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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

演劇集団円 『ソハ、福ノ倚 ルトコロ』

2022-10-11 | 舞台
*内藤裕子作・演出(内藤裕子関連のblog記事→『かっぽれ!』シリーズ、他 1,2,3,4)公式サイトはこちら 吉祥寺シアター 16日まで
 2022年の芝居はじめは大雪の翌日の国立劇場公演「南総里見八犬伝」であった。内藤裕子の新作は、曲亭馬琴(佐々木睦)と嫁の路(髙橋理恵子)による『南総里見八犬伝』完結までの物語だ。円の公演で、日本髪を結い、着物と草履の本格的な時代物を観劇するのはこれが初めてか。

 公演パンフレットに「サスティナブルな作品制作の試み」というチラシが折り込まれており、今回の公演では環境負荷の少ない舞台作りを目標に、可能な限りリサイクル可能な素材を用いた大道具小道具、衣裳が使われているとのこと。畳と障子だけのごくシンプルな装置は可動式で、登場人物たちによってテンポよく場面転換が行われ、馬琴の書斎やその妻の寝間、客間などになる。

 本作の見どころのひとつは、馬琴の家の話に平行して、『南総里見八犬伝』の物語が描かれる点だ。俳優の多くが役を兼ね、「八犬伝」の義家や伏姫や玉梓、語りなども務めることになる。基本的に和装であるが、透け感のある布地の衣裳を纏うなど、「物語感」を醸し出す。「八犬伝」が挿入される絶妙なタイミングは、『かっぽれ!』シリーズで、劇中に落語の演目の場が展開する鮮やかな手並みを思わせる。さらに「八犬伝」パートの台詞が原作の文体のままで、聞きとって理解するのに困難なところも多々あるのだが、妨げにはならなかった。俳優には相当な負荷であったろうが、文語体の長台詞を滔々と語るだけでなく、犬の八房の模型を操る若手俳優のからだの動きなども見事であった。わかりやすく噛み砕くのではなく、原作を大胆に提示するところに作り手の心意気が伝わる。

 馬琴の家は、決して温かな家庭などではない。気難しく吝嗇な馬琴が暮しの全てを仕切って諍いが絶えず、家族は疲弊し、奉公人は長続きしない。嫁にとってはまことにブラックな家である。しかし不思議なことに、路は夫が亡くなってからより家に馴染み、目を病んだ馬琴にとってなくてはならない口述筆記の代筆者として成長してゆく。

 家族と同様に大切に描かれているのが、板元(今でいう出版社であろう)の丁子屋平兵衛(上杉陽一)と手代の和介(原田大輔)である。馬琴にこき使われ、振り回されながら、彼らは馬琴作品の絶大なファンであり、理解者なのである。そのふたりが路の才能や適性に気づき、「八犬伝」の口述筆記を承知させる場面は、まさに「チーム八犬伝」結成の様相だ。舞台からわくわくと期待が溢れ出て、そうだ路、あなたの出番だと身を乗り出したくなる。

 そのいっぽうで、辛抱続きで病んだ老妻(福井裕子)や、横暴な父に苦しんできた娘(谷川清美)が、馬琴と心を通わせていく路に抱く嫉妬も容赦なく描かれている。戯作者を身内に持った不幸、家族にここまで辛い思いをさせてなお書き続ける業、そうして世に出た小説が、日々の暮しに汲々とする庶民を楽しませ、慰め励ましていることが素晴らしくもあり、恐ろしくも思われるのである。
 
 佐々木睦の馬琴は、憎々しいまでの毒夫、毒父ぶりから、路に信頼を寄せて穏やかに老いてゆく辺りが自然で、作り込みの手つきを感じさせない。夏の「こどもステージ」で可憐な少女を演じていた高橋理恵子は、小さな子を抱えて後家となるも、苦労を重ねながら次第に堂々たる一家の支え手になるまでを、年齢相応の落ち着きとしっとりとした味わいを滲ませて、また新しい一面を見せた。

 食べて食べさせて生き抜くことに精いっぱいの暮しで、必要なのは食べ物であり、それを得るための金である。けれども飯と金だけで、人間はほんとうに生きていけるのか。馬琴とその家族たちの物語は、人間の魂を養うものについて教えてくれる。奉公人が二分の金を失くしてしまい、路がこっそり工面したのを使途不明金として執拗に問い詰める馬琴が、金に換算できない喜びや希望を与えていたとは、何とも皮肉であるが。
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