世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ブレーメンの音楽隊ではなく市庁舎とローラント像が世界遺産に登録されています(ドイツ)

2010-10-10 08:00:00 | 世界遺産
 ハンザ同盟の都市の中で天然の良港を持ち、古い町並みの中にレンガ造りの建物が数多くある都市が旧東ドイツのヴィスマールでした。ハンザ同盟で発展した都市のひとつですが、せっかくのレンガ造りの建物にも空き家がおおく、眠ったような町でした。一方、おなじように世界遺産に登録されているハンザ同盟の都市ですが、ドイツに11あるヨーロッパ大都市圏の一つとして現在も賑わいを見せている都市がブレーメンです。今回は、ブレーメンの音楽隊の舞台としても知られたブレーメン州の首都を紹介します。

 ブレーメンはドイツの西北部にあって、北海には面していませんが、河口まで60kmのヴェーザー川の水運を利用しハンザ同盟の都市として栄えました。60kmというと、琵琶湖から大阪湾まで流れる淀川の長さとほぼ同じくらいです。現在の淀川は、水運には利用されていませんが、ブレーメンでは巨大なコンテナ船が川を遡上してくるようです。日本の河川は細くて急流が多いので、大きな船が航行するのが難しいのですが、ヨーロッパは陸地が平らなため、現在でも川は流通の重要な位置を占めているようです。60kmなどはたいしたことではなく、ドナウやラインなどの国際河川では、河口から数百kmの内陸部を大型船が行き来しています。

 さて、ブレーメンの世界遺産ですが、旧市街の中心部にあるマルクと広場の市庁舎とローラント像が登録されています。マルクトは英語ではmarketで市場の意味ですが、ドイツのどこの町に行っても、中心部にマルクト広場があります。市場を中心にして町が形成されていったからでしょうか。市庁舎は、この広場に面して15世紀に建てられたゴシック建築で、ローラント像は、市庁舎の前に立つ5mを超える巨像です。

 

この市庁舎やローラント像は、市民にとって大切にされ、第二次大戦の時には、防護壁を作って空爆による破壊を防いだのだそうです。ローラント像がブレーメンを見守り続ける限り、その自由と独立が守られるという言い伝えがあり、ブレーメン市民の精神的な支えであったようです。このように重要な像なので、壊れたときのために、市庁舎の地下には予備のローラント像が保管されているという言い伝えもあるようです。

 広場の回りには2つの教会や議事堂などがあり、市庁舎の西側には童話でおなじみのブレーメンの音楽隊の像も立っています。この音楽隊の像は、ちょっと見落としそうな地味な位置に立っていますが、ロバの足に触ると幸せになるとのことで、足の部分だけがピカピカの金色に光っています。広場から南南西に伸びるベトヒャー通りは、狭い通りにレンガ造りの商店が立ち並んでいます。コーヒーで財を成したロゼリウスの提唱でゴシックとアールヌーヴォーを取り入れて作られたそうですが、狭い割りに威圧感がなく軽やかな雰囲気の商店街です。

 

この通りの中央あたりに、そのロゼリウスの家がありますが、2つのファサードの間の三角形の空間にマイセン製の磁器でできたグロッケンシュピール(鐘)があります。午後の毎正時には、軽やかなメロディーを聞くことができます。

 ブレーメン市がどこにあるかは知らなくても、ブレーメンの音楽隊のグリム童話のことは良く知っているといった人は多いように思います。これほど、日本人にはなじみの童話ですが、4匹の動物たちはブレーメンにはたどり着いてはいないことは意外と認識されていないようです。泥棒の家での出来事は、ブレーメンへの道筋でのできごとで、最終的にその家に落ち着くことになったのですから、当初の目的地のブレーメンには着いていないのです。ITの発見でも、実験の途中で当初の目的とは異なる現象に遭遇したために新しい発見をしたことが多いようです。半導体の表面の電気測定の過程で発見されたトランジスタや、そのトランジスタの不良品の解析で発見されたエサキダイオードなどが有名でしょうか。それらの発見は、単に実験の目的だけを追い求めていたのでは、見落とされてしまっていたでしょう。答えは一つという受験対策の勉強で、この目は養われるのでしょうか。


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