シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

横網町公園(震災・大戦の慰霊)

2010-03-07 | お出かけ

入口の一つは旧安田庭園とはす向かいにある。両国駅からは5分位か。地図を見た時にはここにも日本庭園があるということで寄ったのだが、いきなり三重の塔や寺院のような大きな建物に圧倒させられた。

横網町公園は関東大震災と第二次世界大戦のメモリアルパークだった。

公園は元々陸軍被服廠(ひふくしょう=軍服や軍靴を製造する工場)があったが、赤羽(東京都北区)移転を機に東京市が買収、公園として整備するため工事を始めた。

その直後の大正12(1923)年9月1日、関東大震災が起きた。更地ということから多くの被災者の避難場所になったが、人々が持ち込んだ家財道具に周囲からの火災が燃え移り、さらに巨大な火災旋風が発生。この地だけで東京市全体の犠牲者の半数以上の約4万人が犠牲になったといわれている。

昭和5(1930)年に震災による遭難死者約5万8000人の遺骨を納める納骨堂(三重塔)や震災記念堂が造られた。同年9月1日公園も開園した。
翌年には当公園内に震災の惨劇とそこからの復興を後世に伝えるため、復興記念館が完成した。(こちらは洋風建築。見学者がいたので上だけ撮影。)

しかし、昭和20(1945)年東京は第二次世界大戦により再び焦土と化した。特に同年3月10日の東京大空襲では約7万7000人を失った。
当時殉難者は公園その他130か所に仮埋葬されたが、昭和23年より逐次改葬火葬し、この堂の納骨堂を拡張して約10万体の無縁仏の遺骨を奉安し、昭和26(1951)年春、戦災者整葬事業を完了したので、「東京都慰霊堂」と改め現在にいたっている。

斜めになった花壇があり、花がいっぱい植えられていた。

これは扇形の花壇と丸い水場で構成されたモニュメントで、「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」だった。

記念館の前には、大震災で猛火と熱風にて溶解した「丸善ビル」鉄柱溶塊があった。

慰霊堂の前には、白い一対の狛犬。寺社ではないけれど…。

日本庭園はこじんまりしていたが、様々な木々はありそうだった。記念館も慰霊堂も見学できる。この日は時間がなかったので、またの機会に・・・。

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