銚子・角巳之・三代目

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天保二年

2011年11月01日 | インポート

Img_7130生物学的に見て、人間がこの世に生まれて果たすべき責任の一つは、生命の連続性。要するに子孫を残すこと...。 そういう意味において私はその責任を果たしておらず、全くの論外でありますが、望んでもできない方々など、人間みな何らかの事情がある訳であります...。しかしながら生きとし生けるものすべて、その生に意味はあり、果たすべき責任の形はそれぞれ...。田んぼの生き物調査で明確に見えて参りました。子孫を残すとは、生物学的な現象に留まらず、その家のたどってきた道を知り、伝え、託す、その経済的、精神的・・・すべてを指すのではないか?最近そう思うに至ります。やらねばならないことは山ほどある。しかも限られた時間の中で...。今までの感覚でいえば、ほとんどのことが煩雑で無意味でバカらしく、どうやってその責任を回避してやろうか?と、ない知恵を振り絞ったことでしょう。しかしながらやはりあの家系図。天保二年の昔より、紐解いていくと、私の祖先が家を残すために実に様々な手を打ってきた。それが鮮明に見える。200年近い歴史の中で、10歳まで生きられなかった方々多数、戦死者、親類や従業員との養子縁組....で、今があるわけであります。目に見えないものへの畏(おそ)れ...。感じ方は人それぞれでありましょうが...。さてさて、天保二年は西暦だと1831年になるようです。江戸時代後期、時代の変化が目に見え、その後に起こる明治維新を前に、その原動力たる地下マグマが沸点に向かって上昇していくその胎動期....。年表で見ると、良寛和尚がなくなった年とありました。良寛和尚に象徴される穏やかさから、好むと好まざるとに関わらず、戦いに向かっていく変化の年...。銚子に紀州・和歌山から先達が本格的な入植を始めたのは1600年代中頃なのだそうです。ちなみにヤマサ醤油の創業は1645年(正保2年)で、ヒゲタ醤油は1616年(元和2年)ともにHP参照。みな、変わらない(生き残る)ために勇気を持って変わり続けてきた方々...。江戸時代から続く連続性...。これから時間を見つけて続きを掲載してまいります。


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