世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

林田藩の藩校の跡や土蔵の町家の間にある地酒屋は子会社に研究所も持っていました

2015-05-10 08:00:00 | 日本の町並み
 松山の市街地と空港を結ぶ道路の途中の南斎院には、たくさんの長屋門が並ぶ田園風景が広がっていました。長屋門は、いくつかの町で見かけますが、姫路市の郊外の林田にも立派な長屋門の残る屋敷や地酒の酒蔵の残る町並みが続いています。今回は、この林田地区を紹介します。

 
 姫路市の林田地区は、姫路の市街地の北西方向15km、路線バスで35分ほどの距離にある町並みです。林田地区は、一万石のの城下町で、陣屋跡の石垣などが小高い聖山と呼ばれる小山の跡に残されています。そばには、藩校であった敬業館の建物の一部が残されています。現在の因幡街道の国道29号線と林田川が並行する西に旧街道があり南北に1kmほどの古い家並みが広がっています。この旧因幡街道沿いの町並みは、陣屋跡の南にある旧三木家住宅から林田小学校の近くまで、土蔵造りの民家や地酒の酒蔵などが続いています。

 
 三木家は、林田藩の大庄屋を務めた地主で、周辺を塀で囲まれた4,000㎡を越える屋敷が残されています。下部を板張り、上部を漆喰の塀の南側の中央に松山の南斎院と同じような長屋門があります。こんな立派な農家の長屋門を見せられると、士農工商じゃなくて農士工商、いやいや農商工士ではないかと思ってしまいます。現実は、どこかのお隣のように、格差のきわみ、ごくごく一部の富裕層に過ぎないのでしょうが。

 
 
 一方、陣屋跡の北側は道路に面して格子や白漆喰で塗られた壁に格子が切られた窓がある町家が並んでいます。この町家の中で長谷川家住宅は、江戸時代末期に建てられたもので、姫路市の都市景観重要建造物に指定されており、宿駅の雰囲気を残しています。

 
 これらの町家の間に地酒のヤエガキ酒蔵があります。江戸時代に起源を持つお酒屋さんで、現在の会社組織になったのは大正年間で、八重垣ブランドの地酒を醸造しています。伝統製法の日本酒に加えて、特別に甘口のものや日本酒をベースとした発泡酒や、焼酎なども作っているようです。醸造醗酵の研究や、海外進出を支援する子会社を持ち、とても地方の地酒屋さんとは思えないアクティブな会社のようです。

 日本酒は、デンプンの糖化とアルコール発酵が同時に進行する複雑な醗酵醸造過程を取って作られます。原料や温度の管理などは杜氏によって微妙なコントロールがなされて、それぞれの蔵元の味が生み出されるようです。温度のコントロールなどは、コンピュータによって制御されるようになってきてるのでしょうが、味の決め手の米や水それに麴や酵母などの原料は天からの恵みで、コントロールするのは難しいように思います。ただ、日本酒の原料の米の山田錦の栽培については、栽培される環境をデータ化して、コンピュータを使って良い米と環境との相関分析進んでいるようです。米作りの過程での施肥や水の管理などで、お酒に適した米に向いた栽培ができ、原料米の品質向上と増産が期待できるのだそうです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。