一昨日、昨日とあたたかくなり散歩途上の体感はすこぶる良好だった。花屋さんの店頭もさまざまな花々でにぎわっている。いよいよ桜が咲くのだなと思う。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ・・・西行
念のため申しておくのだが、如月(きさらぎ)とは旧暦で二月のことであり、望月とは満月のことだ。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ・・・西行
念のため申しておくのだが、如月(きさらぎ)とは旧暦で二月のことであり、望月とは満月のことだ。
上は「女の気持ち」と題された昨日の毎日新聞の投稿欄である。一読して、掌編小説の佳品でも読まされたような心持がしたのである。わたしにも、確かに大きな心の動揺があった。この動揺をそれらしく換言すれば、一種の文芸的感動に違いないと思った。この場合は、いかにも新聞の投稿欄らしく、匿名希望という、そのことが逆に筆者の良心と一文にこめられたリアリティが、一直線に、われわれの処まで届けられてくるのである。
そこにゐて死ぬまでわれをかばへよとある夜は夫をさいなみており・・・久我田鶴子
そこにゐて死ぬまでわれをかばへよとある夜は夫をさいなみており・・・久我田鶴子
ふと時計をみると日が変わり、すでに二月になっている。一月中にやらなければと思っていたことの半分もできていない。届けられた数少ない年賀状の返信さえも、まだ書いていないのだから、われながらあきれたものだ。そうは言っても、それは私の場合、毎度のことなのであり、いまさら悔やんでみても始まるまい。さて新しいデジカメも入手したことだし、重い腰を上げ、わが心身に気合を入れなおし散歩だほいほいと、軽快に人生をわたっていくつもりなのである。