世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

仁和寺の僧侶が上らなかった石清水八幡の山には電球の材料の竹が生え、麓には日本唯一の飛行神社もあります

2010-10-03 08:00:00 | 日本の町並み
 かつての東海道の鈴鹿越えの手前の宿場町と城下町との性格を持つ亀山は、米原を遠回りしている名神高速道路を短絡する第二名神の起点でもありました。第二名神の開通で、名古屋と京都との間は随分と短縮されましたが、名神の渋滞の名所は、天王山あたりのようです。東西から山が迫り平野部には淀川が流れるという狭隘な地形ゆえ昔から交通の難所でした。今回は、名神道の難所の天王山あたりからも見え淀川の対岸にある石清水八幡あたりを紹介します。

 石清水八幡宮は、京都市の南にある八幡市の北部の山の上にあります。桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる地点の南岸、木津川が大きく蛇行して半島状になった部分です。宇治川に沿って南下してきた京阪電車が宇治川、木曽川を渡った所に八幡市駅があり、駅に隣接の男山ケーブルで男山山上まで上って少し歩くと石清水八幡宮の本社です。現在は、簡単に登ることができる石清水八幡ですが、徒然草の頃には、苦労して歩いて上ったわけで、麓の寺や寺院だけを巡って帰ってきてしまった仁和寺の僧侶が出現することになります。

 男山の麓には、立派なお寺や神社が数多くあって、「ゆかしかりしかど、神へまゐることこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」ということになりかねません。これらの神社の中に飛行神社という変わった神社があります。明治時代に日本で初めて飛行機の研究をした二宮忠八が、飛行機事故の犠牲者の鎮魂のため大正期に建てたものですから、徒然草のころには無かった神社です。外観はギリシャ神殿風で、これも日本の神社の中では変わっています。二宮忠八はライト兄弟と同時代に飛行機の研究を行い、当時の軍の理解が得られず研究資金不足のために、飛行機実用化の栄誉を得そこなった人物です。

 
 仁和寺の僧が参らなかった山上の社群は、数多くの建物が重要文化財に指定され、山上の緑の中に溶け込んでいます。ただ、筆者が訪問したのは紅葉の頃でしたから、緑の中に紅葉が混じっていて社殿の朱色と競う感じでした。徒然草に登場するほどの石清水ですが、現在の京都を訪れる観光客からは忘れられた存在のようです。平安時代に石清水が重要であった理由は、裏鬼門を守る神社の位置づけのためでした。鬼門は東北、裏鬼門は南西にあたる方角ですが、鬼門の東北にある比叡山に対する、裏鬼門の西南にある石清水だったようです。ちなみに、鬼は角が生え虎の皮のパンツをはいていますが、一説には鬼門の方角が「丑寅」の方角ゆえ、牛の角と虎にちなんだものだとか。

 観光客から忘れられたような石清水ですが、明治期には世界的に有名になったことがあります。エジソンが1879年に白熱電球を発明して、その実用化のため寿命の長いフィラメントの材料を探した結果、男山に生える竹を炭化させたものが一番ということになりました。その後、19世紀の終わり頃まで、男山の竹はエジソン電灯会社に輸出されたのだそうです。

 エジソンの白熱電球の発明から130年たった現在では、白熱電球はエネルギーを無駄に消費する敵のような存在になってしまいました。2012年までにはその製造を止めるように勧告されています。たしかに、発光効率が悪く、寿命も短い白熱灯ですが、演色性の良さや使用環境の柔軟性など蛍光灯やLEDライトでは置き換えられない特質を持っています。何かの欠点が見つかると、良いところまでも全部否定し、1か0で右へならえをしててしまう悪い癖のようにも思えます。


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