世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

姨捨に近い稲荷山宿は、俗世間から捨てられたかのようにひっそりと蔵の町並みが続いていました

2009-11-22 08:00:00 | 日本の町並み
 武田氏の滅亡の有様を克明に記録した武田滅亡記が保存されている大善寺があるところがワインのふるさとでもある勝沼でしたが、武田信玄と上杉謙信が戦った古戦場として有名な場所が川中島です。川中島の戦いは第五次まで戦われ、そのうち最大の第四次の主戦場が千曲川と犀川の合流地点の島状となった八幡平であったことから、総称して川中島の戦いと呼ばれています。最終戦の第五次の戦いは、西寄りの塩崎城が舞台になりましたが、この塩崎城があった近くの宿場町が稲荷山宿です。蔵の町としての町作りが進められている町並みを紹介します。

 稲荷山宿は、江戸時代に善光寺西街道の宿場町の一つとして、また呉服問屋を中心とした商人の町として栄え、明治期には生糸の集散地として長野県第二の税収があったそうです。しかしながらJRの駅が地元の反対にあって、遠くはなれたところに作られたことことも原因になり、商都としては衰退してしまい、冷凍保存されたような蔵の町が残されたようです。かつての宿場町が、鉄道が通ることを嫌った例は多いようで、首都圏では甲州街道沿いの反対で、現在のまっすぐな中央線が出現したのは有名です。兵庫県の篠山でも反対にあった駅は、町のはるか南に作られ、あげく利用者が少なくって廃線になってしまいました。

 その最寄り駅の稲荷山駅は、JR篠ノ井線を篠ノ井から松本方向へ一駅乗ったところです。篠ノ井線は急勾配が続く線ですが、

車窓からの眺める善光寺平の眺望で有名なスイッチバックの駅の姨捨(おばすて)駅の手前、稲荷山駅は勾配に差し掛かるふもとの駅です。前述のように、駅は稲荷山地区の北2kmほどのところにあって、行政的には長野市篠ノ井に属し、稲荷山地区は千曲市の一部になっています。品川駅が品川区ではなく港区に属し、京急線で一つ南に乗った駅が北品川ということと同じ状況です。
 
 稲荷山駅を降りて、車の行きかう県道を2kmほど南に行くと、稲荷山地区に着きます。筆者が訪問したときは、朝の7時頃だったせいか、町全体がひっそりしていました。

ひっそりしているというより、人の気配の無いというか、生活の匂いがしない廃墟のような感じがするのです。あとで調べてみると、無住の家が増えていて、せっかくの土蔵つくりの家並みも傷みが激しいのだそうです。壁がはがれたり、屋根の一部がトタン張りになっていたり、滅びの美学を通り越して、ちょっと痛々しい感じを受けます。
  
松本と長野という観光地の中間で、善光寺平を背景にした棚田の風景でJRの美しい車窓風景の十指に入る姨捨も近いという地の利がある場所にある稲荷山です。俗化するのはイヤですが、このまま朽ち果ててしまうのは惜しいように思います。
 
 姨捨は、「楢山節考」のモデルにもなった、口減らしのため老人を山中に置いてくる伝説の山です。縄を灰で作る知恵を、山中に捨てたはずの老婆から教えられて、老人の知恵に感心をし、棄老を戒める物語になっています。この姨捨の行為は、携帯電話の風潮に似ている気がしてなりません。さして不都合が無く、使い勝手も慣れている端末を捨てさせて、次々と新しい端末に買い替え誘導をするのは一種の姨捨ではないだろうかと?ただ、この場合は、出費を抑制するために捨てさせられるのではなさそう、というところが違うところでしょうか。


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