goo blog サービス終了のお知らせ 

シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

日光:金谷ホテル歴史館は文化遺産&建築遺産

2023-12-03 | お出かけ

11月10日(金)のつづき。憾満ヶ淵の駐車場を出発し金谷ホテル歴史館へ向かう。
金谷ホテル歴史館は、国道122号沿いにあり、日光田母沢御用邸記念公園からは歩いて5分とかからない距離にある。

金谷ホテル歴史館は、日本で最も古い西洋式リゾートホテル「金谷ホテル」の前身である「金谷カテッジイン」の創業家屋であり、江戸時代の武家屋敷と明治初期の増改築を現代にとどめている。
長く大切に保存されてきた「金谷侍屋敷」と「土蔵」は、平成26年(2014年) 国の登録有形文化財となり、平成27年(2015年)3月より「金谷ホテル歴史館」として一般公開されている。
西洋式リゾートホテル発祥の地としての文化遺産的な価値だけではなく、武家屋敷の様式をそのまま残す建築遺産としても価値のある建造物でもある。(公式Webサイトより)

東照宮の雅楽師を勤める金谷善一郎は、外国人が安心して泊まれる宿として自宅を改造して、明治6年(1873年)に部屋を貸す宿業として「金谷カテッジイン」を開業。武家屋敷であったことから、外国人客は「Samurai House (侍屋敷)」と呼んでいた。 
その後、明治26年(1893年)に、善一郎は大谷川沿いの高台に本格的なリゾートホテル「金谷ホテル」を開業し、現在に至る。

金谷ホテル歴史館の駐車は、お隣の金谷ホテル「カテッジイン・レストラン&ベーカリー」の駐車場を利用する。歴史館の受付けもレストラン店内。レジで入館料を支払い、入館ゲート用コインを受け取る。レストランの中を通って専用の出入口から出て、渡り階段を上ってゲートを通り、館内に入る流れとなっている。

入館してスリッパに履き替える。最初の部屋は、創業150年の金谷ホテルの歴史を紹介する資料展示室。


年表の創業年と150年後の現代を抜き取る。150年も前に外国人専用の宿泊施設をここで・・・と思いを馳せる。

 

次に屋敷の勝手口(?)から入り、スタッフの方から説明を聞いた。
台所や居間の天井が低いのは、刀を振り回し難くするため。階段は上り口を板戸で締めることができ、直ぐには階段の所在が分からない。2階の小さい扉からは1階の様子を窺うとともに、いざとなれば1階に飛び降りることができる。敵から主や客を守り、逃がすための工夫がなされている。武家の屋敷なんだだな~と実感する。
廊下の途中から天井が高くなっているのは、明治の増改築で客室部分のためと納得。

説明を聞いている時に、室内の写真を撮っていたが何も言われなかった。しかし、見学しながら撮影禁止を示す掲示を見て、あれッ?と。どういうこと?気になったので、後日に電話で聞いた。曰く、屋外での撮影はOK。館内は個人の記録として撮影するのは構わないが、SNSなどに載せるのは禁止とのこと。
なので、写真は屋外及び屋外からの建物のみ掲載する。(面白い室内の様子が載せられず残念)

前面の道路から冠木門をくぐり、池や庭を見ながら、緩い石段を上って玄関に至るアプローチ。


正面玄関の壁に「金谷侍屋敷 SAMURAI HOUSE」の看板が掛けられていた。
落ち着いた明治初期の建物。(といっても、私の幼少期の住まいより現代風)


苔むし紅葉が映え、よく手入れをされている素敵な庭。その庭と建物がとても馴染んでいる。


変わった形の石灯篭があった。調べてみると「三すくみ※」という彫刻がなされている。(※なめくじを嫌いな蛇が動けず、ヘビに睨まれたカエルが動けず、カエルに食べられそうになってるナメクジが動けない。)


裏山からの沢水が小川となって庭にひかれ、池へ流れ込んでいる。画の右側の建物は土蔵。


井戸にはつるべ(釣瓶)が置かれて、今でも使えそうな雰囲気。
ししおどしの音に誘われ見に行く。取り替えたのか新しいようだ。

 

明治の初期、日本人には外国人に対する深い偏見があり、外国語や異国文化を簡単に受け入れられる環境ではなかったはず。
そのような中、英語も話さず、海外にも行ったことのない金谷善一郎が、日光という地で外国人専用の宿泊施設を作ることは並大抵のことではなかった。(公式Webサイトより))

外国との関係で歴史をみると、岩倉使節団が帰国したのが明治6年、あの鹿鳴館ができたのは明治16年、外国人を主な顧客とする帝国ホテルが開業したのは明治23年のようだ。

外国客が自由に国内旅行ができなかった時代に、日光という土地柄外国客と接する機会があったにしても、東京からは遠く離れた山間地で、21歳という若さで金谷カテッジインを開業した金谷善一郎。その思いを推し量ることはできないけど頭が下がる。

なお、金谷善一郎のホテル開業を多大な融資で支援したのが「小林年保」。元々日光奉行所の同心を勤めた幕臣の家柄で、明治の実業(銀行)家。前々回の日記でも紹介したが、日光田茂沢御用邸は、小林年保の別邸だった屋敷に他の建物の移築や増改築を加えた集合建築群である。

ちなみに、日光田母沢御用邸記念公園と金谷ホテル歴史館の両施設を2日以内に併せて利用した場合、レシートを提示すると2番目の見学料金が割引になる。

〔日光・鬼怒川散歩(この後は、間に備忘録等を挟み)、つづく。〕

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光の隠れ名所:憾満ヶ淵(小渓谷)・並び地蔵(化け地蔵)

2023-12-01 | お出かけ

11月10日(金)、前回とりあげた日光田母沢御用邸記念公園を出た後は、金谷ホテル歴史館へ行く予定にしていたが、「憾満ヶ淵」の案内板を目にし先に行ってみることにした(清流・渓流好きなので)。

日光田母沢御用邸記念公園の東側にある小さな公園に車をとめていたので、そこから下流側に坂を下り、橋を渡り、上流側に行くと駐車場があった。位置的には、記念公園から大谷川を挟んだ反対側の上流になる。

駐車場から少し距離があった。本当にここでイイの?と思いつつ、でも、外国の観光客らしい方が前方から歩いてくるのでそのまま進む。すると山門があって、何これ?と再度不安になった。


山門をくぐりお堂の前を通ると、右側に樹々の間から渓谷が見え隠れするのでもう直ぐかと安堵・・・。

憾満ヶ淵(国指定名勝)は、男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地といわれている。川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、晃海(こうかい)僧正が真言の最後の句の「カンマン」を取り憾満ヶ淵と名付けたとされる。
晃海僧正は、この地に慈雲寺(じうんじ)や霊庇閣(れいひかく)、不動明王の大石像などを建立し、往時は参詣や行楽の人々で賑わったという。(現地説明板より)

清冽な流れの小渓谷といった様相で、人も少なく静かな景勝地だった。
溶岩が川の流れで削りだされたつるつるとした独特の地形や、大きな甌穴のような穴も見えたが、その辺りは樹々の枝葉が多くて撮るのをあきらめた。開けたのは霊庇閣の辺りから。


霊庇閣から深い淵を覗き見る。対岸の絶壁(巨石)には、弘法大師が筆を投げて彫りつけたという伝説のある「かんまん」の梵字が刻まれているそうだが、探しても分からなかった。


上流から霊庇閣のある下流側を見る。対岸の巨石の上には、かつて不動明王の石像が置かれていたが、明治35年(1902年)の大洪水で流失してしまった。この時に慈雲寺本堂、霊庇閣も流されたが1970年代に再建された。


現在、巨石の上に手すりがあり階段も見えるが、これは、日光植物園の園路の一部で展望台のようになっているようだ。(ということを後で調べている時に知った。日光植物園にも行ってみたいものだ)


そして、想定外の驚きがあった。歩道の山側には数多くの地蔵が並んでいるのだ。

並び地蔵は、天海(慈眼大師)の弟子たちが「過去万霊、自己菩提(かこばんれい、じこぼだい)」のために寄進したもので、全ての地蔵が川の方を向いている。
前述の大洪水で親地蔵と他の地蔵のいくつかが流された。また、参詣者がこの地蔵の数を数えてみると、そのつど数が違うというところから「化け地蔵」とも呼ばれるようになった。(現地説明板より)


上流側は歩道が緩やかにカーブしているため、座った地蔵の整列している姿が見渡せる。川の流れの音はしていたはずだが、静謐で神秘的な趣きだった。(こちらは戻りに撮ったもので右が山側)


地蔵はお腹のあたりから足の上は、苔でフカフカになっていた。


赤い帽子と前掛けは皆同じだが、首の向きや表情は地蔵ごとに異なる。こちらの地蔵は笑みを浮かべているような、何かを語りかけているような・・・。


観光客は少なかったが、思いもかけずの名所だった。

(日光・鬼怒川散歩、つづく)

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光田母沢御用邸記念公園:三時代の建造物・庭園は紅葉

2023-11-25 | お出かけ

11月10日(金)、鬼怒川温泉の会員制リゾートホテルに行く途中、立ち寄ったところをとりあげる。※行程は前回の日記参照

日光田母沢御用邸記念公園は、日光社寺の入口「神橋」から国道122号を中禅寺湖方面に車で5分ほどの左側に所在する。
名前のとおり旧御用邸の建物と庭園を公園として整備し一般公開しており、栃木県立の都市公園(歴史公園)で、建造物群は国の重要文化財に指定されている。
初めて訪れたが、想像以上に見応えのある建物と庭園で、感嘆のため息が出る。日光には多数の見どころがあるけど、大人の観光地として是非おすすめしたい処だった。

(概要:必須と思われる説明を記載する)
建造物は。元々日光出身の明治の実業家(小林年保)の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、新たな部分を加えて造営された。その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918年)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921年)に現在の姿となった。
江戸・明治・大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群。これらの建物の併用が、当初から存在したかのように建てられているところに特徴がある。
部屋数は106室あり、明治期に造営された御用邸の中でも最大規模の木造建築で、本邸が現存する唯一の建物。(日光市公式観光Webより)なお、田母沢(たもざわ)とは、この地区の地名とのこと。

敷地東側の入口。紅葉が見え、タイミングは良かったと安堵。傘をさしている方が写っているが、この後は、傘を必要とするほどの雨は降らずにラッキー。


入口〔御車寄〕は赤坂離宮・花御殿の玄関部分。唐破風で拡張高い。


受付で音声ガイドがあると聞き、スマホのような端末を借りた(200円)。要所要所で番号をクリックすると説明の音声がながれる仕組み。
見学順路の最初は、案内ビデオを観る部屋(兼休憩所)。ビデオにより概要を知ることができる。また、随所で係員もいて説明を聞くことができるので、音声ガイドと併せて抜かりはない。

 

表御食堂〕は、天皇が賓客や側近と食事をする部屋。当時なので照明は洋風。床はフローリングだが、柾目寄木張りで現在でも狂いがない匠の技。


通路を挟んでの〔御玉突所〕では、寄木張りのデザインが異なる。諸外国との交遊のためにビリヤードは必要だったのだろう。台にはポケットがない、四つ球用ということか(?)。


謁見所〕は、天皇が公式の来客と面会する部屋。玉座の隣の小さい丸テーブルは帽子を置かれる台。


このような床の間と天井は書院造りでありながら、床は絨毯敷きでシャンデリアの和洋折衷様式の部屋が幾つかある。和風建築の伝統を生かしながら、西洋文化との融合を図っているようだ。

御学問所〕は、書院様式の数寄屋風。3階建てで旧紀州徳川家江戸中屋敷部分。天皇の書斎として使われていた。丸窓から何が見えるのかと窺うのは私だけではないだろう。


2階に上がる。〔剱璽の間(けんじのま)〕の奥に厚い畳がある。天皇の「三種の神器」のうち、剣と勾玉を安置した部屋。御用邸を使われる度に移動するようだ。


御日拝所〕から庭園と建物を眺める、松と紅葉、建物の屋根の流れがキレイ。


増改築により複雑な配置になっている建物だが、何と!その屋根は全て谷と棟で連続してつながっているという(3階の屋根は除く)。Webマップの航空写真でも確認した。見事なものである。


3階の〔御展望室〕は、通常公開されていないため、1階に戻って順路を進む。
御座所〕は、天皇の居間兼執務室。手前の〔御次の間〕との間仕切りには、建物内唯一の欄間がある。


御食堂〕は、天皇・皇后が日常生活で食事をされた部屋。〔御食堂〕と2階の〔御日拝所〕は特別公開中だった。


当公園は映画やドラマの撮影で利用できるようだ。今年の8月に公開された映画のポスターやサイン色紙が置かれていた。売店の人気商品「御用邸ガトーショコラ」は菊の紋デザイン。

 

他にも建物内でとりあげたい部屋や造作など多数あるが、長くなるのでこの辺でやめておく。
あとは庭園の風景。曇天だが紅葉は嬉しい。まずは、御食堂の縁側?から見た庭園の風景。


池では、当時幼い皇太子が船を浮かべて遊んでいた(という写真を見た)。


庭からの枝葉越しの3階建て部分。1階右側は丸窓のある御学問所。


樹齢約400年のシダレザクラ(市指定天然記念物)。立派なシダレで花の時季は見事でしょうな~。


庭内を流れる清らかな小川。


庭には防空壕の入口があって驚く。花はダイモンジソウやノコンギクが咲いていた。
素晴らしい庭園で、他の時季にも見てみたいと思わせられた。
日光田母沢御用邸記念公園で約1時間半。とても良かった。満足満足。

(日光・鬼怒川散歩、つづく)

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会員制リゾートホテルを使ってみようと・・・鬼怒川へ

2023-11-19 | お出かけ

会員といっても私個人ではなく会社が会員になっている施設がある。せっかくなので使ってみようと思っていた。
車で行きやすい幾つかの施設から選んで、9月21日に予約状況を確認。地域は鬼怒川で宿泊日は金曜と決めたが、10月は空いておらず予約できたのは11月10日(金)。

でも、結婚記念日が11月9日なので、その記念になるかな~と。それに紅葉も期待できそう。名湯は大浴場・露天風呂に客室半露天風呂でも楽しめる。そもそも施設全体が新しくラグジュアリーな感じ。後日、奮発してディナーのコースも予約した。
ここ数年の旅行では、割安なところを求めていたきらいがあるので、たまには良いかな~と考えた。
かくして、当日まで天気予報を確認しながら楽しみに待っていた。

しかし、出発日の予報は雨でほぼ確定した。そこで、ホテルに着くまでに雨でも楽しめるところを調べることに。鬼怒川地域と近い日光地域が対象。
鬼怒川に屋内のアミューズメント施設は幾つかあるが、私も妻もそこはパスで。(関東以北で最大規模を誇るベゴニア園「花いちもんめ」は良いと思ったけど妻が反対。)
最終的に決まったのは、日光の「日光田母沢御用邸記念公園」と「金谷ホテル歴史館」で、明治と大正の文化遺産を訪ねることにした。晴れる予報の翌日に予定したのは、数十年振りの「東武ワールドスクウェア」に。あとは予定した施設のかかる時間によって決めようと考えた。

《実際の行程など》
11月10日:朝起きた時から何故かお腹の調子が悪い(緩い)。8:30に出発し、東北道の佐野藤岡SAと大谷PAでトイレへ。
10:35日光田母沢御用邸記念公園→12:35憾満ヶ淵(渓谷)→13:15金谷ホテル歴史館~金谷ホテルベーカリー(テイクアウトし、軽めにランチ)→15:00ホテル「VIALA鬼怒川渓翠」~館内散策~大浴場~ディナー~休憩~客室風呂~。

11月11日:朝から大浴場~朝食ブッフェ~9:30前にチェックアウト(車は駐車場にそのまま)→9:35東武ワールドスクウェア(11:15頃まで)~ホテルの駐車場→11:55五十里ダム~川治ダム(12:35頃まで)→蕎麦屋→15:40帰宅。

《VIALA鬼怒川渓翠》
Webサイトによると~鬼怒川の雄大な自然を間近に感じられる、ゆとりの空間へ。プライベートテラスでの優雅なくつろぎ。鬼怒川渓谷の四季の移ろいを感じながら、関東を代表する名湯の湯あみを~というリゾートホテル。

1階ロビーラウンジの天井は2階と同じ。室内はかなり高さがある。窓はその高さで全面にあり、まさに自然を間近に感じられる空間となっている。


屋外に出ると、ハンギングチェアの置かれたテラスやファイヤーピットのあるテラスがある。


屋上(6階)にもテラスがあり、快晴なら満天の星空が見られたであろう・・・。
屋上からロビーラウンジの前を見降ろす。前述のテラスの先は鬼怒川渓谷。


夜、テラスからロビーラウンジを眺める。ツリーが窓ガラスに写って2本あるように見えた。


道路からのホテル入口風景。これは晴れた翌朝に撮ったもの。

 

客室は広さ60㎡弱。前面のベランダの左側に半露天風呂あり。可動間仕切りでベッド部分は部屋にもなる。


バルミューダのスピーカーが置いてあった。Bluetoothでスマホとつなげて使用できるようだ。説明を読み、私のスマホで試すが使えない。あれ?会社貸与のアイフォンで試したら使えた。(私のスマホって・・・)

 

供応された料理を撮っておこうと思ったけど、満足に撮れたのは最初のとデザートくらい。


なのでメニューを記録しておく。料理は、鬼怒川温泉がある北関東をはじめ、東北の生産者達から受け継いだ食材に発酵素材で滋養を加えているそうだ。食事のお供は白と赤のワインを頂く。

次回からは、訪れた先をとりあげたい。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十日町市:千手観音・長徳寺、河岸段丘の・・・

2023-11-12 | お出かけ

11月4日(土)の午前中、帰省時のプチ観光記録。※帰省のことは前回参照

新潟県十日町市(川西地域)にある曹洞宗の寺院「長徳寺」(山号「白雲山」)は、その名称よりも周辺地域では「千手観音」との呼称で有名である。
千手観音と近くにあった児童公園には、子供の頃に祖父に連れられて行ったことがあるはずだ(記憶は曖昧)。約半世紀(50年超)振りに行ってみた。

〔十日町市観光協会〕千手観音は、1,200年余の歴史を伝える地域の守り本尊。安置されている観音像は、坂上田村麻呂将軍が北国遠征の折りに安置した守り本尊と伝えられており、当初の観音像は京都清水寺の本尊と同木の姉妹仏だともいわれている。仁王門、仁王像は十日町市指定文化財。

仁王門は、1749年(寛延2年)に出雲崎の大工を中心として建築した入母屋造り三間一戸。(市教育委員会の説明板)


その先に観音堂が威容を誇っている。


鰐口(わにぐち)が吊り下げられている正面の様子。
御詠歌:枯木にも 花咲くべしと 聞くからに 心ある身の 頼もしきかな


歴史の重みが漂う仁王門や仁王像、観音堂など、かつての千手観音堂の隆盛をうかがい知ることができる。

長徳寺は千手観音の別当として信仰を集め越後三十三観音霊場第十番札所になっている。


数種類の苔がむしていた。厚みがある。


観音堂の西側には池が2つ配され、歩行用の橋も架けられていたが、この時は通行禁止だった。(境内地なのか隣地の公園の一部なのかは分からない)


近くの車道沿いにドーム型の車庫のような建物があり、中に功徳地蔵というお地蔵さんが安置されていた。「・・・悩みや心配事を一人で抱え込まずに、功徳地蔵にうちあけて聞いて頂き、気持ちを楽にして生きていきましょう」との由来が記されていた。

 

千手観音を出発し、集落の中を通っていると「河岸段丘からの絶景」という看板があったので車を止めた。段丘面の縁を歩いていくと目の前が開けた。
一段下の段丘面は広大な田んぼが広がっている。遠くに三国山脈の巻機山(?)が見えた。(天気がイマイチで残念)


車に戻る途中、通路から地続きの所に古民家をリノベーションしたような小綺麗な建物があった。こんな所に何だろう?別荘なのか何かの施設なのか、看板は無く、人の気配もない。敷地を区別する垣根なども無い。建築途中にも見えないけど?いったい何。

車に戻りマップで確認すると、一棟貸しの宿泊施設「里山十帖 THE HOUSE SEN」だった。
https://satoyama-jujo.com/thehouse/sen/

Webサイトも拝見。何だか設備がスゴイ。南魚沼市にある「里山十帖」のことは名前くらい知っていたが、当地にもできていたとは!!
でも、何故このような所に?とは思う。いわゆる富裕層が利用するのだろうが、そうでない身には分からないね~などと妻と話しながら実家に戻る。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久し振りの散歩は『森林公園』へ。花畑や展示など

2023-10-27 | お出かけ

10月22日(日)、久しぶりの公園散歩ということで『国営武蔵丘陵 森林公園』へ行ってきた。 
直前の公園散歩は8月5日の北本自然観察公園。森林公園は7月16日以来で約3か月ぶり。

今回は自転車をレンタルせずに歩こうと考えて一人で出かけた(妻を誘ったが断られた)。
開園時間9:30。公園近くの民間駐車場に車を止めた9:17はガラガラだった(公園の駐車場もガラッガラ)。入場券を購入し、並んでいる列の最後につく。5分ほど待って入場。

まずは人の少ない時に運動広場花畑を見ようと直行する。予想通り人は二組ほどと少ない。といっても、後から次々とやってくる。
今秋の運動広場花畑羽毛ゲイトウ。連作を嫌うため、ここでは3年振り。昨年は赤ソバで(西口広場花畑で羽毛ゲイトウ)、一昨年も同様。

約8,000㎡の花畑に、80万本の赤・黄・オレンジのカラフルなボーダー模様を描くケイトウが拡がっていた。場所により倒れた株があり、見頃終盤といったところ。

 

その後、野草コースであれこれ見てまわり、公園庭園樹園内のこもれび花畑コリウスを眺める。
コリウスはシソ科の植物で、葉色を楽しむカラーリーフ。丈夫で初夏から長く楽しめ、秋には葉色が冴えてさらに美しさを増すそうだ。他ではなかなか見られない光景。

昨年までは、放射状に模様を作っていたが、今年はボーダー模様っぽい感じ。
同種の幅を狭くしてボーダー模様にした一画もあった。

 

園内にはハロウィンにちなんだオブジェ展示やアート作品があった。イルミネーション&ライトアップ『森のハロウィンナイト』も開催中とのこと。
中央口では、大きなカボチャを模した飾り(ハロウィン仕様)がお出迎え。

植物園展示棟の近くでもハロウィン。素朴で素敵。

 

植物園展示棟内では「アフターガーデニング」の企画展があり、園内をまわり集めた植物たち(樹木や草の花やタネまで)を使って様々な飾り付けが展示されていた。

こちらは壁一面を使ったドライフラワーの展示。

 

中央口広場噴水前では海賊たちが見張っていた。

園路沿いには海賊目当て(?)のBARが出来ていた。マスターはほろ酔いか。

池の近くでは、戦利品に喜ぶ海賊たち。

 

ダリア花園の東屋には、花手水のように花が飾られていた。これは毎年見ていると思う。

 

園内を通る『古鎌倉街道』は、「中世の頃に作られ、城と城を結ぶ軍路で鎌倉や小田原に通じていた。かつては、熊谷次郎直実や畠山荘司重忠などに代表される関東武士が鎌倉にはせ参じた古道です」と案内板に記されている。


13:10頃に駐車場に戻ると、この時間でも新たに車が入ってきて、帰る準備をしている間に満車になり、入口にチェーンがかけられた。
歩数は約13,000歩だった。久し振りの散歩だけど、暑くなく急な坂道を避けたせいか、思いのほか疲れなかった感じ。
なお、植物のことは、別日記で取り上げる予定。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟:トヤ沢砂防えん堤、最後の教室、大棟山美術博物館

2023-08-29 | お出かけ

前回の「8月の帰省」で記した、帰省する際の立ち寄り観光についてとりあげる。

●トヤ沢砂防えん堤(津南町)
国道353号沿いで、巨大な円柱型の構造物が現れる。4年前に初めて見た時には驚いた。

2011年(平成23年)3月12日、長野県北部地震の揺れにより津南町のトヤ沢では土砂が流れ出し道路などが埋まる被害があった。「トヤ沢砂防堰堤」は、この被害をうけて作られた土木構造物で、流れてくる土砂からライフラインを守っているえん堤であり土石流モニュメントでもある。

Webによると、えん堤は重力式コンクリートえん堤・鋼製セル式えん堤・INSEMダブルウォールの3種類の構造でできており、目を見張るのは鋼製セル式えん堤。大型の円柱状構造物が4体連続配置されている。

駐車場に立てられている説明板のように、上空から見られないのが残念。

長尺鋼矢板を円状に打ち込み、現地の崩壊した土砂を中詰土砂として有効利用している。鋼製セル式えん堤の上部は土なので、普通に植物が育っている。

 

●最後の教室(十日町市松之山)
十日町市と津南町で開かれる世界最大規模の国際芸術祭「大地の芸術祭」で、2006年に製作された「人間の不在」をテーマにした現代アート作品。フランスの芸術家クリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンによる共作。

1997年に廃校となった小学校の体育館や3階建ての校舎全体が使われている。

体育館から入って教室の作品をめぐり体育館に戻る。体育館に入った時は暗くてほぼ何も見えず、「右側に沿って歩いて」と受付で言われた言葉を頼りに進む。戻って来た時は目が暗さに慣れ作品を見ることができた。

体育館は真っ暗で、わらが敷き詰められ無数の扇風機が回り続ける。物だけが残された世界を強調し、いるべき児童の「不在」を際立たせた。(現地掲示の新聞記事)

教室の作品。芸術作品は見る者の受け取り方次第・・・だとしても、素人には説明がほしい。

この暗い部屋では、大きな衝撃音のような音が響いていた。妻は「音が嫌」と入らず。

教室をぶち抜いて透明のケースが幾つも並べられていた。棺を連想してしまう。

 

●大棟山美術博物館(十日町市松之山)
700年に近い歴史をもつ、元造り酒屋であり庄屋であった村山家の旧宅と庭を博物館にしたもので、平成元年に村山家三十一代当主により、博物館として公開された。
ここに寄ろうと思ったのは、元々「美味しい湧き水がある」という情報から。事前の情報収集が足りなかったし、時間も足りないので周囲の見学のみ。駐車場で周囲を眺めて、これは表門から入らないと!と移動する。

旧村山家主屋・表門は、日本遺産の「究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたり―」の一つとして認定されている。豪雪地域における特別な農家建築である。
道路沿いから見る。民家の門!?扁額には大棟山(だいとうざん)。

振り返ると、門に至る坂道の歩道には、参道のような並木があって驚く。

表門手前の左右には池もある。堀のようだ。

門を入って石段を数段上りながら直角に2回曲がる(何やら城の造りのよう)。画の右側にある煙突が酒蔵であったことを偲ばせる。

主屋(美術博物館)の正面に出る。玄関の右側に、名水「御清水」があった。かつては銘酒「越の露」の仕込み水に使われていた。冷たくて旨かった。

屋根、軒、窓ガラスなど趣きがある。

正面左手側から見る。建物は大きく、池のある日本庭園が設けられていた。

その昔、雪深い山間の地で、このような造りの建屋があったことに、ただただ驚くばかりだった。

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森林公園で牧野富太郎展

2023-07-24 | お出かけ

7月15日~17日の3連休に予定していたことが無くなったので、どこかで散歩をと考え情報収集していると、武蔵丘陵森林公園で『牧野富太郎展』の催しがあることを知った。
今の朝ドラのモデルでもあり、「日本の植物学の父」といわれた日本の植物学者、牧野富太郎にスポットを当てたパネル展示を実施していた。期間は5月20日から7月17日まで。ぎりぎりだったが間に合う。ならば行ってみようか・・・と。

7月16日(日)の朝、妻と一緒に出発。森林公園には開園時間(9:30)過ぎに入った。暑いし移動もあるし妻も一緒だし、ということから電動アシスト付き自転車をレンタルする。以前利用した時に快適だったので、初めてという妻にも勧めた。

最初に野草コースへ行きオミナエシやレンゲショウマなどを見る。次に、移動してヤマユリの小径を歩く。


それから植物園展示棟へ移動。「雑草という植物はない」という意味の言葉は有名になったと思う。


『牧野富太郎展』の展示の様子。


標本(デジタル画像印刷)も多数あった。テレビで見たやつだ~。


知ろうと思った時には、よく観察して、花のしくみや葉の形、実の姿などをスケッチするんじゃ。なんといっても、わしの得意は“絵”。みんなにどんな植物か教える時も、絵が一番」ということから『牧野式植物図』が生まれたようだ。
信じられないくらいに詳細な絵だと思う。こちらは牧野氏命名のムジナモ。


牧野日本植物図鑑』初版本の赤字校正。赤字だらけは、真摯に取組む姿勢と妥協しない意志の表れか。


パネルによると「牧野富太郎の知名度の高さとは裏腹に業績目録は今まで作られた事がない。命名した和名のリストも存在しない。約1400種の学名をつけたとされる植物の種類はタケ・ササが非常に多い」という。
一般的な植物がないのは「植物学や分類学が発達していた西洋の研究者によって“誰でも知っている植物=良く目にする植物”の多くが命名(学名を記載)されていった」ことによるだろう。

興味深い展示だった。またどこかで牧野富太郎の展示やイベントに出会えればと思う。
この後、ハーブガーデンやボーダー花壇を見てから入口に戻り自転車を返却する。レンタル時間=3時間を10分残したくらいで有効に利用した。

ところで、電動アシスト付き自転車は普通の自転車に比べるとレンタル料金は1.5倍だが、コースのほとんどは森林の高木の木陰を走るので、森林の緑を見ながら楽に涼やかな風が得られ、とても気持ちが良いものだった。アクティビティでありアトラクションのようだな~と妻と話した。

気持ちの良い要因の一つには、人が少ないこともある。この日、熊谷の気温は38℃代だったので、丘陵とはいえそれに近い気温だと思われる。不要な外出を控えるアナウンスもあっただろう。それでも出かける方は、もっと遠くに行ったかな。連休ですし。


帰る間際(12:30頃)の入口近くでも、人は少なかった。こんなに少ないのは個人的に初めてのことだ。

この後、近くの日帰り温泉施設=グランピング&テルマー湯(旧 なめがわ温泉 花和楽の湯)でランチと入浴。さっぱりして帰宅した。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大宮第二公園:梅まつり、梅図鑑

2023-03-07 | お出かけ

3月2日、さいたま市(大宮)への用事ついでに「大宮第二公園」に立ち寄ってきた。ちょうど「梅まつり」が開催中とのこと。また、昨年から梅図鑑が売られていると知り、それも見てみようと思った。
午前10時前の駐車場は空いており、梅林内の花見客もそこそこだったが、時間の経過とともに徐々に増えていった。梅は全体的に満開だと思う。


ざっと見た後、ギャラリー棟に行く。受付に梅図鑑が置いてあった。パラパラと見て、買うことに決めた。
梅図鑑は、A5判サイズ(148mm×210mm)で全20ページ。税込価格300円。*以下、撮り方がイマイチ


大宮第二公園には、約40品種500本の梅が植えられており、本書ではその中の24種について掲載している。
それぞれの梅の分類や特徴・開花時期・観察ポイント等がまとめられ、白色・薄桃色・紅色などの花弁の色ごとにページを分け、色や形から探せるようになっている。


「豊後」であれば、豊後系、花よりも実を楽しむ、開花は3月中旬、花の径約3cm、一重・薄桃色・平たい、開花すると萼が反り返る・・・などなど。


また、梅が植えてあるマップも付いているので、見たい品種があれば品種ごとにふられた番号で、どこで見ることができるのか容易に案内してくれる。


一見すると色でしか違いが分からない梅だが(人によるけど)、このような公園に特化した図鑑があれば、花を見て、どれどれと図鑑を開くことにつながる。ここの梅を見るにはうってつけの一冊だと思う。
この後、図鑑を見て、見たい品種の実物を探すことにした。(気になった梅は、別日記でとりあげた

梅を見ていたら、やけに人が集まっている樹があった。メジロの群れが移動中のようで、皆カメラを向けていた。しかし、梅は「緋桜」のようだが、高さがあり枝がじゃまなうえにメジロの動きが素早くて追えない。


動画で撮って画像を抜き出す。ついでにトリミング。


梅に寄ってくる野鳥を見るのも、梅林の楽しみ方の一つだろう。

ギャラリー棟では、おしば美術作品の展示をしていた。葉だけでなく、花や実も使って作品が作られていた。ちょっと感動。


また、期間中は、全国大陶器市やコンサート、お茶会、フリーマーケットなど様々なイベントを開催している。
全国大陶器市をのぞいてみると、たくさんの人で賑わっていた。これを目的に来ている方もかなりいると思われる。帰りの駐車場は、ほぼ埋まっているように見えた。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊香保温泉:水沢観音・水沢寺、水沢うどん

2023-03-04 | お出かけ

2月17日(前回のつづき)、ホテルの駐車場を出発し、旅程最後の水沢観音と水沢うどん街道に向かう。車ではさほど遠くない(石段下のバス停あたりから水沢観音まで約4kmで10分ほどか)。この辺りに行くのはニ十数年振りになる。

水沢観音の駐車場に入る。かなり広く400台はとめられそう。この日は空いていたので、お寺に近い場所にとめることができた。そこから歩いて行くと、直接境内に入るので、一旦坂を下り、正面の山門から入ることにする。

◆五徳山 水澤観世音(水澤寺)
水沢寺は、古来より「水沢観音」の名で親しまれる 天台宗の古刹で、坂東三十三ヶ所の十六番札所となっている。現在の本尊は、木造の千手観音菩薩像で平安時代末期に造られたもの。
寺伝では(およそ1,300年前)高句麗僧の恵灌(えかん)が推古朝に開山したと伝えられているが、詳細は不明。(渋川市のWebサイトより)

山門(仁王門)を見上げる。左側の石柱には「水澤観世音」、右側には「阪東拾六番」とある。


仁王門(市重要文化財)は、天明7年(1787)に完成したとされる。近世建築特有の華麗さを遺憾なく発揮し、上下の均整のとれた楼門として、最高の位置を占める名建築である。(現地の案内より)


門の左右には、仁王尊(金剛力士像)風神・雷神の像が祀られている。画では上が右側、下が左側。


門の先は、再度石段を上がって本堂となる。当地は水沢山の東麓にあり、段上の斜面になっている。

本堂;観音堂(市重要文化財)は、天明7年(1787)の再建で、近世建築特有の華麗さと中世建築様式の面影を残した五間堂。


六角堂;六角二重塔(県重要文化財)は、天明7年(1787)の建立で、地蔵尊信仰の代表的建築物。一辺は下層が2.7m、上層が1.3m。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊を祀り、六道輪廻の相を表している。 回転する地蔵尊を左に3回廻して、真心の供養を望む・・・。


赤い鳥居から急な石段が上に伸びていた。左足が痛いので登ることはしなかったが、額には飯縄大権現とある。寺のWebサイトによると、「古くから当山をお守りいただいている鎮守」とのこと。


駐車場側にある鐘楼から境内を見ると、奥に本堂が見え、手前の六角堂は、山の斜面で隠れている。飯縄大権現の鳥居は本堂の先に位置する。


13:00頃、駐車場に戻る。ホテルでの朝食と石段街でのケーキセットで、お腹はそれほど空いてないけど、きまりが悪いし、何より水沢うどんを食さねばならない。
秋田の稲庭、香川の讃岐と並び、日本三大うどんのひとつに挙げられる水沢うどん。

飛鳥時代に水沢寺の創建に尽力した高麗からの渡来僧がうどんの製法を伝授したと伝わり、天正4年(1576年)頃に湯治客や参拝者に地元産の小麦と水沢の湧水で打ったうどんを供するようになったのが、始まりとされる。(観光協会のWebサイトより)

水沢観音から県道15号を南に下る約1.5kmの間は「水沢うどん街道」と呼ばれ、十数件の水沢うどん店が軒を連ねる。それぞれの店構えは大きく、駐車場も広い。
「本舗 丹次亭」に入る。テーブル席や小上がりの他、奥には大広間もあった。


ざるうどん(中)とかけうどん(小)、天ぷらを注文する。コシの強さとツルツルとした喉越しが良い。あらかじめ麺にのっているシイタケもイケる(普段は、シイタケを遠慮する私)総じて美味かった。
なお、広めのテーブル席は、一席おきに未使用としており、昨今の都市部の感染症対策よりも徹底している感じだった。娘家族用のお土産と一緒に清算し、店を出る。

ここからは帰路につく。ナビをセットすると、県道をそのまま南に向かうようだ。アレっと、渋川伊香保IC方面ではない?行き先をたどると、関越道にのるのは駒寄スマートICだった。そうか、今はこのルートになるんだな~と。こんな発見も少し嬉しい。帰りも渋滞無く、16:00前には無事帰宅した。

妻に言わせると、「今回の旅は前回(塩原温泉・渓谷旅)に比べると、いろんなところに寄れた」と言う。いやいや、前回の方が多数の滝や橋を見たから、立ち寄った先の数で言えば前の方が多いはずだけど・・・。どうやら、妻の認識としては吊橋や滝はまとめて一つという認識のようだ。それはあまりにも・・・。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする