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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

フォークダンス

2025-01-15 | 文化

私が高校時代だったのは昭和51(1976)年から昭和54(1979)年。
全国的なものなのか、それとも母校だけの文化だったのか
とにかくことあるごとにフォークダンスを踊った。
体育祭の後夜祭、桜雲祭(文化祭)の中夜祭、後夜祭、
今思い出して改めて驚くのは
修学旅行の夜も宿舎の中庭でフォークダンスがあったこと。
なんでまたそんなにフォークダンスが好きだったのか
今となっては不思議なのだが
当時はそんな疑問を抱くこともなく、当たり前だと思っていた。

曲目はほぼ「マイムマイム」「コロブチカ」「オクラホマミキサー」。
これを繰り返し、繰り返し踊ることになる。
何となく覚えていて、うまい方法だなぁと思うのはその進行の仕方。
まず最初に弊衣破帽で無精髭の応援団幹部やその仲間たちが輪を作り
10人ほどの男子のみ少人数で「マイムマイム」が始まる。
そのうちに徐々に男子生徒が入っていき、
その輪がだんだん大きくなる。
何度目かの「マイムマイム」の後、
充分に人数が揃ったと思われるタイミングで一旦小休止。
輪に入っていた男子生徒が一斉にばらけ、
それぞれ壁際で見ていた女子生徒たちを引き連れて輪に戻る。
当然男女の人数は同数。
そこで初めて「オクラホマミキサー」や「コロブチカ」となる。

え?選ばれなかった女子が可哀想?
ところが、実は当時の母校は男子が2/3を占めていて女子が少ない。
最初からフォークダンスに参加するつもりのない女子は
教室やどこか離れた場所でダベっていたりするし、
最初の輪が解けて女子を誘いにいくのは
壁際の女子人数よりも輪の人数が多くなったタイミングなので
あぶれてしまう女子はほぼいなかった(と思う)。
(男子の方が女子を連れて来れずにあぶれていた記憶がある)
主に3年生の女子は(女子の方が大人なので)すでに興味がなく
その場にはいなかった。
壁際で見ていた女子は1〜2年生が多かった気がする。
(男子は2〜3年生が多かった)
うまいことシステムが機能していたんだなぁ。

何年か前に、高校の同期会の途中で
イタズラ心で「マイムマイム」を流してみたら
だいぶ酒が入っていたと思われる参加者たちに大ウケし
なんとそのうち半分ぐらいのメンバーで踊り始めた。
10代の3年間で身についた習性というものは恐ろしい😆
高校時代も遠い記憶となった60代になっても、いまだに
「あの時もう1曲続いていたらお目当ての娘と踊れたのに」
と45年も前の恨み節を吐露する男たちもいるほど
我々の体に染み付いている。

フォークダンスは、戦後GHQの教育施策で全国に普及したそうだ。
昭和25(1950)年ぐらいから昭和40年代ぐらいには
小中高校で盛んに行われたらしい。
岩手の田舎にはその文化がずーっと残っていたんだろうなぁ。
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