乃木大将の記念品を展示する建物や将校クラブの建物など、旧陸軍の建物が現役で残る町が善通寺でした、陸軍の遺構にはかつての兵器庫のレンガ作りの建物が数も多く存在感がありました。同じような旧日本軍のレンガ造りの倉庫群が残されているのが舞鶴です。こちらは陸軍ではなく海軍の遺構ですが、これらの遺構以外にも土蔵造りや講師の家並みの町が残されています。
舞鶴市は京都府の日本海側に位置していて、JRでは山陰線を綾部で舞鶴線に乗り換えて西舞鶴もしくは東舞鶴に行くことになります。最近は舞鶴道を経由するバスもあって、京阪神からJRより短時間で行けるようになりました。軍都の遺構や「岸壁の母」で有名な引き上げ港は東舞鶴駅周辺で、古い町並みが残るのは西舞鶴駅周辺で、両方の駅で町の顔が違います。違うのは当然のようで、元は2つの異なる都市を戦時中に軍の命令で合併させられたためなのです。旧東舞鶴市は軍港を擁する港湾都市で、旧舞鶴市(西舞鶴)は京極氏の城下町でした。軍部によって半ば無理やり合併させられたために、戦後まもなく分離のための住民投票も行われ、分離に賛成票が多数を占めましたが、京都府議会で分離案は否決されてしまったようです。
まずは、レンガ倉庫の並ぶ東舞鶴のほうですが、海から少し離れている東舞鶴駅からレンガ倉庫のある地区までは1kmほど歩かなくてはなりません。地図を見ると、駅との間を斜めにバイパスするような道が見つかり、この道を通りだいぶ歩く距離を短縮できました。道が微妙に曲がっていて途中に古風なトンネルもあり、通常の道路と様子が違います。なんとなく廃線跡のような感じがして、後で調べてみると、軍需物資の運搬用に軍港まで引かれた中舞鶴線の名残のようです。1972年に廃止され一部が自転車歩行者専用道に転用されていたのがこの道だったのです。
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赤レンガ倉庫群は12棟が重要文化財に指定され、そのうちの1棟は「まいづる知恵蔵」という名の文化施設として活用されて、博物館とギャラリーになっています。他の倉庫も見たかったのですが、耐震対策工事が進行中で、近づくことができず、一部を柵の外から眺めるだけになりました。
赤レンガ倉庫群から西舞鶴までのバスは、海沿いに中舞鶴線の廃線跡に沿って西に走ります。車窓からは、赤レンガ倉庫に続いて、海上自衛隊の艦船が係留されている景色が見られます。バスは、かつての中舞鶴駅の辺りを左折して海から離れて北側から西舞鶴駅に入ります。
西舞鶴駅は、かつての宮津線の起点駅で、現在は3セク化された北近畿タンゴ鉄道が引き継ぎ、JR駅の南西の車両基地にはタンゴ・エクスプローラなどの列車が止まっています。学生の頃には、京都から山陰線、舞鶴線、宮津線を経由して山陰線の城崎まで走るディーゼル準急がありました。この列車は綾部、西舞鶴、豊岡の各駅で合計3回も進行方向が変わる奇妙な列車でした。箱根登山鉄道は急坂を登るために、湯元から強羅までの途中で3回スイッチバックをして上っていきますが、このスイッチバックの回数と同じだったわけです。
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城下町の雰囲気を残す町並みは、西舞鶴駅の北西方向、国道と高野川に挟まれたあたりに分散しています。大手の交差点近くの町並みを撮っていたところ、「古民家に興味があるのなら、面白いものを見せてあげよう」ということで、鍵を持って一軒の家に案内されました。宰嘉庵という看板がかかった古民家の中を見せてもらいました。お話しによると、伏見と舞鶴に拠点を持つ「いこいの場」とのことですが、箱階段あり坪庭ありで床の間や壁の作りも凝っていて、明治時代には西園寺公望が休憩所として利用したという古民家でした。
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大手から西舞鶴駅にかけての古い町並みは、ところどころにまとまっている感じで、古風な旅館や土蔵造りに格子のある家が商店街の家並みに押しつぶされそうに残っています。大きな妻を見せる家の土壁はかなり痛みが進んでいたようですが、かえってこの形が美しいようにも思えます。和風の建築に混じって、金融機関だったでしょうか年代ものの洋風建築もあって、面白い対比を見せています。
レンガ建築は地震に弱いと思っていましたが、最近に聞いた話では良質なレンガで丁寧に作られたレンガの建築はコンクリート製の建物より耐震性に優れているということです。横浜の赤レンガ倉庫は関東大震災でびくともしなかった・・なるほど!といった感じです。粗悪な材料や工事が誤解を生んだようです。同じような誤解に漆塗りがあり、丁寧に仕上げられた漆塗りはペンキよりもはるかに丈夫で、多くの遺跡で木の部分が朽ちてしまって漆の幕面だけの器が出土するそうです。かつて開発途上国製のIT製品などで性能が出ないものが流通して、輸入品イコール粗悪品の先入観を植え付けたような感じもします。品質管理も進んで、現在では品質も安定したのでしょうが、一度与えた先入観を払拭するのは大変なようです。
舞鶴市は京都府の日本海側に位置していて、JRでは山陰線を綾部で舞鶴線に乗り換えて西舞鶴もしくは東舞鶴に行くことになります。最近は舞鶴道を経由するバスもあって、京阪神からJRより短時間で行けるようになりました。軍都の遺構や「岸壁の母」で有名な引き上げ港は東舞鶴駅周辺で、古い町並みが残るのは西舞鶴駅周辺で、両方の駅で町の顔が違います。違うのは当然のようで、元は2つの異なる都市を戦時中に軍の命令で合併させられたためなのです。旧東舞鶴市は軍港を擁する港湾都市で、旧舞鶴市(西舞鶴)は京極氏の城下町でした。軍部によって半ば無理やり合併させられたために、戦後まもなく分離のための住民投票も行われ、分離に賛成票が多数を占めましたが、京都府議会で分離案は否決されてしまったようです。
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赤レンガ倉庫群は12棟が重要文化財に指定され、そのうちの1棟は「まいづる知恵蔵」という名の文化施設として活用されて、博物館とギャラリーになっています。他の倉庫も見たかったのですが、耐震対策工事が進行中で、近づくことができず、一部を柵の外から眺めるだけになりました。
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西舞鶴駅は、かつての宮津線の起点駅で、現在は3セク化された北近畿タンゴ鉄道が引き継ぎ、JR駅の南西の車両基地にはタンゴ・エクスプローラなどの列車が止まっています。学生の頃には、京都から山陰線、舞鶴線、宮津線を経由して山陰線の城崎まで走るディーゼル準急がありました。この列車は綾部、西舞鶴、豊岡の各駅で合計3回も進行方向が変わる奇妙な列車でした。箱根登山鉄道は急坂を登るために、湯元から強羅までの途中で3回スイッチバックをして上っていきますが、このスイッチバックの回数と同じだったわけです。
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城下町の雰囲気を残す町並みは、西舞鶴駅の北西方向、国道と高野川に挟まれたあたりに分散しています。大手の交差点近くの町並みを撮っていたところ、「古民家に興味があるのなら、面白いものを見せてあげよう」ということで、鍵を持って一軒の家に案内されました。宰嘉庵という看板がかかった古民家の中を見せてもらいました。お話しによると、伏見と舞鶴に拠点を持つ「いこいの場」とのことですが、箱階段あり坪庭ありで床の間や壁の作りも凝っていて、明治時代には西園寺公望が休憩所として利用したという古民家でした。
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レンガ建築は地震に弱いと思っていましたが、最近に聞いた話では良質なレンガで丁寧に作られたレンガの建築はコンクリート製の建物より耐震性に優れているということです。横浜の赤レンガ倉庫は関東大震災でびくともしなかった・・なるほど!といった感じです。粗悪な材料や工事が誤解を生んだようです。同じような誤解に漆塗りがあり、丁寧に仕上げられた漆塗りはペンキよりもはるかに丈夫で、多くの遺跡で木の部分が朽ちてしまって漆の幕面だけの器が出土するそうです。かつて開発途上国製のIT製品などで性能が出ないものが流通して、輸入品イコール粗悪品の先入観を植え付けたような感じもします。品質管理も進んで、現在では品質も安定したのでしょうが、一度与えた先入観を払拭するのは大変なようです。