赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼児童公園物語

2002年05月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
自転車で10分ほど走ったところに50坪ほどの小さな公営広場がある。入り口に立っていた看板に「この広場は一時開放です」と書かれてあった。この看板がなければ公営なのか、ただの空き地なのかも分からないような場所である。とろこで看板を前にして、はたと困った。私の頭が衰弱してしまったのか。どう読んでも看板の一行が解釈できなかった。「一時」という文字がなにを意味しているのか。「いっとき」なのか「13時」のことか、はたまた「都合により一時お休み」などという場合の、その一時なのか、それが分からない。役所からのたった一行の言葉も読めなくなったとは、私もそうとうに頭がいかれてきたらしい。それとも看板に偽りありか。別に門扉があるわけでもない。道路からそのまま開放されている広場なのだ。腕時計を見ればまもなく13時。いつ通りがかっても人っ子一人見ることはない。昨日などは、すっかり固くなってしまった砂場の中で猫とハトがにらみ合っていた。カメラを構えて近づくと、双方ともにほうほうの体で逃げ出した。そこで今日になって、暇つぶしのくっちゃべりにはちょうど手頃かと、他意もなく役所に電話を入れてみた。すると公園管理事務所なるものが所轄なのでそちらにかけ直せとのこと。言われた通りかけ直す。第一声がそもハイともへいとも区別不可。気を取り直して重々に説明する。まずは、手元の紙なりにかの一行を書き取っていただく。あなたはどう思いますかとたずねると「へい、私にもなにが一時なのか全然分かりません」との正直なお答え。

「担当の者が帰ってきたらお返事さしあげますので、すんません」とのこと。二時間ほど経って事務所より電話があった。現場に急行して見てきたらしい。そこまでせんでよろしかった。何事かを伝えておきたいからこそ、そこに言葉が書かれているのではないか。「一時」とはなにをさして一時なのか具体的なものがあるなら、それを教えてくれと言っているにすぎない。さて「一時」の正当な解釈は次のようなことだった。あそこの広場の土地は役所のものではない。他に地主がいて、たまたま役所が公園として借りている。地主に都合ができて、返してほしいと言われた場合にはすぐ返却しなければならない。したがって永久不変の公園とは言い難し。こうした裏事情を含意させて「一時的」な開放であると住民に知らせておくための文言であるとのこと。合点承知。裏があったとは。こればかりは聞いてみなければ分からない。だが、それは役所の内部事情というもの。住民に関係あるのかい?そったら複雑所有権の契約状態が「一時」の一字で子どもに理解できようか。裏の事情など誰が読みとれる。なんだかよく分からない制限があるようで、無用な恐れを抱かせるだけじゃないか。はっきり言えば、できればここでは遊ばないほうがよろしいですとでも言われているみてぇじゃないか。

「それは読み方次第だと思いますよ。ああした看板を設置するのも地主との規定・約束があるものですから」。それで分かった。住民や子どもに対して広場の使い方を知らせるための看板というよりは、地主へのアリバイ作りということが本音らしい。地主にさえ読めれば、住民には読めなくてもよいわけだ。先日も友人から「君は聞き上手だね」と誉められたばかり。ふんとかああとか、得意の相づちを適当に入れながら黙って聞いていると、どんどん図に乗ってくるのが痛いほどよくわかる。たずねもしないのに地主の名を教えてくれた。「日本道路公団」とのこと。私には、いよいよ話が混乱してきて、返す言葉もなし。最後には「あの看板は、もう十数年、あそこに設置されていますが、そういう意見をいただいたのははじめてですね」と、かえってこちらが叱られてしまう始末。
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