赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼カフェにて

2013年12月31日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

  

2013.12.31 横浜市

 

 

 

 

 

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▼年の瀬の丸の内の朝

2013年12月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

2013.12.30 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼中野重治詩集より

2013年12月29日 | ■軍事を知らずに平和を語る資格なし

 

 

2013.12.19 産経新聞投書欄より

 

 東大仏文における辰野教授と小林秀雄については、なにかの本で以下のような面白い話を耳にした。小林の卒業時のことである。なにしろ授業にはほとんど出てこないにかかわらず、小林は、すでにランボーの詩集「地獄の季節」を翻訳刊行しているという仏文きっての逸材である。辰野教授も一目おいていた。だが、小林には卒業するにかなう学業上の実績が何一つない。卒業まぎわとなったある日、辰野のもとに「自分を卒業させて欲しい」と小林が泣きこんできた。辰野教授は小林に、ただちに口頭試問をするから回答せよと、その場で初歩的な問題を提出した。だが小林は、これにもまともな回答をすることはできなかった。そこで、さらに泣きついた。「卒業できなければ自分の母親に対して面目がたたない。ここは、なんとしてもオレを卒業させろ」と迫ってきたという。もちろん辰野教授は小林をめでたく卒業させた。

  後年、小林秀雄が当時のことを語っているのだが、自分が学校(東大仏文)を出たのは、ひとえに母親を喜ばせてやりたいという一念からだったという。

 今風に言えば「親の期待に応える」というわけだが今も昔も、子どもにとって学校に通うという日常行為を説明するに、これ以上の誠意は、誰が探してもないだろう。東大であれどこそこの学校であれ、学校というものは、もとより、そういうものなのであり、そこに毎日通う意味たるもまた、とりあえずは親孝行のためだとでも言っておく以外に他の説明は必要ないのかも知れない。

 国家というものが、そうであるようにだ。国も学校も嫌なら所属しなければよい。それほど嫌いな国家や学校に与する必然性は毛頭ない。行為だけが己の正当性を弁証できる。いい年をしたおっさん風情が、一向に出て行くそぶりも見せずに、嫌だ嫌だ、もっと自由が欲しいなどと不平不満たらたらと、四六時中、わめいていたんでは、いっそ子どもたちから笑われる。 

 さて、小林秀雄に同年の中野重治という詩人がおった。彼もやはり小林同様に東大に在籍していた。小林は仏文だったが、中野は独文だった。双方ともに学校には、めったに面を出さないタイプだったから学内で合間見れた形跡はない。だが、双方ともに互いの名はすでに知っていた。

 小林が卒業できるかどうかと、すったもんだしている頃、中野のほうといえば早々と次なる詩を発表していた。

 

 東京帝国大学生

額の黄色いのがいる

眼鏡がいる

羽織

るばしか

ボタンの直径が一寸もある外套がいる

乞食のようなのもいる

そして銀座をあるく

酔うと卑しいお国言葉をわざとつかう

学問の奥底

人格の陶冶

そして

苦悶の象徴は、ちょっと読ませるね

へどだ

そして正門のあたりをぞろぞろと歩いている

ふっとぼーるばかり蹴っているのもいる

 (「中野重治詩集」より 初出 1926年 『騾馬』)

 

 当の詩人は、自分が確固たる帝国大学生であることは、もとより承知の上だ。その上で、こうした詩を詠む。自分の所属を侮辱してよしとした中野は、ようするに人々に当の詩を通じて何を訴えたかったのか。帝国大学生をして侮辱してみれば革命的だとも思っていたのだろうか。帝国大学をして見下げてみれば、よほど庶民の力になるとでも思ったのだろうか。

 昭和初期、若き小林秀雄が母親を喜ばせたい一心で、オレを卒業させろと教官に迫った世俗的根性と、若き中野重治が抱いた帝国大学生たる自らをも侮蔑してよしとする遠大なる革命的幻想にどれほどの文学的差異があったのか、なかったのかは、今となれば、おのおの方の感じ方次第だ。

 個人的な感想から言えば、わたしは小林の生活的実感の方が、よほど健全なる精神の出所一切を見る思いがして共感できる。

 中野について言えば、さらに、戦後に引き続く『甲乙丙丁』という長編に描かれた「地獄めぐり」に及ぶ、やれ共産党がわたすをいじめてくる、やれ日本国は駄目だ、やれ天皇がどうしたこうした等々の、ぐっちゃらぐっちゃらとのたまえる徒党根性およびセクト根性まるだしの自虐的自責的文法による長編小説なるものがあったが、これらはもはや愚の骨頂以外のなにものでもない。

 ただし、中野重治には、それこそ昭和文学の白眉ともいえる作品がいくつかあって忘れがたい。「村の家」「梨の花」等々。

 だが、これらの美品は、いずれも官憲にしょっぴかれ牢屋の中で、事前まで抱いていた法外な革命思想をコテンパンに否定させられた結果、ようするに転向した結果に書かれたものだった、というあたりが文芸たるもの作家個人の思想精神の自覚するところに、あにはからずや、よほど時代や歴史というものに思う存分に左右されていることをもまた見事に顕してくれている。

 

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▼カフェにて

2013年12月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.27 横浜市

 

 


 

 

 

 

 

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▼カフェにて

2013年12月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

2013.12.24 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼がんばれ母ちゃん

2013年12月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 一昨日、母の主治医から電話があった。インフルエンザに罹ったようで、高熱が続いている。現在食事がとれず点滴状態とのことなり。だが昨日は勤務日だった。それで職場の前のガソリンスタンドに夜勤が明けてすぐに出発したいと、レンタカーの予約をしたのだが、あいにく車はすべてふさがっていた。で眠い目をこすりこすり電車に乗って、母の様子を見ようと、駆けつけた次第なのである。今日はそれでも、7度4分までに下がってきているとの看護士さんの話。ただし、もうしばらく点滴状態が続くらしい。わたしが病室に入っていくと、ベッドの中から、母が小さく手を振ってくれた。いずれにしても、これが高じて肺炎にでもならなければよいとは思うのだが昨年も一昨年もそうだったし、この寒い冬を越せるかどうかが齢95になる老衰した果ての母の命の綱なのである。年末年始にかけて、なにがあるのかはわからない。がんばれ、母ちゃん、百まで生きろ。大正生まれの意地根性を発揮して命の糸をさらに引き伸ばして見せてくれ。

 

2013.12.22 熊谷市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼カフェにて

2013年12月20日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

2013.12.20 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼初冬の町角

2013年12月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

 

2013.11.17 川崎市

 

 

 

  

 

 

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▼カフェにて

2013年12月15日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.15 横浜市

 

 

 

 

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▼万世橋付近にて

2013年12月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.14 秋葉原

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼母を訪ねて

2013年12月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.14 熊谷市

 

 

 

  

 

 

 

 

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▼夕焼けを追いかけて

2013年12月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.12 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼カフェにて

2013年12月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.12 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼ようこそケネディさん 4

2013年12月11日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.11 産経新聞より

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▼カフェにて

2013年12月11日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2013.12.11 横浜市

 

 

 

 

 

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