世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

復活した鉄道の沿線に本陣、脇本陣の立派な建物が残る矢掛

2006-12-10 13:46:49 | 日本の町並み
 列車が通らないまま放棄されてしまったのは五新線でしたが、いったん廃止になった鉄道に沿うように新しい鉄道が開通したところがあります。広島県・福塩線の神辺(かんなべ)と岡山県・伯備線の清音(きよね)とを東西に結ぶ井原鉄道ですが、その沿線に本陣跡が残る矢掛(やかげ)があります。廃止された井笠鉄道は山陽線の笠岡と神辺、矢掛を横バーの長いT字型に結んだもので、井原鉄道の路線のかなりの部分が廃止路線に沿って作られています。

 矢掛町は岡山県の南西端に近い所にあり、かつての山陽道の宿場町で本陣だけでなく脇本陣跡も残っています。本陣や脇本陣は、言うまでもなく江戸時代の参勤交代の時に大名一行が宿泊した施設です。加賀百万石の前田家の場合は最大で4,000人もの人間が移動したとのことですから、大きな学校の修学旅行生が10校ほどかち合った人数です。山陽路にはさほどの規模の大名はありませんでしたし、本陣には大名など一部の人間しか宿泊しませんでしたが、現役の頃の本陣はもっと大きなものではなかったでしょうか。

 本陣と脇本陣とを結ぶ通りにかつての山陽道の雰囲気を残こす町並みが連なっています。

近くにある郷土美術館に江戸時代の水楼を模した望楼が作られていて、登って町並みを上から眺めることもでき、違った視点で町並みの様子が分かります。

山陽本線が海沿いの笠岡あたりを通過するため、矢掛は時代から取り残されたような静かさにつつまれる町になっています。

 鉄道黎明期の頃には、城下町や宿場町で、鉄道が通ることを拒んだ町がけっこう多かったようです。当時は蒸気機関車でしたから、茅葺の屋根が火の粉によって火事になるというのが反対の理由の一つだったとか。矢掛がその例にあたるのかは調べていませんが、鉄道の駅がないという不便さと引き換えに、町の個性が保たれたのではないでしょうか。

 参勤交代は、無駄のかたまりのように酷評されることが多いものですが、一方では日本全体の文化程度を均一化したり、治安を保つことに貢献したといわれています。電気通信の無い江戸時代には、情報の運び手はもっぱら人手ででしたから、参勤交代で運ばれる情報流通の意義は大きかったものと思います。現場の映像を含めて瞬時に情報が手に入るようになった現代は、情報の入手にエネルギーがかからなくなった反面、情報を有効利用する知恵がおろそかになっているのではないでしょうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。