆる「赤」であるとレッテルを貼られ、会社を辞めさせられ、関東軍に徴集されてしまう。

ソ満国境ちかくの基地で、軍隊生活が始まり、ここでの、聞きしに勝る愚劣なる人間関係が第三部の中身であった。

いきさつははぶくが映画後半で、ようするに梶は負傷して野戦病院に送られる。

この病院の婦長役で出演していたのが、原泉さんだった。

梶が、広い病室の中で、ベッドからベッドへとふらふらと渡り歩いている場面であった。

この時、入り口から、原さんが登場してくる。

原さんの第一声。梶をさして・・・おまえ、何をやっているのか!

梶・・・はい、歩く練習をやっているのであります。婦長さん

婦長に随行していた病院つきの兵隊が・・・婦長殿といえ、婦長殿と!

梶・・・はい、婦長殿

すると婦長の横のベッドに腰掛けた傷病兵が、にやりと笑った風

原・・・なにが、おかしいのだ!

と、その傷病兵の横っ面を間髪を入れずに、張り倒すのである。

原さんの演技が見事であった。切れ味がある。

まさに軍国看護婦の心身を見事に演じていた。

映画「人間の条件」は1960年公開作品である。

わたしが、この映画を最初に見たのは、東京に出てきたからだから、20代も前半の頃であり、西暦でいうならば70年代が始まったころだった。

見た場所は、おそらく当時池袋にあった映画館「人生座」か「文芸座」のオールナイトだったとおもう。

この婦長殿が・・・「おまえは女の髪のにおいを歌うべからず」と、わたしに無理な注文をつけてきた詩人中野重治の夫人であることを知ったのは、さらに、ずっと後のことだった。

<2011.08.18 記>

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▼つゆ草の詩

2013年06月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.30 横浜市

 

  

 

 

 

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▼ねじり花の詩

2013年06月27日 | ■かもめ文庫

2013.06.27 横浜市

  

 

 

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▼梅雨の晴れ間のお散歩近景

2013年06月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.27 横浜市

  


ペットショップにて

 

 

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▼カフェにて

2013年06月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.27 横浜市

 

 

 

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▼カフェにて

2013年06月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.26 横浜市

 

 

 

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▼カフェにて

2013年06月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.23 横浜市

 

 

 

 

 

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▼梅雨の晴れ間

2013年06月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.22 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼カフェにて

2013年06月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.22 横浜市

 

 

 

 

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▼青いバイクとひまわりの詩

2013年06月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.19 横浜市

 

 

 

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▼ねじり花の詩

2013年06月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.19 横浜市

 

 

 

 

 

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▼がんばれ福島ゴジラ

2013年06月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.18 産経新聞より

 

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▼ねじり花の詩

2013年06月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.18 横浜市

  

 

 

  

 

 

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▼つゆ草の詩

2013年06月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.06.18 横浜市

 

 

 

 

 

 

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▼とあるトーホグの世襲型選挙っ屁の末路

2013年06月17日 | ■小沢一派とその仲間たち


松田賢弥著 「小沢一郎 淋しき家族の肖像」 文藝春秋社 2013.06.15刊

早朝の新聞広告を見て、すぐ、その足で上記の本を書店で求め、昼過ぎには読了してしまった。

一気に読んだ本に出会ったのは久しぶりのことなりき。

面白きこと、この上なし。

みなさまにも読んでみることを、お奨めするものなり。

表紙カバーに小沢一郎、和子夫妻の写真が載せられているが、

これは今から約二十年ほど前のことなれば、

夫妻の長男氏が広島は江田島にある海上自衛隊幹部候補生学校を卒業し、

初航海へと出発する時のものなりや。

当日の江田島は雨なりき。

ちなみに、長男氏は小学校当時から優秀であったそうだ。

私学を卒業後、自衛官になると言って幹部候補学校に入学した。

ここを卒業すれば、即、昔風に呼ぶならば将校である。

わが子の晴れ姿を波止場から見送っている夫妻の仲むつまじいスナップではあるが、

おそらく、これが二人の最期のツーショットではなかったか。

その後、数年して長男氏は海自を辞めてしまった。

さらに数年して、いよいよ夫婦の間に冷たいすきま風が吹き始めてくるのである。

 

三人の息子が、「母さん、別れなよ。俺たちが面倒見るから」と言ってくれたの・・・和子

 

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