梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

ナチハンター(その3) ~2年前に投稿したブログの要約~

2024年06月15日 05時42分01秒 | Weblog
1963年ドイツのフランクフルト。通訳の仕事をしているエーファはレストランを営む両親と看護師の姉との4人で暮らしている。恋人ユルゲンを家族に紹介する大切な日に、急に彼女に仕事が舞い込んだ。裁判での証言を控えたポーランド人の通訳だった。他のドイツ人同様、戦争のことなど知らずにいたエーファだが、この仕事をきっかけに裁判に没頭していく。周囲の無理解、そして恋人との反目。くじけそうになるエーファの遠い記憶の中から、思いもしなかった家族の過去が呼び覚まされていく……。

芝居のパンフレットに、そう紹介されています。“レストラン「ドイツ亭」”と題した、劇団民藝の芝居を観ました。この芝居はドイツ人が描いた原作がベース。作者はアネッテ・ヘス(1967年生まれの女性)、テレビや映画の脚本家として活躍。原本は22か国で翻訳され、「ドイツ亭」の芝居は本邦初演のみならず世界初の舞台化となります。

1945年5月、ヒトラー率いたナチス帝国が崩壊します。アウシュヴィッツ強制収容所で行われたホロコーストは今では知らない人はいませんが、戦後しばらくその実態をドイツ人は知りませんでした。「たとえ新聞にアウシュヴィッツの記事が載ったとしても、100万というガス殺の死者数を印刷ミスと思い込んでいた」と、劇中の主人公エーファは言います。1963年から行われ、ホロコーストに関わった人々をドイツ人自ら裁こうとしたのが劇中のテーマ、実際に行われたアウシュヴィッツ裁判です。

一方有名なのがニュルンベルク裁判で、1945年から1946年にかけて行われました。連合国(英国、フランス、ソ連、米国)の裁判官の下で、22人の主要戦犯の審理が行われ、12人のナチス高官に死刑判決が下りました。判明した範囲で殺戮などに直接関与した者が重い刑罰は受けましたが、ホロコーストで主要な役割を担った他の人々は、短い禁固刑または処罰なして釈放されました。他多くの犯罪者は裁判に掛けられることはなく、ニュルンベルク裁判は、戦勝国の正当化を押し付けた国際軍事裁判でした。

さて芝居の流れは‥‥。歴史にほとんど関心のなかったエーファ(24歳の女性)は、ポーランド語の通訳者として裁判に参加するうちに、かつて多くのドイツ人が殺害に加わっていた事実を知って衝撃を受けます。恋人のユルゲンは婚約者でもあり、将来の妻は夫に従うべきだという考えで通訳の仕事を辞めさせようとする。彼女は歴史をもっと知りたいと意志を貫く。何回か裁判に立ち会うエーファ。収容所到着後の非情な生死の選別と拷問の実態。怒りを込めて証言する人びとを前に、自分は知らなかったと言い放つ被告人の元親衛隊の男たち。エーファはいらだちます。裁判を通して、実は父が昔アウシュヴィッツで調理人として働いていたことを彼女は知ります。次第に優しい父母の過去までも裁判は明らかにしていく。‥‥おおよその芝居の展開です。

レストラン「ドイツ亭」の舞台で扱われた、アウシュヴィッツ裁判は実在しました。その芝居ではヒロインを通し、ドイツ人自らが行ったホロコーストを見つめ直すことがテーマです。このアウシュヴィッツ裁判では、自国の史実や法律を考え直す切っ掛けともなりました。彼女の他に舞台だけでなく、実在裁判には主人公がいました。

その主役は、裁判で原告団を率いたフリッツ・バウアー検事長です。ドイツとユダヤ人夫婦の間に生まれ、ナチス政権下でユダヤ人の排斥政策のあおりを受けデンマークやスウェーデンへと亡命。戦後西ドイツへ戻り1956年からフランクフルトの検事を務めます。この裁判起訴への発端は59年彼のもとに届いた1通の封書で、差出人は新聞記者であり、生還者が持ち帰ったアウシュヴィッツ強制収容所の殺人記録でした。バウアーはこの証拠書類を連邦最高裁判所に提出し、裁判を開く許可を得ます。

裁判でバウアーは、強制収容所における大量殺人は、一握りの狂人によって実行されたのではないと主張。推計で150万人を超える人間の殺害は、収容所における高度に組織化された能率的で効率的な分業と協業なしにはありえなかった。関係者の個々の関与行為がなければホロコースト全体は成立しえなかった。その行為のいずれもが、ユダヤ人迫害の最終的解決の実現に向かって協働したホロコーストの一部であり、かつ全体であった。バウアーはこのような根拠で、その全員が謀殺罪(故意による殺人)を共同して実行したと弾劾しました。

歴史家はこの裁判をドイツ社会のターニング・ポイントだったと評価しています。ドイツ人の歴史認識を変えたのは、勇気あるバウアー検事の多大な貢献だったと。バウアーは、肉体的・精神的な疲労が重なり、タバコとアルコールによって健康が害され、1968年7月自宅の浴槽で溺死しました。彼は決して特別な存在ではなく、普通のドイツ人であり、その普通のドイツ人が過去の歴史と向き合い、その暗闇と闘っている姿が浮かび上がってきます。

どこの国にも多くの史実があります。それを物語として私達に伝える橋渡しをしているのが、小説や映画や演劇です。作家や演出家の脚色もあるでしょうけれど、歴史書よりも物語に仕立てたほうが鮮明に伝わります。アウシュヴィッツ裁判は、忘れ去られようとしたドイツの闇にスポットを当てたもです。レストラン「ドイツ亭」の芝居は、その闇へ私にもスポットを当ててくれました。

以上が過去のブログ(二回分)の要約です。演劇を介して、フリッツ・バウアーという人物に関心を持ちました。アウシュヴィッツ裁判は、ニュルンベルク裁判と違って、ドイツ自らがホロコーストに向き合うきっかけとなった裁判でした。その流れは今日のドイツに、ナチハンターとして引き継がれていることになります。   ~次回に続く~

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