昨日は銚子忠霊塔にて戦没者慰霊祭。慰霊祭は全国各地で行われていた事と思います。参列者は高齢化、年々少なくなり、戦争の記憶も益々遠のいて参ります。さて、親苦労、子楽、孫乞食....。なる言葉を大先輩から賜りました。読んで字の如くです。戦中~戦後の世代が親、昭和20年代~40年代が子、以降が孫の代でしょうか。戦争の記憶が薄れ、世の中にまた“やむを得ない”が蔓延しているようです。温暖化に関するCO2の削減も、食糧自給率の問題も目標数値に遠く及ばず、“やむを得ない” 地域の問題も“やむを得ない” やむを得ない、やむを得ない....。長い間の鎖国から目覚め、明治維新を遂げて近代国家の仲間入りをした小さな国は、日清・日露の戦いに勝利し、大陸に進出を始める。大陸政策の行き詰まりを武力で解決しようとした時、悲劇の時代を迎える...。小さなやむを得ないを放置すると、世の中に何でもやむを得ない病が蔓延します。これが蔓延し大きなやむを得ないになると....。今の日本はGDPの2倍近い借金を持った状態。この水準は1943年(昭和18年)に近いとか。食糧自給率に至っては、昭和20年代より酷いかも(食べ物が溢れているのに...)。大きな事を言ったところで、吹けば飛ぶような人間の戯言....。なれど....。少なくとも、自分の周りの小さなやむを得ないを排除して行こう。そんな事を考えた今年の8/15でありました。
鹿児島県の鹿屋(かのや)、知覧(ちらん)特攻基地(跡)を何度か訪れた事があります。後世の日本人に向けた強烈なメッセージの数々を見て参りました。特攻の始まった昭和19年頃、すでに敗戦は必至。民族の...、祖国の...、誇りを....、と言いながらすでに武器弾薬、燃料、食糧すらも枯渇していた。特攻の指揮官は“俺もあとで行くから”と、若者達に“死んで来い”と命令を繰り返す。あとで行くからと言った指揮官の殆どは特攻に参加することは無かったようですが....。8/15にただ一人、最後の特攻機に搭乗して洋上に散った指揮官がいたと聞きました。美談として伝えられているけれども、指揮官としての責任の取り方は他にもあったはず..という意見も。これも聞き語り、特攻を前にした搭乗員の話。命令されるままに死ぬ。それがいちばん気楽だよ(本心は全く別だと思いますが)。それじゃ死に切れない。私は出来るだけ無残に惨めに死にたい。そうすれば後世の日本人はあんなバカな事するもんじゃないと思ってくれるだろう。自分の死が後世の日本人にバカな選択をさせないとするなら、この死にも意味は有る...。すでに敗戦をすべての搭乗員が悟っていた時期。地下壕で“やむを得ない”を繰り返す指揮官達を尻目に、死して尚生きたいと願う搭乗員....。お話を聞かせて頂いた大先輩に限らず、生き残った方々が必ず口にする言葉。私は生き残って“しまった”。生き残ってしまったから、死んだつもりで懸命に働いた。戦後、奇跡の復興はこういう世代に支えられ、その繁栄を何の苦労も無く手に入れた我々世代....。続きは明日。
銚子の隣、神栖に神之池(ごうのいけ)という場所があります。今は公園になっており、憩いの場となっているところでありますが、戦時中、ここには海軍神之池航空隊(百里原航空隊)と呼ばれる部隊がありました。人間爆弾“櫻花”という特別攻撃隊の基地です。この部隊で訓練を受けた方々が鹿児島・鹿屋(特攻の最前線基地)に向い....。この神之池で訓練を受け、鹿屋に向かう途中で終戦を迎えたという方に何度もお話を伺う機会がありました。日本人として62年前の事から目を逸らしてはならないと....。1940年(昭和15年)、日独伊軍事同盟締結。この同盟を締結する事は世界を敵に回すこと、と反対の立場を貫いてきた海軍が、時代の雰囲気に抗しきれずに同盟に賛成。今となっては何でも言えることですが、時代の“雰囲気”に抗う。この姿勢を保ち続ける難しさ。海軍高官の所感、もはやこの同盟に賛同すること“やむを得ず”....。戦うも亡国、戦わざるも亡国、もし戦わざるして敗れる事となれば、これは日本人の魂の真の亡国である。当時の若者はこの言葉を信じ、自分も志願したんだよ...。敗戦濃厚となった昭和19年、爆弾を抱いて敵空母に突っ込む特別攻撃隊が結成されるが、もはや武器も食糧も底を尽いていた...。この時、特攻を指示した高官の言葉も“やむを得ない”すべて後になってから分かった事としながらも、“やむを得ない”決断で、多くの若者が死んだ...。やむを得ない、仕方ない....、いやな言葉ですが、時々使ってしまう言葉です。この方の前でこの言葉を発した時、激怒されました....。続きは明日。
練製品に限らず、すべての食品について、いままでのツケが回ってきているようです。昨年、豪州が大規模な干ばつに見舞われました。完全に温暖化の影響と報告されております。これによって豪州の小麦生産が激減。米国ではバイオエタノール生産がバブルのような状況を呈しているのだとか。小麦生産を止めて、バイオ~原料のトウモロコシ生産に切り替えている農家が増えているとも報道されております。小麦は味噌、醤油、うどん、パン、菓子.....、日本人の生活にとって欠かすことが出来ないもの。その小麦の自給率は14%と言われております。世界は激変しております。特に“温暖化”という切り口。これは現代人に生活様式の変更を求めているように思います。自給率14%での不都合を今まで感じなかったのが異常...。8/15を前に、今年は食を考える。そんな時間を作ってみたら如何でしょうか? 如何に食べるか=如何に生きるか?と考えた時、安易に農地を放棄、農畜水産業を馬鹿にしたツケ.....。オランダその他、このブログでも歴史を振り返って参りましたが、その代償は非常に大きい。恐いので考えたくない....。農畜水産業が“地場”産業になっている場合、“金銭的な”問題のみで、あるいは3K労働と呼ばれる産業を表面上は尊重しつつ、腹の底ではバカにしてきたツケ。墓参りなんかするより、海外旅行を楽しみたい...。腹の底では引け目を感じつつ、自らのライフスタイルを鑑みるに、やむを得ない、仕方ない.....。もう最後に近いだろうと思われる、特攻隊の生き残りの方(80代)より思いを託されました。第二次大戦はやむを得ないに始まり、やむを得ないに終わった...。その悲惨さは....。続きは明日。
“かまぼこ”など水産練製品はもともと、前浜で揚がる貴重な魚を無駄にしないため、あるいはより美味しく食べるための技法。全国各地それぞれ、揚がる魚に特徴があるため、それぞれの産地でその特徴にあった製造方法や商品が生まれました。が.....。後継者激減、廃業続出の昨今であります。前浜で揚がる魚を仕入れて、原料作りから。早朝から深夜まで....。こんなことじゃ後継者なんて集りませんよ....。ベストセラーとなった“添加物”の本にそんなくだりがありました。オヤジさん、冷凍すり身使って、あれと、この添加物を混ぜると、ほら同じでしょ...。これで楽になれば、休みも取れるし、後継者も来てくれるかもしれない...。著者の方はその手法でトップセールスマンになりながら、お子さんの誕生その他で強烈な自己嫌悪に陥ったとありました。冷凍すり身は米国のすけそうだらを原料にしておりますが、すでに日本の練製品製造の40%前後がこれらに依存しております。世界的な水産資源争奪戦の昨今、この冷凍すり身も高騰を続け、水産白書の最新版においても、諸外国に“買い負け(他国が日本より高く買うので日本の必要量が集らない)と記載されております。価格が上がるという状況を越えて、手に入らなくなっているということです。楽になるはずだった冷凍すり身。これに過剰な依存をした結果、“買い負け”という状況を迎え、原料が集らなくなり...、再生産活動が止まる。練製品はもともと“前浜”原料を有効に使っていたはずなんですが....。
有識者と呼ばれる方々の見解や、食の世界で現実に起こっている事。これらを丹念に重ね合わせると、我々は本当に薄氷の上に暮らしていることが分かります。“本気で”考えると“不都合な事実”が次々と見えてしまうので、出来るだけ目を背けていたい...。そんなところでしょうか。でも確実に危機はやって参ります。先程TVのニュースで自給率40%割れ、の報道が有りました。自給率40%割れは記録的なコメの不作年であった平成5年以来13年ぶりだそうです。平成27年までに自給率45%が国の目標値のようですが、かなり難しい状況のようです。自給率の高いコメ離れが進んでいるからです。そのコメにしても、自給率は100%ではありません。95年に日本がWTO協定を締結した後、ミニマム・アクセスの名目により、この10年間で日本人が年間食べている量に相当する700万㌧以上のコメが輸入されております。ミニマム・アクセスとは必要最低量の輸入枠の事。要するに、国際社会の一員なんだから少し付き合いなさい。さもないと....。と言う事であります。それでなくともコメ離れ、国内の米価は上がらず、1俵(60㎏)で1万円台の前半。1反(約300坪)から取れるコメは8俵前後。300坪の田んぼを管理するのがどれだけ大変か....。後継者問題を机上で論ずるのはたやすい事です。さてその輸入米、いまだ大量の保管在庫があるようです。その保管には数千億円の“公的資金”が注ぎ込まれております。明日から本題に入ります。
“不測時の食料安全保障について”というマニュアルの存在をご存知でしょうか?食糧危機が来る。なんて書くと、そんな事起こるハズが無い、オオカミ少年になっちまうぞ...、となる訳ですが、目の前にある“現実”を丹念に重ね合わせると、悠長な事を言っていられる場合では無いことが容易に察せられます。我々は食料自給率40%以下の国に住んでいます(世界最低水準です)しかも、農産物輸入の43%、水産物の31%をアメリカ、中国の2国に依存しております。冒頭のマニュアル、農水省のHPから閲覧可能です。60ページにも及ぶ内容で、一読されたら、この国の食料問題の現実を知り、戦慄を覚える事でしょう。起こりうる状況をレベル0からレベル2の3段階に分類。最も危機的なレベル2の段階においては、内閣総理大臣が国民生活安定緊急措置法に基づく配給・割り当てを発動するとあります。この段階においては国内生産のみで1日2020㌔カロリーに制限。具体的に言うと、朝は茶碗1杯のご飯、ジャガイモ2個、ぬか漬け1皿、昼は焼き芋2本、ジャガイモ1個、リンゴ1/4個、夜は茶碗1杯のご飯、焼き芋1本、焼魚一切れ、牛乳は6日に一回コップ一杯、卵は7日に一度1個、肉は9日に一回100g...。これ昭和20年代後半の水準だそうです。8/15を前に、TV等では盛んに戦争の特集が行われております。年を追うごとに戦争を実体験した世代がいなくなり、本当の“ハングリーさ”を知らない我々は、この数字を見て何をなすべきか?相当の覚悟が必要な時代になっている事は事実のようです。続きは明日。
本日より1週間、休刊させて頂きます。600回休み無く継続して参りましたが、一昨日の衝撃は大きく、気持ちの整理が付かず、何も書く事が出来ません。甚だ勝手を申しまして誠に申し訳ございません。ただただご冥福をお祈り申し上げます。
先週土曜日は銚子・波崎で大潮祭りがありました。写真は川口神社の正午頃の様子。旗には“霊汐送鮮魚”と書いてあります。もう一本には、“神潮迎魚舸”(“舸”という字は難しいですが、どうも船の旧字のようです)いずれも川口神社が海の守り神として篤く信奉されている事から、何となく意味は分かるような気がします。鮮魚の霊を慰め、漁船の無事を祈る。と言う事でしょう。川口神社の歴史は古く、1000年以上の歴史を有しております。その中で幾多の伝説、いわれ等が数多くあります。陰陽師で有名な安倍晴明なども出て参ります。ここで出てくる晴明は映画で見たような万能のヒーローというより、ひどい野郎だ....、と言われかねない所業とともに描かれております....。観光協会のHPなどに書かれているようですので、詳細はそちらをご覧下さい。この神社は母校である銚子一中の近くと言う事で、親しみというより、いつもそこにあった神社。本当に失礼な話しながら、特に気にも留めず....。という存在でありました。帰ってきてから毎日のようにこの前を通っておりますが、茨城・大杉神社との関係、亀の墓(後日掲載します)....、こんな事が分かるって来ると、この神社(地域)と各地の“繋がり”という事を意識し始めるようになっております。この階段を昇り、振り返ると利根川河口が一望できます。そこに1000年以上立ち続けている川口神社。“霊汐送鮮魚”“神潮迎魚舸”....。本日より8月。今月末からはサンマ船が入港を始めます。