*唐十郎作 金守珍演出公式サイトはこちら 新宿・花園神社境内 特設紫テント 25日終了(1,2,3,4,5,6,7,8)同作品観劇の過去記録→新宿梁山第62回公演(2018年3月)、2019年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業(2019年12月)、唐組 第66回公演(2021年1月)∔因幡屋通信68号
公演パンフレット表紙には、タイトルの前に「テント版」と明記されている。本作の基となったのは、1969年12月に渋谷金王神社で上演された『少女都市』である。これが最初の産声であるが、その後『少女都市』は不思議な経緯を経て次々に生まれ変わることになる。80年代に入り、当時まだ研究生だった金守珍、六平直政による『少女都市』の舞台を唐十郎が甚く喜び、場面を書き加えて再構成、1985年11月、状況劇場若衆公演と銘打ち、新宿スペースデンで『少女都市からの呼び声』として上演された。パンフレットに掲載の金守珍、六平直政、大鶴義丹、水嶋カンナの鼎談には、作品が生まれ変わる現場に立ち会った若き日の思い出話に花が咲き、若衆公演に養老先生とインターンの場面が加わったこと、島田雅彦が出演することになったことなど、当時の様子が生き生きと語られている。
金は状況劇場退団後、1987年に新宿梁山泊を旗揚げしたが、下北沢のザ・スズナリで『少女都市からの呼び声』の演出・上演が叶ったのは6年後の1993年であること、その後国内はもちろん海外でも上演を重ねたが、テント公演は今回が初めてなのだそう。若き日に誕生に立ち会い、さまざまな演劇暦を重ねながら、作品の成長過程を体験してきた財産演目が、遂に花園神社でのテント公演=決定版として披露される。この日は梅雨の晴れ間。まだ明るいうちから花園神社には大勢の観客が集まっている。興奮の一夜の幕開けだ。
同じ作品であっても、劇団や演出、俳優が変われば舞台も変わる。そのことに改めて気づかされる。田口の友人・有沢という人物の立ち位置は非常に複雑で、勢いで突っ走ることができず、演じる側は相当に難しいのではないだろうか。観る側にとっても「このような人」という単純な捉え方ができない。有沢の婚約者のビンコも同様で、主軸となる田口と妹の雪子との関係性の変容を考えると、物語に及ぼす影響は深い。
「胎児」を演じる俳優の舞踊は力強く美しく、魅了される。本作は田口という青年が、生まれなかった妹の雪子と、この世とは違う「無い世界」(田口の台詞)で出会う物語である。「胎児」が登場するのは、生まれなかった子どもたちを表現するものであろう。また次々に登場する若手俳優のエネルギーも圧倒的だ。これで3度めの新宿梁山泊出演となる風間杜夫は、テントでの芝居にすっかり馴染んでいるようだ。といっておざなりなところは全くなく、誠実で一生懸命、しかも楽しんでいるところが伝わって嬉しくなるほどだ。今年新宿梁山泊は『少女都市からの呼び声』を違う座組、違う劇場で3回にわたって上演する。来月は新しくできた歌舞伎町タワーのTHEATRE MILANO-Zaのオープニング公演、10月の下北沢/ザ・スズナリの若衆公演の連続上演される。風間はそのすべてに出演するというから、唐十郎作品への心意気はいかばかりであろうか。
こうした新しい気づきとともに、言いようのない違和感を抱く場面も少なくなかった。さまざまな要素を取り入れて、よりエンターテインメントとして楽しめる舞台を、との意図は受け止めたい。しかしそれらはあくまでも戯曲そのものから発せられるもの。戯曲を深く読み込み、声を発し、肉体で演じる上で、紙面に無いものを掘り起こし、立ち上げるものではないだろうか。いろいろな演出、趣向について、そこにどんな意図や演劇的効果があるかを逐一考えるのは野暮かもしれないが、演出家の国籍を云々する台詞にはさすがに意図を計りかね、残念な感覚が残った。
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