「男と女の間には大きな隔たりがあるのですよ」
そうだよ。
男と女は生き方も考え方も価値観も違う。
というか、そんな大括りな話じゃない。
自分とAくんとも、Bくんとも、Cさんとも違う。
ひとりひとり違う。
大人と子どもも違う。
アメリカ人とも、中国人とも、イエメン人とも違う。
でも違うからいいのであり、面白いと思うのだ。
昨夜、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。
ゲストは女性学の権威で、元東大教授の上野千鶴子さん。
上野さんの本は何冊か読んだし、
その発言が面白くて注目もしてきた。
・・・が、夕べは爆笑問題の2人に完全にしてやられてたな。
「相手が嫌がってるかどうかのサインもわからないの?」
という発言の段階で上野さんの負けだと思ったよ(笑)
わからないよ。違うんだもの。
男が出すサインだって女はわからないはず。
客観的にニュートラルに学問している人として見てたけど、
ちょっと女としての感情がはいっちゃったかな。
「違い」を認識し理解しあうことこそ
人間社会の根源的な営みだと思うんだ。
女でいて不利なことを並べたりもしてたけど、
男にだって男として不利なこともある。
もちろんどちらもそれぞれ有利なことだってあるはず。
それらは認識しあい、理解しあうことで
相当部分溝は埋められるけど、
あとは仕方がないことだ。
「うちの嫁」って言い方はワタシは好きじゃないのでしないけど、
でも「嫁」と言われて嬉しい女性もいるらしいから
そういう言い方が正しくないとは誰も言えない。
人それぞれ、カップルそれぞれに
自分なりの価値観や文化があるのだから
もしそれでいいのなら周囲がとやかく言うことではない。
メイドカフェの女の子に萌える男たちを
「単純ねぇ」と上野さんは言ってたけど、
そういう子が好きな人もいれば
ワタシのように全く興味ない人間もいる。
そういう格好をしたい女の子もいれば、
ビジネスと割り切ってる子もいる。
それは需要と供給の問題であり、
ジェンダーとは次元の違うことだろう。
「男らしさ」「女らしさ」ってのは国や民族によっても違う。
結局「文化」なんだと思うよ。
そうだよ。
男と女は生き方も考え方も価値観も違う。
というか、そんな大括りな話じゃない。
自分とAくんとも、Bくんとも、Cさんとも違う。
ひとりひとり違う。
大人と子どもも違う。
アメリカ人とも、中国人とも、イエメン人とも違う。
でも違うからいいのであり、面白いと思うのだ。
昨夜、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。
ゲストは女性学の権威で、元東大教授の上野千鶴子さん。
上野さんの本は何冊か読んだし、
その発言が面白くて注目もしてきた。
・・・が、夕べは爆笑問題の2人に完全にしてやられてたな。
「相手が嫌がってるかどうかのサインもわからないの?」
という発言の段階で上野さんの負けだと思ったよ(笑)
わからないよ。違うんだもの。
男が出すサインだって女はわからないはず。
客観的にニュートラルに学問している人として見てたけど、
ちょっと女としての感情がはいっちゃったかな。
「違い」を認識し理解しあうことこそ
人間社会の根源的な営みだと思うんだ。
女でいて不利なことを並べたりもしてたけど、
男にだって男として不利なこともある。
もちろんどちらもそれぞれ有利なことだってあるはず。
それらは認識しあい、理解しあうことで
相当部分溝は埋められるけど、
あとは仕方がないことだ。
「うちの嫁」って言い方はワタシは好きじゃないのでしないけど、
でも「嫁」と言われて嬉しい女性もいるらしいから
そういう言い方が正しくないとは誰も言えない。
人それぞれ、カップルそれぞれに
自分なりの価値観や文化があるのだから
もしそれでいいのなら周囲がとやかく言うことではない。
メイドカフェの女の子に萌える男たちを
「単純ねぇ」と上野さんは言ってたけど、
そういう子が好きな人もいれば
ワタシのように全く興味ない人間もいる。
そういう格好をしたい女の子もいれば、
ビジネスと割り切ってる子もいる。
それは需要と供給の問題であり、
ジェンダーとは次元の違うことだろう。
「男らしさ」「女らしさ」ってのは国や民族によっても違う。
結局「文化」なんだと思うよ。