因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

KAKUTA『めぐるめく』

2010-05-28 | 舞台

*桑原裕子作・演出 公式サイトはこちら シアタートラム 30日まで(1,2)
 KAKUTAの舞台でブログ記事にしたものは、偶然だがいずれも因幡屋通信のお題として少し長い劇評を書くことができた。1は『神様の夜』、2は『帰れない夜』である。それに対して桑原裕子のオリジナル作品である『甘い丘』は2007年冬の初演をみたものの残念ながら楽しめず、ブログ記事も書けなかった。桑原裕子はグリングやブラジルに客演した際の女優としての強い印象がまずあって、続いて短編小説をリーディング公演として「構成・演出」する鮮やかな手腕については確かな手ごたえを得ているが、「劇作家」としてどうとらえるかについてはまだ曖昧なのである。

 四姉妹の話。長女は交通事故にあってから11年間眠り続けている。夫はそのときの事故でなくなり、小学生だった息子は高校生になった。次女はベストセラー作家として成功しているが、担当編集者に頼りっぱなし、三女はダメ男と結婚し、四女は雀荘の店員をしながら酒びたりの日々というありさま。病院の費用は次女が出しているが、見舞いに訪れることもほとんどなく、連絡も取り合わず疎遠になっていたところに、長女が突然目覚めたとういう知らせが。

 四姉妹と周辺の人々、複数の役を演じるアンサンブルキャストも含めると出演者は総勢17名になる。薄いブルーの抽象的な舞台装置がおもしろい。手前上手部分が病室や三女のアパートになり、下手部分が次女のうちや列車の座席、宿屋のサウナ、公園の池など、階段をあがって2階部分が病院の待合室や山道や墓地などに変化する。天井の高いシアタートラムを巧く使って、めまぐるしい物語の進行もあまり無理なく把握できる。

 お姉ちゃんが目を覚ましたことはもちろん嬉しい。しかしこれまでの不義理や、とくに息子の世話をじゅうぶんにしていない後ろめたさがあって、妹たちの気持ちは複雑である。誰も幸せとはいえず、男運がなく、失礼ながら男をみる目もあまりなさそうな彼女らに対して、目覚めた長女はよほど明るく元気である。物語をどこに着地させるのかがまったく読めないものの、賑やかを通り越してけたたましい四姉妹と、彼女たちに振り回されたり振り回したりする周辺の人々の様相が描かれる2時間である。

 開演まで場内にはクリスマスソングが流れていた。クリスマスのころ、長女が目覚めたのである。それから春先までの数カ月の物語。ロジカルな思考ではないとわかっているが、「やっぱりクリスマスはいいなぁ」とこの段階でこれから始まる舞台を受け入れてしまったようなのである。季節は冬から春へと移っていく。それらは台詞で示されるだけで舞台装置はそのままであるし、登場人物たちの服装もほぼまったく変わらず、ことさらクリスマスにこだわった設定とも思えないのに。いやこれは余談であった。

 長女はしばらく目覚めていたが、また眠りについてしまった。しかし妹たちの人生はわずかながら新しい方向へ着実に進んでいく。当日チラシに桑原裕子が保育園時代の母との思い出を記しており、これがなかなかいいのである。家族だからといって、何もかもわかりあえるわけではない。しかし目にはみえないけれども、濃く温かい交わりが確かにあって、それぞれが心配したり心配されたりしながら不器用に生きていく。長女の目覚めと再びの眠りが意味するものは明確に示されない。また物語の発端としてそうとうに特殊で強烈であるわりに着地点が不明瞭であり、俳優の演技も少々テンションが高すぎてじっくりした味わいに欠けるきらいがある。にも関わらず、自分は今回の舞台が楽しく、いい夜を過ごせた。幼いころの思い出を自分のなかで大切に温めつづけて、今回の『めぐるめく』を作り上げた劇作家桑原裕子の思いが伝わってきたからではないかと思う。

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