赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼石鹸を手に入れる

2002年05月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

ヤフーのオークションで落札した石鹸が届いた。

中古石鹸が50個、ぎっしりつまっていた。そこで、久しぶりに風呂に入った。

石鹸の危機を感じたのは一週間ほど前のことだった。今日こそ風呂に入るぞと意気込んで風呂場をのぞいてみたら石鹸が見あたらない。家人に聞いてみると、最近は石鹸ではなくボディーシャンプーを使っていたとのこと。

頭髪を洗う際はともかく、ボディシャンプーなど使ったことのない父ちゃんは大いに不安にかられた。それで、この日は風呂をよした。この時点で、すでに風呂なし半月。

次の日とりあえずの分だけでも買っておこうと商店街に出向きコンビニやらドラッグストアに入って探すのだがどこにも石鹸は見あたらないのである。

いつの間にか、世から追放されてしまったのでしょうか。「石鹸はどこにあるのでしょう」と聞けば、そりゃどこからか探し出してくるのだろうが、なにかこうも跡形なく姿を消されると、その名を発することさえ恥ずかしく思われて、聞くのがためらわれてしまったのです。

ああ石鹸、石鹸。石鹸はどこにいった。

香りもよく清潔感あふれる、あのような良い物を、誰が悪者あつかいしこの世から駆逐しようとしているのでしょうか。

私も一週間ほどなら風呂に入らなくても文句は言わないが、それ以上となるとさすがに困るのです。

あわててパソコンの前に座ってネットオークションを開いてみたというわけだった。

どこにでも「同好の士」というものはいるものだ。

見知らぬ幾人かと夜を徹して石鹸を巡って競り合った。

だがこうも石鹸への思慕の念を強くしている人たちがいるということは、やはり街から姿を消してしまったか。

意外な人気の中古石鹸さまさまだった。入札が始まった当初は50個で1000円ほどだった。

それが3日後の終了時間間際には倍の値段になっていた。50円単位でどんどん値が上がっていくのだが、背に腹は替えられない。50個ともなれば、当分は安心して風呂を使えるでしょう。

ここはなんとしてでも自分が落札して風呂にも安心して入れるようにしておきたかった。

さて最終日の夜、モニターとにらめっこ。どこぞの誰かが私より高値を入れることがないように、目を凝らして見張っていたのである。オ

ークションの場合、入札終了間際が一番危険だ。残り時間もわずかになって、最高値を入れたおいた人がもうこれで自分のものとなる、などと気を許していると、さっと値が入って終わってしまうことがある。

対抗して、それ以上の高値を入れようとするのだが、残り1分などとせかされ始めると、あまりにあわただし、こうした時に限ってまた入力ミスが起こったりする。

ばたばたしているうちに1分などはすぐ経ってしまう。再度正しい数字を入れなくては、などとやっているうちに窓が閉まって「終了しました」のつれないデカ文字がながれていく。

かくいう、私もまたこの手法をオークションを勝ち抜くうえでの奥の手としているだし人のことをとやかくは言えないのです。さて、眠たい目をこすりこすりの努力の結果、結局私が見事落札しました。

決着がついたのは早朝の4時。出品者は関西の人でした。

押入の中を整理していたら古い石鹸が山のように見つかったので・・・と落札後、メールが来た。私が購入したのは、そのうち半分。残りの半分は明日またオークションにかけるので、よろしかったらいかがです、と書いてあったが、石鹸をめぐる激しい攻防戦はひどく体力が消耗するようで、しばらく避けておきたいと返信しておいた。

それより早いところ風呂に入りたかった。箱を開けたとたん、部屋中に良い香りがただよった。

3個ほどつまみだし、包装紙を解く。とっかえひっかえの石鹸を思いっきり使って体中をくまなく洗いまくった。

こんなにムキになってアカをこすったのも数年ぶり。

うっへー、アカが川となって流れていく。そして湯船に入った。

二週間ぶりの風呂はゴクラク、ゴクラク。

<2002.05.12記>

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 従兄弟から電話があった | トップ | ▼児童公園物語 »
最新の画像もっと見る

■日常的なあまりに日常的な弁証法」カテゴリの最新記事