梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

12年前の判断(その2)

2014年09月13日 07時36分48秒 | Weblog
さて本題です。13年前、わが社に入社して役員を引き受けて下さった方がいました。わが社の仕入先でもあった商社に長年務め、50代半ばで関連会社に出向となって、そこで本来の任務も全うして、商社を定年前に早期退職をされた方です。その直後、私の補佐としてまた参謀役として、わが社に勤めてもらうことになりました。

それから1年後です。前触れもなく或る日突然と言えるほどの衝撃でした。長く素材を販売してきた会社から、多額の決済手形が、それも数日後の期日のものが落とせない、との事実を告げられます。細かい経緯は省略しますが、わが社は支援を申し出ますが、双方に行き違いも発生して、結局不渡りを出してその会社は破綻します。

販売先の商権を引き継ぎ、工場は借りて機械設備は買い取り、社員を再雇用して、わが社独自で経営してけるのか。その役員の常務が、私に代わって精査をしてくれました。販売先の商権が逸脱するのを防ぐ為にも、短期間の結論を迫られました。

その最中、私は常務にこんな質問をしました。「今回、私に起こっている事象はどう受け止めたら良いのでしょう」。「これは(この引っ掛かりは)、梶社長が持っている業(運命)でしょうね。これは大変な試練でしょうが乗り越えれば、この試練は大いに活かされるでしょう」

生半可なやり方ではわが身の運命をも危うくすることになるが、わが社も生きる為には、引き継ぐことの選択肢しかないとの結論でした。それから12年、わが社に加工事業も加わり、一つの柱になって、素材と加工が相乗効果をもたらし今に至っています。素材販売だけでは、今日のわが社は存在しなかったと言っても過言ではありません。

「社長はどうして、前の溶断業の会社の社員を引き継いだのですか」。目先のことしか頭になかった当時の私は、綺麗ごとでその会社と共に生きて行く為にとは、思っていませんでした。冷静に客観的に私にアドバイスをしてくれた、常務が当時いたので、その判断が出来ました。

その後の私は、どんなことがあろうとも関わった社員は、家族的な親しみを感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする