シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

復興小学校~時の鐘~吉田松陰

2012-03-10 | お出かけ

日本橋小伝馬町に『十思(じっし)スクエア』という区民サービスの複合施設がある。
この建物、平成2年3月までは『十思小学校』だった。関東大震災後の復興小学校の一校だ。(廃校後は日本橋小学校に統合された。)

昭和3年に完成した建物(校舎)は、都選定歴史的建造物に選ばれている。
RC造3階建、角地を利用した正面玄関は曲線で構成され、1階と3階にはアーチ型の意匠が用いられている。

現在、介護支援センターやデイルーム、訪問看護ステーションなどが入っている。
また、コミュニティルームもあり和室・洋室を借りることができる。公民館的にも使われているようだ。
んで、先日このコミュニティルームに社用があって訪れたわけだ。

建物好きなので、折角だからとカメラを持参。でも、なかなかの改修っぷりで、小学校を偲ばせるような所は見あたらなかった。
唯一、校庭に水飲み場発見!

階段の手すりの造りは重厚。

訪れた時、校庭はシートで囲まれ、その周りは解体工事の様相。校舎の一部が重機で解体中だったが、たぶん体育館だと思われる。
大震災後、維持することが難しくなった古い建造物は多いそうだ。残念だが仕方がないな。

復興小学校の特徴は、公園を隣接していることで、十思小学校の隣は『十思公園』になっている。この公園には歴史を伝える史跡があった。

●石町(こくちょう)時の鐘
江戸で最初の時の鐘といわれている。当時の本石町3丁目に設置されていた。
「石町は江戸を寝せたり起こしたり」と川柳にも詠まれた石町時の鐘は明治を迎えて廃止され、昭和5年にこの公園内に完成した鐘楼へ移設されたという。
(↓鐘楼の後は工事中の旧校庭)

鐘楼というと、お寺にある木造の(よく見るタイプ)をイメージする。鉄筋コンクリート造でしかも2階建てには少し驚いた。
鳴らさないのに何で2階に?螺旋階段の入口は施錠されているし、1711年に鋳造された銅鐘(都指定有形文化財)を近くで見ることもできない・・・残念。

●伝馬町牢屋敷跡
この公園一帯は、伝馬町牢屋敷(江戸の牢屋敷)で1613年から1875年(明治8年)5月廃止まで存続した。
案内板によると、面積は2,618坪(約8,639平方メートル)の広さがあり、さらに四方を堀でめぐらしていたという。けっこう広い。日本武道館(建築面積:8,132平方メートル)よりも広い。

安政の大獄によりここに収容され、その後処刑された吉田松陰関連の碑が並んでいた。

左は吉田松陰顕彰碑、右は吉田松陰終焉の地の碑、真ん中の大きな碑は、吉田松陰の辞世の句だった。~「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂」

また、日露戦争で亡くなられた人を弔う「忠魂碑」も建っていた。
あとは、近年肩身が狭い喫煙者が、灰皿の近くにたくさん立っていた。

 

コメント (4)
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