風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

賢治さんを感じる散歩道

2018-04-10 | 生活の風景
宮沢賢治さんは26歳だった大正10年稗貫農学校の教員となった。
当時の農学校は現在の県合同庁舎のあたり
花巻共立病院(現総合花巻病院)の隣で
花巻高等女学校(現花巻南高)の校門前にある小さな学校で
「桑っこ大学」と揶揄されるような学校だった。
その2年後の大正12年に岩手県立花巻農学校となり、
かつての南万丁目村に移転。
現在の花巻市文化会館、私立花巻図書館、ぎんどろ公園がある場所だ。
賢治さんは結局大正15年の春には退職してしまったのだが
花巻農学校は昭和40年代までその場所にあり続けた。
私の実家はそのすぐそばだったため、
農学校(農業高校になっていたが、まだそう呼ばれていた)のことは
生徒の皆さんが実習で作った野菜やジャムを売りに来たり
野球部や陸上部の人たちが校庭で練習していたり
実習用の畜舎で飼われていた豚や鶏、牛など
子どもながらによく覚えている。

花巻農学校になってからの2年とちょっと
賢治さんが通ったであろう道(当時はこの道しかなかった)を辿ってみた。







ここが当時花巻農学校があった場所。
文化会館や図書館がある場所に立派な校舎があり
ぎんどろ公園になっているところは実習用の畜舎だった。



道路を挟み、今文化会館の駐車場になっているところが校庭。
子どもの頃遊びに行ってはお兄さん、お姉さんたちに可愛がってもらった。



ここから市街地にある賢治さんの家へ向かう道路を歩いてみる。
周囲の家はもちろん変わったが、道路の形は当時のまま。



ここいらは当時は鄙びた郊外で戦争の被害もなかったので
まだ古い家が結構残っている。



おそらく江戸の昔から残っている馬頭観音。
賢治さんもこれを眺めながら通っていたに違いない。



馬頭観音前の分かれ道は、どちらも古くからの道。
左の狭い道は古刹地蔵寺につながっている。
左端に見えるピンクのアパートがあるあたりに
私が子どもの頃まで牛乳屋があった。
87歳の母に聞くと、母が子どもの頃にはもうあったらしい。
(その頃は牛を飼っていて、搾って売っていた由)
個人的に勝手に、ここが「銀河鉄道の夜」に出てくる
ジョバンニくんが母親から頼まれて
牛乳を買いに行った牛乳屋のような気がしている。
その理由は後述。
でも、通勤路に作品のヒントやモデルがあったというのは
充分考えられることではなかろうか。



道は続く。
この写真の左側に母の叔母さんが戦前から住み続けた家が
廃屋となってまだ残っている。



途中に、このあたりの産土である鼬幣稲荷神社へと向かう道。
神社の裏側に出る、ちょっと面白い好きな道。



こんなささやかな谷を左に眺めながら道は延びる。
この谷(というか坂)で子どもの頃スキーをした思い出がある。



この道が鍛治町商店街に下っていくてっぺんに
舗装されていない私道が分かれている。
その先はかつて西公園と呼ばれた昔の市民の憩いの場。



道の左側は急峻な崖になっており
街の南側が一望できる。



目をこらすと遠くの豊沢川にかかる東北本線の鉄橋が見える。
以前、夕暮れの中でここを通る列車を見たことがあった。
車内の明かりが点々と灯り、
川にかかる鉄橋なので宙に浮いて走っているように見える。
「おぉ!! 銀河鉄道じゃないか!!」
ということで、
実はこの西公園が「銀河鉄道の夜」の舞台なのではないかと思うのだ。
近くに牛乳屋はある。
牛乳屋の老婆に「後でおいで」と言われ
ジョバンニくんは近くの丘で寝転び夢を見ることになる。
ここは丘だ。しかも中に浮く列車が見える。
考えてみれば、鍛治町商店街も上から眺められるから
商店街入り口にある如来堂の縁日で提灯が並べられていると
まるで目覚めたジョバンニが目にした「銀河のお祭り」じゃないか。
そんな考えが何年も前から頭を離れない。



ちなみにこの西公園にあるお社は天神さんと言われ
江戸期の文人たちの筆塚などもある。



元の道に戻り、急坂を下りていく。



その途中が小さな橋になっている。



この下は、今はサイクリングロードになっているが、
昭和40年代初めまでは鉛温泉に向かう花巻電鉄の電車が走っていた。
それも確かに記憶に残っている。



坂を下り切ると鍛治町商店街。
今は花巻と北上を結ぶ道路との交差点になっている場所には
鎌勘という酒屋があった。
同級生の家で、小学校4年の頃毎日のように遊びに行ったものだ。



鍛治町商店街の途中に高喜楽器という店がかつてあった。
賢治さんはよくここでレコードを買っていたという。
田舎町の店なのによくクラシックレコードが売れていると知り
レコード会社が調べに来たらしい。



鉛温泉方面から来る電車から降りたところにある
市街地の入り口だった鍛治町は
電車の廃止とともに衰退してしまった。
主要道路も坂上にできた、今の若葉小学校前の県道となり
花巻南温泉郷方面へのメイン道路でもなくなってしまった商店街は
店もだいぶ無くなり、ひっそりとしている。
コメント
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