風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「ぼくから遠く離れて」

2014-04-17 | 読書
はっきり言ってあまり好きな作家ではなかった。
確かにこれまで読んだ中では
「サヨナライツカ」は東南アジアとの出会いのきっかけとなったし
(それにしても映画はひどかったなぁ・・・^^;)
江國香織さんとの共著「右岸」(江國さんは「左岸」)は
それなりに惹き込まれて読んだけれど、
(まぁ「左岸」の方が面白かったけど)
それでも初めて読んだ「海峡の光」の暗いイメージがあり、
心の中の触れて欲しくない部分を引っ掻かれるような
どこか不快さを感じさせる作家というイメージだった。

最近ではタレント&歌手だった奥様との離婚問題が
webニュースや週刊誌で盛んに話題になっており、
それも「中性的なライフスタイルに奥さんがついていけない」
という、少々うんざりするような報道だったために
「なんだそりゃ」という意識をますます持ったばかりだった。

・・・が、
本作を読み、最近の報道から感じるイメージが180度変わった。
テーマというか、切り口はジェンダーだけれど、
あくまでこれは「『ねばならない』からの解放」の物語だ。
男は男らしく、女は女らしく、から解放されるために
主人公は羞恥心を越えて女装して外へ一歩踏み出す。
でもそれは性の問題だけでは無いだろう。
勤務先の役職、地域での役割、家族の中での位置づけ、
「○○くんのお父さん、お母さん」「××さん家の息子さん、娘さん」
として「らしくあるべき」「ねばならない」からの解放。
荷を下ろすということは楽になることである半面
裸の自分を晒すことになるためとても勇気がいることだ。
人は「社会的自分」にアイデンティティーを求め勝ちなので
解放されるということは、「社会的自分」とは別に
個性という強烈なアイデンティティーが必要でもある。

でもね。
時々「社会的自分」の鎧を重く感じること無い?
狭っ苦しい社会的な枠組みを苦しく感じることは無い?
社会的立場に一喜一憂して疲れてしまうことは無い?
そこからの解放のメタファーとして本作はあるのだろうと思う。

また自分とは違う立場になってみないと
その立場としての本当のことはわからないということも強く感じた。
どんなに想像力を働かせようとも、
実際女(男)になってみないと、女(男)のことは男(女)にはわからない。
もちろんジェンダーの問題だけではない。
社会的立場、人種、国籍、仕事・・・すべてにおいて言えることだ。
それでも近づくことはできるのではないか?
「社会的自分」を解放しながら。

 「ねぇ、君は自分ではどう思っているの?
  女性?それとも男性?
  ごめん、差別心で聞いてるんじゃない。
  でも、君の口からそのどちらであるのかを聞いてみたい」
  マナはじっと君を見つめて、こう告げた。
 「どっちでもない、わたしは、自性。自分の性を持っている」

本作は何度か読み返すことになると思う。きっと。


「ぼくから遠く離れて」辻仁成:著 幻灯社文庫
コメント
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