梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

半世紀余の歴史(その1)

2020年01月04日 09時44分51秒 | Weblog
新年、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。読んで下さっている皆様がいますので、それが励みとなりブログを書き続けられていますことに、あらためて感謝しています。

今年2020年は東京五輪・パラリンピックが開催されます。前回1964年の東京オリンピックの時私は小学生の6年でした。会社兼自宅を、江東区亀戸から江戸川葛西に引っ越した時が3年生でしたので、田舎の風景が残っていた葛西の土地に慣れた頃です。今年はあれから56年が経過したことになります。

前回のオリンピックで鮮明に覚えているのが、無い真っ青の空に描かれた大きな五輪です。10月10日開会式の時、航空自衛隊ブルーインパルスの戦闘機五機による妙技で、国立競技場上空に見事な輪を描き出しました。その五輪は葛西自宅のベランダからも、はっきりと見えました。

もう一つの思い出はオリンピック観戦です。通っていたのが東京の公立小学校で6年生だった等に因ったのでしょう、女子陸上競技の予選を学校単位で観るチャンスを得ました。ただ、残念だったのは当日雨、ビニールの薄いレインコートを着ての観戦でした。競技の中身より、国立競技場の圧倒的な広さと寒さが印象に残っています。

去年NHKの大河ドラマで、“いだてん~東京オリンピック噺”が放映されました。前回の東京五輪の一年前、1963年に始まったこのシリーズで、視聴率は大河の歴史上最低とふるわなかったようです。一方で、オリンピックを背景に、歴史に基づき複数の人物を重ね合わせドラマに仕立てた意欲作だった、との評も聞かれます。

私は全ての回を観ました。前半の主人公“金栗四三”という人物を全く知りませんでした。柔道の父“嘉納治五郎”は認識していても、日本の五輪初参加に尽力したり、東京開催を誘致することに精力的に活動したり、これほど五輪と深い関係にあった人物とは知りませんでした。

今回のドラマを観ていて、歴史の必然性や大切さを感じました。1964年以前に、戦争や世界情勢の急変で、東京初開催(1940年)の中止を余儀なくされた苦い過去がありました。日本のスポーツ界も明治・大正時代を経て、世界トップの選手に伍するまでは長い年月が必要でした。

私は小学6年生で体験して、オリンピックに興味を持ちました。それ以前については、番組を観て初めて関心を持ちました。東京五輪の55年前の1909年、第五回オリンピック・ストックホルム大会で、嘉納治五郎は団長として金栗四三は選手として、日本人として始めて参加しています。それが2020年まで連綿と繋がっています。

今新聞紙上で『1964⇒2020』と題して、1964年から2020年の東京五輪開催までの56年を振り返り、何が変り・何が変らなかったのか、私達の社会のうつろいを見つめる特集が組まれています。その中で一つだけ紹介しますと、「個の力で新たな仕事が台頭し職業の枠が薄れてゆく」、と指摘されています。

1960年代「日本標準職業分類」には記載があったがその後消えた職業として、例えばタイピストがあるそうです。現在ですが、学研教育総合研究所の「将来就きたい職業ランキング」に、ユーチューバーが4位で17年に登場し、19年はついに男子の1位に上り詰めたとのことです。

更に正月の新聞には、「逆境の資本主義、経済のデジタル化やグローバル化でさびつく成長の公式」「AIやIoT等のテクノロジーが次々と開花し、5Gと結びつき化学反応が生じ、これまでと違う産業の姿が浮上」、こんな言葉が目に留まります。これまでの半世紀余は想像を超える進化がありましたが、これからの半世紀余は想像が全く出来ない世界が拡大して行くのでしょうか。  ~次回に続く~
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