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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

昭和50年代

2018-04-15 | 生活の風景
高校を卒業し、
大学入学のために花巻を離れたのは昭和54年の春。
巷では中島みゆみの「時代」や
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が流れていた。
「♪ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ ♪」
「♪ 恋人よ ぼくは旅立つ 東(私は南)へと向かう列車で ♪」
歌詞が当時の自分の立場にドンズバで
今も少々の苦味を伴って甘酸っぱく聴く曲だ。



ウグイス色の電車と青い電車が並んで走るところが東京。
当時はそんなイメージだった。
花巻から6時間かけて上野へ向かう特急やまびこが
赤羽を過ぎ、田端を過ぎると、そんな風景が目に飛び込んでくる。
不安と、期待と、心細さとで身震いするようだった。
上野駅は東北本線の終点駅。
電車から降り、電車の先頭方向の中央改札へ向かう途中に
車止めがついた線路の末端がある。
「あーここが青森から切れ目なく続く東北本線の端か」
と、後ろを思わず振り向いてみる。
ここから始まる線路をずーっと辿っていくと故郷がある。
そんな思いを断ち切るように、また前を向いて
乗り換える山手線のホームに向かうのが常だった。
山手線や京浜東北線、そしてよく利用したオレンジ色の中央線は
その頃はもう冷暖房が完備された車両がほとんどだった。
しかし黄色の総武線はまだ扇風機が付いているだけ。
窓から流れ込む生ぬるい風に汗を乾かした夏も懐かしい。
ちなみに地下鉄は駅も電車の中も冷房が付いておらず
東高円寺のアパートへ帰る夏は汗で服が重くなったものだ。



高校時代、野口五郎の「私鉄沿線」という歌が好きだった。
風の「冬京」にも私鉄の電車の駅が出てくる。
そんな歌を聴いていた頃のイメージは、地面を走る電車。
駅前にはそれぞれ個人営業の小さな店が並ぶ商店街があり、
駅のそばにはすべからく踏切がある風景。
今はもうどの私鉄路線も地下化や高架になってしまって
地面を走る私鉄はよほど郊外に行かないと見られなくなっているが、
この「駅ごとに商店街を持つ地面を走る私鉄」も
私にとっては東京のイメージだった。
小さな駅や、小さな商店街、各駅停車の古い車両・・・
そんな風景の中に私を含むひとりひとりの学生の青春があった。

私が大学を出た後、たくさんの悔恨や思い出を持って
後髪を引かれるように花巻に帰ったのは
マドンナやプリンス、ヴァンヘイレンなどの新しい洋楽が
MTVで知られるようになった昭和59年だった。
あっという間にビデオが普及し、
Hi-Fiビデオなど使って音楽と映像が融合したのがちょうどこの頃。
バブル時代前夜のことだ。
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