写真は先日、散歩途中の路上で見かけた白墨(チョーク)による落書きである。矢印の先に白いものが見えるが、確かに立派なタバコの吸殻が捨てられていた。しばらくそこにたたずんで、何度も読み返してみたのだが、結局とげとげしい疑心のようがものが沸いてくるばかりなのである。しばらくして、やっとカメラを持っていることに気がつき、写真にとっておいたのである。よく違法駐車で車が牽引されていったしまった現場跡の路上に、チョークで警察官による書き付けがあるが、あれを模倣しているのかもしれない。吸殻を捨てた当人の注意を喚起させたいという気持ちは分かる。だが、本人はたまたまここを通っただけの人かもしれない。読む機会がないという可能性も大きいだろう。見れば、ここは商店街の裏通りで、頻繁に人が通る街中である。それに、歩きながらタバコを吸う人は、昨今激減していることでもあるし、子どものたちの通行も多い。タバコを吸うすわないにかかわらず、これを見かけた通行人に、どのような印象を与えるだろうか。関係のない人が無理に読ませられる「注意書き」や「御触(おふ)れ」の類ほど人の心を空洞にさせてしまうものもない。わざわざチョークを持ち出してきて書き付ける時間と気持ちがあるなら、どうして自分でさっさと拾って適当な場所に捨てることができないのだろう。「口は禍(わざわ)いの門」とは孔子の言葉らしいが、こうした場合、他に事情がないなら口より先に手をだして訴えるなり抗議するなり行動することだ。