梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

鉄とレジャーランド

2013年08月31日 09時30分44秒 | Weblog
わが社に隣接する東京ディズニーリゾートですが、ディズニーランドが開園して30年が経ち、そしてディズニーシーが開園して11年が経ち、今や入園者は二つを合わせると年間で2600万人を超えると言われます。

しかしその母体となる会社は、当初から米国のディズニーランドを誘致する計画ではなかったのです。浦安沖の海を埋め立て、商住地域の開発と一大レジャーランドの建設を行い、国民の文化・厚生・福祉の寄与することを目的に創られたものでした。今から53年前の、何と昭和35年に設立された会社です。

京成電鉄と三井不動産が共同出資して創ったのが、その会社である㈱オリエンランドです。設立当初に直面した難事業が、浦安沖の埋め立てに伴う、魚業協同組合との漁業補償交渉と言われます。後に浦安埋め立ては、千葉県と共同的な事業として実施され、苦難を重ねながらも着実に進んでいきます。

その浦安沖埋め立て地の一部に着目したのが、現在の浦安鉄鋼団地協同組合です。交通問題や倉庫工場の手狭さの悩み等を抱えていて都心にあった鉄鋼流通業者は、昭和37年この計画を知ると、大よそ200の会社が進出を希望しました。

そこで業界の代表が千葉県と交渉し、地元の理解を得ることによって、昭和39年に分譲協定を締結しました。当時視察に来られた方々は、未だ埋め立てていない海を見て、自分達の倉庫や工場をイメージして将来の夢を語り合ったと言われます。

昭和43年に第一鉄鋼団地の埋め立てが完了して第一陣が入居しました。そして昭和48年に二回目の分譲協定が締結され、6 年後に第二鉄鋼団地の埋め立ても終わり、第一陣も含め約260社が進出したことになります。こうして誕生したのが日本で最大の鉄鋼業流通団地です。

一方オリエンタルランドは、一大レジャーランドの建設の計画はあったものの、埋め立ての方が先行しながら、一部埋め立て地は住宅用地や商業用地として分譲されます。現在のディズニーリゾートが位置する舞浜地区の埋め立てが完了したのは、昭和40年代の終わり頃。

そしてわが社が現存する千鳥地区の埋め立ては昭和50年中頃となり、直後の高洲地区の埋め立てを最後に、浦安市の埋め立ては現在まで行われていません。

~次回に続きます~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする