以下、教育年金掲示板より
>【小国日本】の繁栄に日米安保条約は必須だったのか?
当時、すなわち敗戦直後の世界地図を開いてみるに、日本の選択は、これしか、なかったと思います。確信を持って、そう言います。
米国と単独講和する以外に、日本国を独立させる道はなかったのです。
以後、日本は、アメリカの半植民地だとか、アメリカに従属しているとか、いろいろ言われましたが、どう考えてみても、アメリカの言うとおりに、する以外に、日本は国体を守って、それなりに独立し、戦後の復興に向かっていく道は完全に閉ざされていたのです。
憲法第九条は戦争放棄の宣言であり、みずから武力を持たないことを誓っています。これは日米安保条約が、見事に担保してくれているではありませんか。日米同盟がなければ、憲法の第九条は、その意味が成り立たないのです。米国に守られている軍事的担保があって始めて第九条が内容が納得できるのです。
戦争反対を叫ぶ、青年団諸君に聞きたい。
武力を持たずに、どうして領土を守れますか。自らは非力なばら、強大な同盟国に助けを求めるのは、倫理に反するとでもいうのかや?
それも約束上(日米同盟)、そうなっていると言うなら。何をかいわんや。
日本に武力を持たせず、日本を守るとは米国の発案だったのではないのか。
その上での憲法と安保条約だ。見事なる表と裏のワンセットだ。
もちろん、今となっては、それは「めかけ根性」もよいところだろう。明けてもくれても、おねだり精神の奴隷根性にまい進する日本青年団。
これ日本の青年団諸君よ。日米同盟が嫌だと言うなら、いっそ憲法こそが、おかしいと、どうして、そこに気がつかないのかね。自立心のない日本の青年団だ。
そこで泥つぁんに聞くのだが、力を用いてくる相手に、どのように対峙できますか。一所懸命に説得している間に、うるせいじじいだぁ、なんぞと、弾丸一発、ぶちこまれかねない。
暴力は反対だという正論が、暴力の前に、何の役にたちますか。
いずれにしても、敗戦後から日本を守るという、この確信が、日本人の精神の中で、どうでもよいのなら、もはや地球上に日本は存在しないのである。
いつからでも、そうなっていた。
敗戦後、米国との単独講和にいたらなかったら、どうなっていたか。天皇は退座するのは、もちろん、列島はずたずたに分断されていたに違いない。北海道はロシアのものだ。これはかなりの信憑性がある。九州はもちろん、沖縄あたりは、すべてこれ中国の領土と、なっていたかもしれない。イギリスやフランスがしゃしゃり出てきて、香港の例を見るまでもなく、やれ東洋のナポリたる熱海は百年借款だ。やれ京都はフランスのものだぁ・・・とうとう言われかねない。こうしたことも、かなり現実味を帯びていたのである。
中国の青年団が中国という国を守りたいようにだ。国土国益を守りたい気持ちに、なんの変わりが、あるものか。
わたしは日本人だ。日本人として生き、死んでいくつもりだ。拡大したいとは思わないが、今ある国益を守りたいと思っている。そのために、中国の青年団と、少々争うことがあったとしたら、進んで争いたい。もちろん言論を通じてのみだ。足腰が弱ってきたので、鉄砲もって、行軍しろなんぞと命令された日には、ハワイにでも亡命しかねない。体を張るのは、若い人たちお願いしたい。
諍い、争い、小競り合いが、それほど嫌なら、部屋に閉じこもって、黙りこくったまま、余命いくばくもない、余生を庭いじりでもやって、過ごせばよいだけの話だ。足腰の立たないような老人に対しては、国民は誰も、文句はいわないだろう。