シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

安行植物取引所&植木販売所

2010-03-18 | お出かけ

この前の日曜日、2か月ぶりの2回目、「埼玉県花と緑の振興センター」に行ってきた。残念ながらもう梅のピークは過ぎていたが、それ以外の花木では、今回花を付けはじめた樹木がたくさんあった。しかも温かく、園内でランチをとっているお爺ちゃん・お婆ちゃんが多かった。5~10人のグループやご夫婦も・・・イイ光景だった。

センターを一回りし、興禅院のモクレンを見た後、ついでに、近くの「道の駅」にある「川口緑化センター( 樹里安)」も一回りしようと車をまわした。
間近の駐車場は一杯だったので、その先の大きい駐車場で少し待ち、止めることができた。

この駐車場の隣には「安行植物取引所」という建物があった。そして、その奥には「一般の方大歓迎!植木直売所」の大きな立て看板が見えたので、釣られて行ってみた。

この直売所は、市内の植木生産者が直接出店しているようだ。生産者毎に区画され植木が植栽されていた。
高木や低木の苗木が植えられ、アセビやシャクナゲなどの花木の鉢が並ぶ。様々な種類を大きさや値段などで比較できるのが良いかも。

多くはないが、園芸店によくあるような花も置いてある。クリスマスローズなどもけっこう見た。
明確ではないけど、全体的に安いと思った。

安行植物取引所は、セリ取引を中心とした植木の卸売りが主な業務。
広い倉庫のような建物の中には、大きめの植木がたくさん置いてあった。近くで見たかったけど、もちろん一般人は立入禁止!

初めてなので、ハッキリ断言できないけど、隣の「道の駅」にある「川口緑化センター( 樹里安)」はメジャー(?)のようですが、欲しいものがここ(植木直売所)にあるのならここで、ここに無いものを道の駅で見るような順番がよいかも。

※参照:安行植物取引所
http://hwsa8.gyao.ne.jp/angyo-shokubutu/

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「食と地域」の再生!

2010-03-13 | 巷のニュース

昨日、たまたま読んだ経済新聞に、『シンポジウム「食」と「農」をつなぐ、日本を元気にする』という全面広告があった。2月17日に開催されたシンポジウムの一部を紹介していた。

この中で関心をひいたのは・・・現在、日本の食料自給率(カロリーベース)が41%しかなく、先進諸国で最低の水準であること。また、都道府県別にみれば、東京は1%、北海道は200%というように偏りがあり、東京的なライフスタイルをこそ変えていくべき示唆ではないかと。

農水大臣がいう「食料・農業・農村基本計画」においては、空いた水田で飼料用米や米粉用米の生産を奨励するという。
飼料用トウモロコシは年間4千億円も輸入しており、これを飼料用米に置き換えれば自給率向上に貢献する。飼料用米でできた卵や豚肉、米粉パンといった取り組みは既に拡がりはじめている。
国民の一人ひとりが米粉パンを月に3個食べるだけで、食料自給率は1%上がる。

豊かな農村無くして豊かな地方は無く、豊かな地方無くして豊かな国はあり得ない。
私たち個人ができること、行政がやるべきことをしっかりと考え、今後の食と農とを育てていくことが重要となるでしょう。・・・と榊原英資氏はしめている。

カチャッてみたら、「FOOD ACTION NIPPON」のサイトがあり、米粉の普及に取り組む「米粉倶楽部」のコンテンツがあった。米粉の商品やレシピを紹介していた。
他にも、様々な充実した特集コンテンツがあった。


たまたま、新聞を読んだので知ったけど、これでいいのかな?と思っちゃいますね。皆がFOOD ACTION NIPPONのサイトを知っているのかな~?スーパーで奨励しているのかな?って?サラリーマンが読む新聞にカラーの全面広告を出すのなら他に向けたらって?
ひょっとして、知らなかったのは私だけってこともあるのかな・・・!?

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プロフェッショナル 杜氏・農口尚彦

2010-03-09 | 映画・TV・ヒーロー

77歳。この道61年。「日本酒の神」と呼ばれる日本の酒造りの最高峰、杜氏・農口尚彦氏、最高の酒を生むための壮絶な苦闘、覚悟の大吟醸造りに密着した。
2006年に「現代の名工」に選ばれ、08年には「黄綬褒章(おうじゅほうしょう)」を受章した。

農口さんが目指すのは、米の旨みを濃厚に感じさせながらも、のど越しの切れが良く、いくらでも杯が進む日本酒造り。そのため、常に米の手触り、温度、味、香りに神経を研ぎ澄ませ、米の状態に合わせたち密な仕事を心がける。米に含まれる水の量を調整するため、米を洗う時間を秒単位で調整するほどだ。

一日中、深夜もいとわず米をかみ続けてきたため、次第に歯が溶け、42歳で総入れ歯となった。
そんな農口さんは、下呂に近い。なのに・・・凄いです。
農口さんが想う奥さん、奥さんが想う旦那さん。

晩酌を終え、ほろ酔いで観ていたせいか(?)ティッシュが濡れて濡れて・・・。

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トータス、ケイスケ

2010-03-08 | 音楽と…

活動休止中のウルフルズの「トータス松本」が、大河ドラマ「龍馬伝」にジョン万次郎役で出演するようだ。(登場予定は4月18日から)

2~3週前の回で、龍馬が「ジョン」という名称のことで、自分もアメリカに行ったら「ジョン龍馬!」なんて言っていたけど、ジョンは助けてくれたアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」にちなんで、ジョン・マン(John Mung)の愛称をアメリカ人がつけてくれたもの。

龍馬が万次郎と会って話をしたという記録は残されていない・・・会っているかもしれない。本当はどうなのでしょうね?


まぁ、それはさておき、ウルフルズはヒットした曲しか知らないし、メンバーもトータスしか知らなかった。先日、知人等と話しているときに(話の流れは忘れたけど)ウルフルズの話になり、リーダーの名前を聞いて「ウソでしょ!」と。
だって、「ウルフルケイスケ」ってね~・・・(失礼しました)。

ついでなので、本人のブログを見てみたら、プロフィールに~「ミスタースマイル」の異名を持つ日本唯一の笑うギタリスト~と書いてあった。たのしそうだ。

バンド名は、メンバーお気に入りのLPレコードのジャケットの帯にあった「ソウルフル」が改行のため「ウルフル」と読めたことに由来するという。
今さらだけど…知らなかったね~。

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横網町公園(震災・大戦の慰霊)

2010-03-07 | お出かけ

入口の一つは旧安田庭園とはす向かいにある。両国駅からは5分位か。地図を見た時にはここにも日本庭園があるということで寄ったのだが、いきなり三重の塔や寺院のような大きな建物に圧倒させられた。

横網町公園は関東大震災と第二次世界大戦のメモリアルパークだった。

公園は元々陸軍被服廠(ひふくしょう=軍服や軍靴を製造する工場)があったが、赤羽(東京都北区)移転を機に東京市が買収、公園として整備するため工事を始めた。

その直後の大正12(1923)年9月1日、関東大震災が起きた。更地ということから多くの被災者の避難場所になったが、人々が持ち込んだ家財道具に周囲からの火災が燃え移り、さらに巨大な火災旋風が発生。この地だけで東京市全体の犠牲者の半数以上の約4万人が犠牲になったといわれている。

昭和5(1930)年に震災による遭難死者約5万8000人の遺骨を納める納骨堂(三重塔)や震災記念堂が造られた。同年9月1日公園も開園した。
翌年には当公園内に震災の惨劇とそこからの復興を後世に伝えるため、復興記念館が完成した。(こちらは洋風建築。見学者がいたので上だけ撮影。)

しかし、昭和20(1945)年東京は第二次世界大戦により再び焦土と化した。特に同年3月10日の東京大空襲では約7万7000人を失った。
当時殉難者は公園その他130か所に仮埋葬されたが、昭和23年より逐次改葬火葬し、この堂の納骨堂を拡張して約10万体の無縁仏の遺骨を奉安し、昭和26(1951)年春、戦災者整葬事業を完了したので、「東京都慰霊堂」と改め現在にいたっている。

斜めになった花壇があり、花がいっぱい植えられていた。

これは扇形の花壇と丸い水場で構成されたモニュメントで、「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」だった。

記念館の前には、大震災で猛火と熱風にて溶解した「丸善ビル」鉄柱溶塊があった。

慰霊堂の前には、白い一対の狛犬。寺社ではないけれど…。

日本庭園はこじんまりしていたが、様々な木々はありそうだった。記念館も慰霊堂も見学できる。この日は時間がなかったので、またの機会に・・・。

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旧安田庭園(潮入回遊庭園)

2010-03-06 | お出かけ

先日、両国(国技館のある所)に行く用事があった。行き先を地図で確認したら、近くに庭園・公園があるので立ち寄った。雨の予報であったが、かろうじて曇天。

「旧安田庭園」は、江戸時代に本庄宗資(常陸笠間藩5万石の藩主)が下屋敷として拝領し、元禄年間に、宗資が築造したと伝えられている。
明治24年に、安田財閥の創始者安田善次郎が所有することになり、大正11年、彼の遺志にもとづき東京市に寄付された。

翌年、関東大震災により壊滅的な被害を受けたが、復元工事を行い、昭和2年に始めて一般公開された。 昭和42年、東京都から墨田区に移管されたのを機に、全面的な改修工事を行い、往時の姿に復元した。(案内板参照)

↓北側から南に向かって。奥の建物は国技館。

中心に隅田川の水を引き入れた心字池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ、いわゆる「潮入池泉回遊式庭園」である

園内はコンパクトなので、普通に散歩したら5~6分で終わる!?各所に置いてあるベンチで景観を楽しみながら移動するのが良いかも。
個人的には、心字池を廻る散策路は変化があっておもしろかった。

当然ながら、様々な種類の木々はある。
国技館側の一角は、苔で覆われていた。

石も面白い形だった。

鳥は近くまできて、何かをついばんでいた。

池の周辺には雪見灯篭がいくつか置かれていた。実際に火を入れ水面を照らす様を見てみたいものだ。ただ、中には高さが3m位あるものがあった。どうやって使うのだろう?

庭園内には大正15年に建てられた「両国公会堂」がある。

円形ホール(800席)を中心にしたクラシカルな劇場建築物。老朽化により現在は使用していない。震災後のこと、周辺が焦土と化した中で復興の象徴のように建てられたのだろう。
日本庭園と西洋建築なのだが、なんとなく合っている。

「水門跡」。水門は潮入池の推移調整のために作られたもの。

隅田川の水質環境悪化や堤防補強に伴って、昭和40年頃に閉じられた。往時の姿をとどめる遺構として保存されている。
昭和46年に、潮入の再現を図るために、園の北側地下に貯水槽を造り、貯水槽と池に水を移動させることにより、人工的に干満を表現している。
潮入の池をもつ庭園としては、他に浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園がある。

時間が限られているので早足になってしまった。それに、横網町公園にも行かなくては・・・。また、機会があれば立ち寄りたい庭園だった。

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恐竜は隕石で絶滅!が結論

2010-03-05 | 自然・環境とか

ハッキリして良かった。これまでも隕石衝突説が有力視されていたが、異論もあり、論争になっていた。

約6550万年前の白亜紀末に恐竜などが大量絶滅したのは、メキシコ・ユカタン半島に巨大な隕石が衝突したことが原因と結論づける報告を、東北大など12か国の研究機関による研究チームがまとめ、5日の科学誌サイエンスに発表した。

チームの計算によると、直径約10~15キロメートルの隕石が秒速20キロメートルで当時浅海だった地表に衝突。
エネルギーは広島型原爆の約10億倍に相当し、大気中に拡散した大量のちりが太陽光を遮断した。
光合成を行う植物などが死滅した結果、食物が減少し、恐竜も絶滅に追い込まれたと考えられる。とのこと。

そのおかげ(?)で、哺乳類が台頭、進化し、人間が生まれることになったわけだ。
しかし、恐竜と似た生態を持っていた鳥類、爬虫類や両生類が絶滅を免れ、なぜ小型種もいた恐竜だけが滅んだのか、その理由も知りたいところだ。

大量絶滅は、過去に6回あり白亜紀が最後だ。そして、現在7回目が進行中といわれる。原因はもちろん人間様だ。

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「バラカップ2010」4/25開催

2010-03-03 | 四方山話…

東京マラソンが終わったところですが、これは(表題は)4月に行われるマラソン大会のこと。
“世界の子どもたちに贈るRUN”をテーマに掲げるチャリティーマラソン大会「パラカップ」は、2005年に第1回大会が開催され、今年で6回目を迎える。

フィリピンの孤児院の教育支援を行っている団体「PARASAIYO」とPARACUP~世界の子どもたちに贈るRUN~事務局が主催団体。収益金は恵まれない子どもたちに贈られる。

公式サイト(http://www.paracup.info/)には、次のように書かれていた。

PARACUPの支援を受けているある子どもが言いました。「僕の夢は頑張って勉強をして、いつか日本に行くことなんです。日本に行って、僕のことを支援してくれている2000人*の方々に会って、お礼を言いたいんです。」 (*2007年大会の後のコメントです。)会ったこともない2000人の人たちに応援されている一人の子どもの意気込み。彼は確かに身寄りのない孤児であったかもしれません。でも彼はこれから先、二度と、自分はひとりぼっちであるなどと感じることはないでしょう。

参加者のみなさんが、PARACUPを通じて少しでも世界の困っている人たちに目を向けたり、世界とのつながりを感じたり、または、誰かのために少しでも何かをやってみようという気持ちになっていただければ幸いです。
PARACUPはそういう小さな「きっかけ」になれればと願っています。

これまで「パラカップ」のことを知らなかった。(ひょっとしたら、ニュースなどで見聞きしたのかも知れないけれど、覚えていない。)でも、最近調べものついでに知ることとなった。

何でも知らなければ始まらない。
なので、少しでも…の気持ちとして、この日記に書きました。

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月の氷&チャンドラヤーン

2010-03-02 | 自然・環境とか

ニュースによると~NASAは、3月1日、インドの探査機「チャンドラヤーン1号」に積んだレーダーで月の北極域を分析、直径2~15キロメートルのクレーター40個以上で、氷があるのを確認した。氷の厚さは数メートルと見られ、総量は少なくとも6億トンと推計した。

驚きましたね、黒部ダムの貯水量の3倍にあたるそうです。
将来の月探査で利用できる可能性が高まった。とも報じられていましたが、なるべくそのままに(自然のままに)しておいた方が良いのでは。

ところで、カチャッてみたら、「チャンドラヤーン」はサンスクリット語で「月の乗り物」を意味する、インドではじめての月探査衛星。

そして、インド宇宙研究機関(ISRO)によると、2008年10月に打ち上げ、2009年9月2日に「チャンドラヤーン1号」との通信が途絶えたことを発表した。通信の復活は絶望的で、事実上ミッションは終了したと伝えている。

ということは、昨日付けの発表なので、最近発見したのかと思ったけど、チャンドラヤーンが昨年の夏までに観測したデータを元に、分析?解析?を続けていたら、最近になって氷の存在を確認できた・・・ということなのかな。勘違いしないかな~こういう報道?

※参照 sora.jp AstroArts 月探査情報ステーション 

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