世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

中央線の吉祥寺にはお寺は無く、有名人のお墓の多い吉祥寺があるのは本駒込なのです

2014-09-14 08:00:00 | 日本の町並み
 豊島園近くの練馬寺町は関東大震災に遭ったお寺が都心から引っ越してきてできたものでした。それより前の江戸時代には、江戸の町はたびたび大火に見舞われて八百屋お七の逸話で有名な明暦の火事でも、都心のお寺が引っ越しています。ただ、この頃は江戸の町が現在ほどは広がっていなかったので、江戸城からちょっと遠くに引越しといった感じです。このお寺の一つが駿河台から駒込に引っ越した吉祥寺で、境内にはお七、吉三郎の比翼塚もあります。今回は、JRの駒込から地下鉄の本駒込あたりまでを紹介します。

 
 
 スタートは、駒込駅から近い六義園(りくぎえん)です。江戸時代には柳沢吉保の下屋敷であった庭園を、明治時代に岩崎弥太郎が買収をして別邸になり、昭和になって東京市に寄付されたものです。回遊式の庭園の中には茶室あり、小山有りで、池に映る紅葉の頃は美しさの増す庭園です。ただ、なぜか駅に近い門は閉じられていて、南側に大きく回りこんだ正門からしか入園できません。ところが、紅葉の頃には、ライトアップされた紅葉を鑑賞できるよう夜間開園がなされていますが、このときばかりは駅に近い染井門からの入園になります。

  六義園の東を通る本郷通りを南に本駒込にかけてお寺や神社などが数多く並んでいます。最初にある神社が、前田家が上屋敷を作るに当たって、その土地にあった浅間社を移設した駒込富士神社です。江戸の各地にあった小高い丘の富士塚の一つに拝殿が置かれています。駒込富士神社から裏通りに入ると、駒込名主屋敷があります。このあたりの名主の家屋の名残で立派な門などが残されていますが、現在もお住まいなので外部から静かに拝見、という感じです。

 
  
 再び、本郷通りに出てしばらく行くと立派な山門が目に飛び込んできます。このお寺が、明暦の大火の後に駿河台から引っ越してきた吉祥寺です。八百屋お七と吉三の比翼塚に加えて、榎本武揚や二宮尊徳など有名人の墓も数多くあります。ちなみに、中央線の若者の町である吉祥寺駅の近くにはお寺は無く、大火の前の門前町の町民が新しい農地を提供されて引越しをしてきた場所が、現在の武蔵野市の吉祥寺なのだそうです。

  
 さらに本郷通りを進むと、目赤不動そしてその先には駒込土物店跡、本駒込を少し行き過ぎたところには、このコースでの二つ目の富士塚がある海蔵寺があります。目黒、目白はJR山手線の駅名にもなりよく知られていますが、この二つの不動尊のほか、駒込の目赤、世田谷区太子堂の目青、そして目黄不動は台東区三ノ輪と江戸川区平井にあり合わせて五不動と言われています。土物店というのは野菜などの市場があった場所で昭和初期に豊島区に引っ越しています。また、海蔵寺の富士塚には江戸初期に富士山で入滅をした参身禄山の墓碑が建っています。

 江戸時代の都市火災は、現代のように消火という手段はほとんど使えなく、延焼を防止するため建物を壊して防火線を作るのが精一杯だったようです。一方、現代でも、消火が難しいのが森林火災で、上空から消化剤を撒いてもなかなか鎮火しないようです。江戸時代の都市火災のように防火線を作る手段もあるようですが、火災がどちらに拡大してゆくかを予測するのが難しのだそうです。的確な予測は、消火だけでなく非難のための情報にもなるのですが、最近は衛星からの情報や地上のセンサの情報などを入力として火災の拡大を予測するコンピュータシステムが発展しているようです。大気の動きの予測もあるでしょうから、スパコンの京を使った全地球の大気のシミュレーションシステムとも通じるところがあるかもしれません。ただ、この技術は都市部の火災の消火には、あまり役立たないかもしれませんが。


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